4.
学園中の憧れの的だった、ナディウス・ミズリアンさまだ。
当時わたくしも憧れていて、何度かお話ししたこともある。婚約者がいたわたくしは距離を置くしかなかったけれど、彼とは良く視線が合ったわ。
だから、彼がずっと婚約者を持たなかったのはわたくしを諦めきれないからだって周囲と話していたの。
そんな彼が助けに来てくれたのね!やはり、あの時にきちんと婚約を解消して彼の胸に飛び込むべきだったのよ!
彼の姿を見て、ぽろぽろと涙が溢れてしまった。
「アティシア、こいつらか?君に酷い態度を取っていたのは。」
「ええ、まあそこそこ酷い態度だったわね。でもこの2人が見捨てられた妾親子って言いふらしてくれたおかげで見つからずに済んだのも本当のことなのよ。」
「だからって、話に聞く限り温情を示すほどのものではないだろう!」
…何の話をしているのかしら。というよりもあの女!
「この日陰者!わたくしのナディウスさまに近寄るな!」
思いっきり怒鳴りつけてやったわ。ナディウスさまは昔からお優しい方だったから、ああいう品のない女が近づいても決してお怒りになったりしないの。だから調子に乗って近寄る女がどれだけ多かったことか。
だからわたくしが。そういう調子付いた女たちを遠ざけて差し上げていたの。
「ナディウスさま!申し訳ありません、そのような下賎な女を近づけまいと学園時代は気を配っていたのですが。」
あの女から目を離したナディウスさまがこちらを見た。ああ、ナディウスさま。
「だれ?」
…だ…れ?え?わたくしに向かって?だれ?
そ、そうね卒業してからもう何年も経っているもの。
「ミエラです!学園で一緒に過ごしておりました、ミエラでございます!」
眉間に皺を寄せ何事かを考えていたナディウスさまはなかなか思い出せないみたい。
横に控えていた従者の男が耳打ちする。
「ああ!あの時の!俺の婚約がなかなか纏まらなかった…」
ああやはり、わたくしのせいでご苦労なさっていたのね。なんて申し訳ないこと…
「神出鬼没のしゃしゃり女ミエラ!」
ぷっ。あの女が笑っている。なんて、なんて無礼な!
「お前!誰に向かって笑っているの?!貴族夫人にそんな態度…」
ガンっ!壁を蹴飛ばす音が響いた。
「おい!俺の妻に向かってその態度は何だ!」
「つ、妻…?」
侍従が代わりに答えた。
「ええ、そうです。この方はアティシア・ミズリアン侯爵夫人です。」
「そうなの。事情があって名乗れなかったのは悪かったわね。貴族夫人なの、わたくしも。」
「あ、あんた…あんた如き日陰者が?!」
「ですから!わたくしたちは日陰者ではないの!ちょうど良い隠れ蓑になっていたから敢えて否定しなかっただけよ。」
「ナ、ナディウスさまが…わたくし以外の女と…」
「しゃしゃり女ミエラ、何でそんな呼び名が付いてたかもわかってないのか?」
ナディウスさまがこちらを呆れたような目で見ていた。
「お前の実家は確か、伯爵家だったか?お前の父親を通じて縁談は来ていたが何度も断っただろう?だというのに。」
だというのに?何故?わたくしはナディウスさまのために精一杯尽くして…
「尽くして?何を訳のわからないことを。婚約者候補になった女性に思いつく限りの嫌がらせをしていただけじゃないか!そのせいで何人から断られたことか。」
そこで従者が口を挟む。
「しかも貴方、自身の婚約が成立した頃から言うようになったでしょう?"ナディウス様の縁談が決まらないのは自分のことを諦めきれないから"だって。」
「え、違ったの…?だって、いつもわたくしの方を見てため息をついてらっしゃったから…」
「しゃしゃり女を出し抜いてどうやって婚約を纏めるか、真剣に考えてると本人がちらちら視界に入ってくるんだぞ?ため息も出るだろう!」
そ、そんな。
「酷い!わたくしはずっとナディウスさまのことを!」
「婚約者がいた癖に何を。」
ナディウスさまが訝しげな顔をする。
「ということは!お前の父親はちゃんと説明しなかったのか!」
お父さま?お父さまが何故今出てくるの?今度はわたくしが訝しげな顔になった。
「伯爵令嬢のお前の婚約者が、何故領地も持たぬ男爵だったのか分かっていなかったと?」
「は?え?え?父には先方が一目惚れしてどうしても、と強く言われたと…」
心底呆れた、という顔が突き刺さる。
「あのなあ、領地も持たぬ男爵が強く願ったくらいで伯爵令嬢を娶れると思うのか?」
な、なんで…。わたくしはっ、夫にどうしてもと顧われて…。
わたくしはずっと自分が"選ぶ側"だと思っていたけどそうではなかったと?
今までの自分を全て否定されたようで頭が回らない。
混乱していると、従者が説明してくれた。
「ナディウス様、それでは何も伝わりませんよ。どうせならきちんとご自身の立場を分からせないと。」
「そうだな。…君がしゃしゃり女ミエラと呼ばれていたと言ったろう?あれを快く許してやる家門はとても少なかったという事だよ。」
「…はあ、貴方は本当に言葉が足りない。要するにですね、貴方がナディウス様を守るという大義名分でやらかした嫌がらせ、あれは常軌を逸する行いだったんですよ。」
従者が指を折りながら挙げていく。
伯爵家の威光をちらつかせ孤立させる。
物を壊す。
婚約を辞退するよう恫喝する。
「まあ、この辺りまではね。伯爵家の我儘お嬢様っていう評判通りって事で周囲も苦々しく思う程度でしたよ。でもそれ以降は。」
突き飛ばして怪我をさせる。
空き教室に閉じ込める。
「極めつけは。」
「派閥の関係で逆らえない男爵子息に命じて襲わせようとしたでしょう?」
あ、あ、
「で、でもそれは!分を弁えずナディウス様と婚約をしようとするからっ!」
「打診したのは辺境伯家からですよ?分を弁えるも何もない。」
「まあその事はもういい。だがな、誰がそんな苛烈な女と家庭を持とうと思うんだ。」
「そうですね。貴方のお父上が火消しに走ってお金で黙らせたみたいですが、それでも。」
みんな、みんな知っているから?裕福な伯爵令嬢?
いくら金持ちでも、気に入らないだけであんな事をする女と縁を結びたい家はない?
「どうにか見つかったのがドイゼル男爵ですよ。お父上の急逝で男爵を継いだは良いが不幸続きでね。背に腹は変えられぬ、と貴方に結婚を申し込んだのですよ。」
確かに。夫は領地も持たない、寄親の領地の代官でしかない。貧窮する事はないけれど、過度な贅沢もできない。
それでも、熱心に通って来て何度も求婚してくれたから。
「じゃあ、じゃああの熱心な求婚も嘘だったの?」
「そんなの俺たちに分かる訳ないだろう?自分で聞いてみたら良いじゃないか。」
夫は相変わらず生気のない顔でこう言った。
「すまない、ミエラ。君に熱烈に求婚して欲しいと言われたんだ、お父上に。そして君が真相を知らないままこの土地に引っ込む事を望まれたんだ。それが我が家の借金を肩代わりして下さる条件だと。」
そんな、そんな!あの求婚が嘘ならば!わたくしは諦めずにナディウスさまのおそばにいたのに!
「まあ君が私の妻になる可能性は全くなかったんだ。だから、取り返しのつかない罪を犯す前に嫁いで良かったんじゃないか。」
「それに男爵はそれなりに貴方を大事にしていたみたいですしね。横領までしてしまうほどには。」
※※※
ミエラを養っていくのは大変だった。
なにしろ我が家は借金まみれの領地もない男爵家。
かたやミエラは裕福な伯爵家で蝶よ花よと育てられたお嬢様。
本来なら結ばれる事などあり得ない、そんな格差婚だった。
「お嬢様に熱烈に求婚、ですか?」
借金の肩代わりの条件として出されたのは、そんな条件だった。
「ああ、そうなんだ。娘はまだ在学中なんだが熱を上げている方がいてね。…もう何度もねだられて婚約を打診しているのだが断られていて。」
話はこうだ。ミエラが10歳の頃、同い年の子を集めた茶会のようなものが開かれたそうだ。
これから婚約を検討するにあたって、相性の良さそうな子を見繕うのが目的らしい。
らしい、というのは私自身は参加したことがないからだ。
参加するのは侯爵家、伯爵家。たまに裕福な子爵家というところか。
領地も持たぬ雇われ代官の息子が呼ばれるはずもない。
その時にミエラはナディウス・ミズリアンという辺境伯の息子に恋をした。それから度々辺境伯に婚約を申し込むのだが…
まだ早すぎる
まだ本人にその気がない
今は武芸に夢中だ
………
毎回取り付く島もない。
それでもミエラは諦めなかった。
「だって、本人にまだその気がないのでしょう?」
本人がその気になるまで、虫がつかないようにしなければ!
恫喝。物を壊す。
どんどんエスカレートしたミエラはとうとう婚約者候補に怪我をさせてしまったのだ。
そこで伯爵は諦めた。目の中に入れても痛くない愛娘を。
せめて、ミエラを悲しませずに。でもこれ以上伯爵家の評判を下げないために。
「私としては借金を肩代わりしていただけるというのなら吝かではないですが。」
だが、借金が無くなっても。そもそもしがない雇われ代官だ。
「彼女の生活水準は大きく下がりますよ?いくら借金がなくなったからと言っても所詮は領地も持たない男爵です。今と同じ生活などは期待されても叶えて差し上げられないかと。」
「それは分かっている。こんな事を面と向かって言いたくないが、本来なら君から求婚が来たら怒って追い返したくらいの格差がある。だがな。」
もう待ったなしなんだよ。
怪我をさせた相手も悪かった。彼女自身は伯爵令嬢だが母親は侯爵家の溺愛される末っ子だったらしく、侯爵家からも睨まれてしまった。
「もう娘にはまともな縁談は来んのだよ。」
「…お話は分かりました。……それならばご令嬢には現実を知らせた方が良いのでは。」
伯爵は力無く頭を張った。
「あの娘にはどれだけ言っても理解できないだろう。だから事情を知らせずに恋焦がれて貰って嫁ぐという言い訳が必要なんだよ。」
会ってみて驚いた。そんなに苛烈な事をするとは思えない可憐な人だった。
借金で首の回らない、雇われ代官の男爵に嫁いでくれるならば多少のわがままも可愛く思えた。
私の稼ぎだけではすぐ破綻しただろう。
だが、伯爵からは毎月ミエラへの予算が出ていた。だから以前と同じ、とはいかないが
"田舎町の男爵夫人"
という立ち位置から考えると、充分に自尊心を満たせるだけの生活が出来ていた。
それが。
伯爵家の代替わりにより、予算が減らされた。
「ドレスなんて…そんなにたくさん必要ないでしょう?」
義理の姉にあたる伯爵夫人はもともと評判の悪いミエラに金を注ぎ込む事を苦々しく思っていたそうだ。
確かにこの近辺で開かれる小さな夜会など、毎回違うドレスで参加する夫人などほぼいない。
新品のドレスを毎回仕立てるのなんてミエラだけだ。
だからこそミエラの虚栄心は満たされていたし、愛されていると実感出来ていたのだ。
予算が減らされた?そんなのミエラには関係ない。
私は追い詰められていった。
そんな時に囁かれたのだ。
「ほんの少し。少なく申告するだけだよ、大した事ない。どうせあの任せっきりの伯爵なんかにバレる筈がない。」
この伯爵家の領地は昔から5人の雇われ代官が管理している。彼らの結束は固い。それはそうだろう、だって。
「申告をたったこれだけ。これだけ少なくするだけで俺たちの年収は倍増だぞ?元々の賃金が安すぎるんだから、これくらいは役得ってもんだ。」
秘密を持つ者たちの結束というのは崩すのは容易ではない。そして抜けるのも容易ではない。
「君のお父上も仲間になっていればなぁ。あんなにご苦労される事もなかったろうに。」




