8,意外性と尊厳破壊
シロクロが白い石鹸を作るよりも三年前。
田舎の小領主であるオーガン・ブラック・ガラダは次男にして領地を継いだ三十代の男で、兄のコアクトーを殺してその座についていた。
領地と言っても、管理すべきは幾つかの村と、その中継地となる町くらいのものだ。
収入は、すぐ隣の火山地帯に住まうドワーフ達との交易と、自領の村から集める木材、毛織物、穀物、野生動物の肉や毛皮に支えられていた。
彼が住むケルノーはそれほどでもないが、管理する村や森林には危険な野生動物が多く、財源たる領民と彼らの仕事場を守るべく防衛の為に領地の収入をかなりの割合で投入しなければならなかった。
遊ぶ金欲しさに領地を兄から奪い取ったはずなのに、思っていたほど遊ぶ金も残らなければ、暇もない。
まともな財政状況にならなければ、代わりに仕事をする者も雇えないし、領地を守る事も出来なかった。
読み解くだけでも骨が折れる毎月、あるいは毎年の決算書類を睨みながら領地を守る防衛費をどうにか抑えたいと常々思っていた時の事である。
「お初にお目にかかる。ガラダ子爵。我は名も無き魔術師」
オーガンの執務室に突然現れた薄紫のローブの老人が言った。
どこから入って来たのかと驚いたが、魔術師ならばこういう事もあるのかも知れない。魔法がどういうものかはよく知らないが、とにかく驚くべき事をするものだとは聞いている。
「私は忙しい。魔術師が何の用だ? 雇ってやる金はないぞ」
「我が魔術によって作られた兵器を買ってくれそうな者に声を掛けております。獣害に悩まされるこの辺りでは役に立つのではないかと」
オーガンは胡散臭さを感じながらも、ある程度の興味を持った。しかし魔法の品を買うほどの私財はない。もし領地の防衛に役立つならばその予算から買う事は検討できるかも知れなかった。
「どの程度役に立つのか、どの程度の価格になるかによるな」
「まずはこちらを」
老魔術師は磨き上げられた鉄の板を虚空から取り出すと、何やら短い呪文のようなものを唱えだす。
すると金属板はどこかの兵士の訓練場のようなものを映し出した。
しかしそこに映っているのは人に似て異なる、よくわからぬ種族や果ては異形とも言えるものが映っていた。
それらが武器を振るい、あるいは魔法を使って訓練している。
音は聞こえないが、大きな武器を片手で軽々扱う大男や、地面に打ち込まれた太い丸太を素手で殴りつけてひしゃげさせる男、掌から火炎を噴き出し的を消滅させる者はとんでもない迫力だった。
「これらが我が成果物、魔法兵器でございます。そこらの兵士と違って戦いに臆さず、命令には忠実。死んだところで遺族に払うものも発生しませぬ。御覧の通りそれぞれが一騎当千と自負しております」
オーガンは胡散臭さを拭えぬこの魔術師を見た。
薄紫のローブ、長い髪は雑な三つ編みにされていて、同様に長い髭も緩く三つ編みにされていた。どちらも真っ白で、相当な年齢に見えるが、背筋はまっすぐで姿勢も良い。老人に扮しているだけで、思ったよりも若いのかも知れなかった。
「名のある魔術師なのか? 貴様の名は?」
「我は名も無き魔術師。どうしてもというのであれば『何某』とでも」
「人を食ったような事を。高い買い物だ、即決というわけにはいかぬ」
「よいでしょう。それでは後日また現れましょう。優れた個体から売れると思いますので、決断はお早めに」
そう言って老魔術師はにんまりと笑ってから煙と共に消えた。
後日、オーガンは腕が四本ある筋骨隆々の大男を買い付けた。
この魔法兵器は名をデュランと言い、大型の危険な害獣も一人で倒してしまうほどの偉丈夫であった。
ガラダ子爵領の防衛費は大して抑えられなかったが、被害は格段に減り、オーガン・ブラック・ガラダは少しだけ遊ぶ金と暇を手に入れたのだった。
◇◇◇◇◇
ケルノーの町にある酒場兼宿屋、鉄鋼樹の護り亭。そこでゴーリーはサイラスから真っ白な、丸まった猫の形をした固形物を見せられていた。
ゴーリーにとって、サイラス・ハルザーンはただの雇い主ではない。盟友である。
サイラスは少数民族の出で、その商才と勤勉さを妬まれ、生まれ故郷では潰されかけた男だ。
故郷を捨てて行商人として身を立てると言い出した時、ゴーリーもまた、無能がコネでのさばる場所に嫌気が差していた。
以来、二人は行動を共にしている。
堅実に信用を積み上げるやり方が信条だったサイラスが、この掌よりもやや小さな白い猫型の固形物を前に、興奮を隠しきれずにいるようだった。
川に打ち上げられていた少女をサイラスが保護するといった時は何事かと思ったが、その少女が昨夜ひと騒ぎ起こした。
それがこの目の前の真っ白い猫の形の”石鹸”である。
「こいつぁ絶対に金になる。だが石鹸職人は特別な許可を取らないとなれないし、販路も製法も商業ギルドがおさえてる。シロクロはなんでこんなものの作り方を知ってるんだ? どうにかしてコイツを俺達で売る事は出来ねぇかなゴーリー」
「正直難しいだろうな。石鹸の偽物作りは重罪だ。しらばっくれて一個二個を売る事は出来るだろうが、こいつぁ絶対に人気が出るし、お貴族様方の目に留まったらシロクロが誘拐されかねん」
テーブルに突っ伏して悔しそうに唸るサイラスを見てゴーリーも頭をフル回転させるが、妙案は浮かばなかった。
今もシロクロは傭兵に見守られながら、宿屋裏手の炊事場で石鹸を手作りしている。
傭兵達とキャラバンのメンバー達が彼女の作った石鹸を欲しがったため、試作を兼ねていくつも作っているのだ。
もちろんサイラスの分もゴーリーの分も含まれる。サイラスはこの石鹸作りをキャラバンの経費として認め、材料費と彼女の手間工賃を出すと決めた。
そこまでは良い。しかしゴーリーもサイラスも、この石鹸はしばらくしたら噂になってしまうだろうことを分かっていた。
宿屋の主人と看板娘だけでなく、他の宿泊客にまで見られたのが大きい。
あれからサイラスのもとに「あの石鹸は売り物なのか」、「いくら出したら売ってくれるのか」という問い合わせがまとめて来たのだ。
ゴーリーも出来る事ならこれを売り捌いて一儲けしたかったが、商業ギルドと石鹸職人は良い顔をしないだろう。
(いずれにしても商業ギルドと石鹸職人ギルドには話を通さなければならんだろうなぁ)
木製のジョッキに残っていたぬるいエールを煽ると、看板娘のヨハンナがつつつ、と近付いてきておかわりがいるかと聞いてきた。
ヨハンナの笑顔はテーブルに置かれた白い猫に注がれている。
「おかわりを頂こう。腸詰肉も頼むから、そんなに石鹸に熱い視線を送らないでくれ。まだ値段どころか販売許可が出てないんだよ」
「えぇー残念。ヴィクトリアさんやファルナさんがあんなにはしゃぐとこ初めて見たんですから、早く許可取って売ってくださいよ。あっサービスしたら個人的な贈り物として融通して貰えたりしません?」
ヨハンナは冗談めかして胸元を少し開き、胸の谷間を見せつけてウインクした。
サイラスがエールを噴き出して焦り出す。
「おいよせ、友人の娘に手は出せねぇぞ!」
ゴーリーも「俺も妻子がいるからな。バカな親不孝はやめておけ」と苦笑した。
(こんなものをギルドに持って行ったところで、難癖付けられて捕まって製法を吐くまで絞られるだけだろう。よく知らん石鹸職人に協力を求めたところで、知識と権利を持ち逃げされるのがオチだ。……なんでいきなりこんな事になってんだ?)
実に頭の痛い問題だった。
◇◇◇◇◇
石鹸を塩析した翌日。
私は早朝から市場に買い出しに来ていた。
今回はラズロウさんとベルナールさんが護衛としてついて来てくれている。
なんでも良いのでとにかく大量の塩を買い付けて、必要な分の石鹸を手に入れる必要があった。
早朝からミルクやチーズ、肉、新鮮な野菜、小麦粉などの食材があちこちで売られている。
近隣の村からも売りに来ているのだという。
もちろん食材以外にも様々なものが売られていて、昨日ヴィクトリアさん達と来た時とは違った雰囲気で目移りしてしまう。
塩を売っているお店というのがなかなか見つからない中、やっと岩塩を売っている露店を発見した。
大小さまざまな岩塩をドワーフの男性が宝石のように並べて売っている。
ドワーフというのは120~130㎝足らずの身長だが、横幅がある、がっちりした体格の長命種だ。勇敢な戦いぶり、苦痛に耐える頑健さ、大地の秘密に関する知識と勤勉な働きぶり、そして底なしの飲酒量で知られている。
そこに並べられた岩塩に値札はなく、透明な結晶の中に様々な不純物が閉じ込められた品々だ。
岩塩坑から掘り出した形のまま並べているようで、不透明なピンク、または赤茶色に濁ったような色の物ばかりだ。
私が塩を眺め始めても、店主のドワーフは小さな半月状の櫛で髭を梳いているだけだった。
「こちらのお塩はどのくらいの量でおいくらになりますか?」
私がそう聞くとドワーフは初めてこちらに視線を合わせてきた。
「綺麗な塩じゃないから安くしよう。計って売るからたくさん買ってはもらえんか」
なんだかこのドワーフさんは、あまり元気がないみたいだ。売れてないのかな。
ただ問題として私では相場観が無いのだ。
ベルナールさんとラズロウさんを見上げると、二人とも何か問題があるのかという顔で見返された。
「あの、この岩塩を買いたいんですけど、いいですか?」
私は露店の中で一番大きな岩塩の塊を指差してみた。
ドワーフさんは驚いたようだったが、秤に乗せてから価格を告げてきた。
またベルナールさんとラズロウさんを見上げる。
ベルナールさんは穏やかに微笑むだけだったけれど、ラズロウさんが頷いてくれた。
多分提示された価格で問題ないのだ。
「ではその価格で」
私が財布からお金を出して並べると、ドワーフさんは丁寧にそれを数えて、お釣りをゆっくりと並べてくれた。
並べながら計算しているみたいで少しハラハラしたけれど、間違っていなかったので受け取り、次の塩の塊の価格を聞いてゆく。
「こっちのも同じ価格で良いですか? これは? 色合いによって変わるんですね。赤いって事は鉄鉱脈が近くにあるんですか?」
「お嬢ちゃん凄いな、なんでそんな事までわかるんだね。あと計算がすごく早いのは、どういう事だ?」
「えっ? あ、あー。以前赤い石は石に含まれる鉄が錆びるから赤くなるんだって聞いた事がありましてー。……計算は別に早くない、と思いますよ?」
ヤバい、どっちも前世の知識によるものですとか言えないから、笑ってごまかしちゃおう。
早くないですよねぇ? とベルナールさんとラズロウさんを見上げると、ベルナールさんは「俺よりずっと早いよ?」と微笑み、ラズロウさんはなぜか不審者を見る目で私を見下ろしていた。
「お嬢ちゃん一人に子守が二人もいるのかと思ったら、どこかの豪商の娘さんなのかな。わしは数字が苦手だから、ちゃんと教育されているようで羨ましいよ。たくさん買ってくれてありがとうなぁ」
誤魔化し笑いのまま露店を離れると、ラズロウさんに「あのなぁ……」と溜息をつかれた。
「目立ち方が予想外過ぎんだよ、なんだよ計算が出来るって。聞いてねぇぞコラ」
ええ、待ってください、まさかそんな事で目立つだなんて思ってなくてですね?
ででででもどう言い訳すればいいのやら……。
私がわたわたしてたら、ベルナールさんが押し殺したようにくっくっと笑い始めた。
「いやあ、さすが魔法使いに育てられただけあると思うよホント。大人だって自分の名前を書くのがやっとっていう人も多いのに、言うに事欠いて『計算は早くないと思いますよ』って……。あっはっはっはっは」
あっしまった識字率——?! 現代日本の前世に加えて、育った環境が特殊過ぎてそこまで思い至らなかったぁーッ!
とかやってたら、市場をかき分けながらデュランさんが近づいてきて挨拶してくれた。
ベルナールさんとラズロウさんが見上げるほどの体格だと、いるだけで注目されるようだ。
「また会ったなシロクロ! しっかり食ってるか? そちらのお二人はシロクロの保護者かな、わしはガラダ子爵の騎士団に世話になっておるデュランと申します。身体ばかり大きくなった割に、小さなシロクロにはだいぶ世話になりました。デカすぎて怖がられる事もあるのですが、以後お見知りおきを」
背中を丸めて眉尻を下げて笑うデュランさんからは敵意も何も感じない。
小さい時にデュランさんの持ち物を〈洗浄〉したり、好き嫌いなく食べないと病気になるって心配した事を、そんな風に言ってくれるなんて思わなかったので、ちょっと嬉しかった。
「俺はラズロウ。傭兵をやってる。今日は彼女の護衛だ」
「同じく、傭兵のベルナールです。町の警邏を一人で?」
二人がさりげなく私の盾になる位置に出て挨拶を交わす。
デュランさんは手袋を外して二人に握手を求めた。
「や、こいつぁご丁寧に。さすがに警邏は仲間と共にやらせてもらっております。もう少しお話したいが、仲間を待たせ過ぎてしまったようだ。また機会があればお話を伺いたいですな。それでは失礼」
デュランさんはそう言って笑いながら去っていった。
途中、何人かから挨拶されていたので、町に受け入れられているのが感じられた。
「あいつが昨日聞いた魔法兵器か。ガタイもそうだが、手がデカかったな」
ふぅーっと息を吐きながらラズロウさんが感想を呟いた。
ベルナールさんも緊張していたのか、手の甲で額を拭った。
「あの腕だと片手で大剣や両手武器を振り回してきそうですね。敵意を感じないのに威圧感が凄い」
「まぁ、出来れば相手にしたくはねぇな。アレのお世話してたって、何やったんだシロクロ?」
え、そこ気になるんですか?
「デュラン先輩は力がすごく強いんですけど、身の回りの事がてんでダメで、部屋は散らかり放題、自分の装備の手入れもまともにしてなかったんです。ある時何か焦って探し物をしていた時に手伝ってあげてから、部屋を片付けてあげたり、汚れたものを〈洗浄〉したり、火鉢の火をつけてあげたりしてました。あんなに強いのに、一人で火鉢の火をつける事も出来ないんですよ」
「あぁ? なんだそりゃ」
「デュラン先輩は私が言わないと、食器も片さないし、飲み物をこぼしてもそのままにしちゃうんです」
説明を重ねていたら、ベルナールさんとラズロウさんがものすごく渋い表情になっていた。
「わかった。分かったから、それ以上言わないでやってくれシロクロ……」
「可哀想に、まさか自分の知らない所でこんな事暴露されてるとは思いもよらないでしょうね、あいつも……」
えぇ、なんか私が悪いみたいになってない? 理不尽過ぎると思うんですけど?!




