7,白くて綺麗
魔法と錬金術を駆使して複数の生物を組み合わせた生き物はキメラまたはキマイラと呼ばれる。
こうした生き物は大抵不安定で、生殖能力を持たなかったり、同じ性質を持つ個体を再現できなかったりする場合が多いのだが、再現性や生殖能力を持ち、野生化した例もある。
中には高い知性を持ち、種族として世に根を張って、他の種族と共存共栄している事すらあった。
一方で、既存の生物を組み合わせるのではなく、全く新しい生き物を一から作る研究も長い間行われている。
このようにして生まれた生物はホムンクルスと呼ばれる。
このホムンクルスを一定の方向性を持って作成し、教育を施すという実験を行う者がいた。
かの魔術師は複数の貴族や権力者、資産家に自身が生み出した成果を売り込み始めた。
ほとんどの場合、魔術師の言う事は詐欺のように扱われ無視されたが、興味を持った少数派はかの成果物に価値を見出した。
かくしてかの魔術師は後ろ盾と資金を手に入れ、高い戦闘能力を持つホムンクルスを生み出し続けた。
この施設は通称『訓練場』と呼ばれ、商品は『魔法兵器』と呼ばれるようになっていった。
◇◇◇◇◇
訓練場の麓から一台の四輪馬車が出発した。
御者台には中年の男が座り、黙ってじっと前だけを見つめている。
馬車の中では大柄で筋肉質な、頭部から角を生やした青い肌の男——ジョウゼンが不機嫌そうに座っていた。
対面にはしわだらけの礼服を纏った、まだ若いはずなのに疲れ切った顔の女が足を組んで座っている。
横柄な態度でジョウゼンが口を開く。
「で、なんでお前が一緒に行くことんなってんだ」
「私はジョウゼン様の身の回りのお世話を言いつかっておりますので。ご不満でしょうが我慢してください」
「ああ、ああ、そりゃあご不満だよ間違いない。お前と来たら口うるさく草と葉っぱを食えだの、手を洗えだのと言うからな。訓練場の外でくらい好きにさせろや。なぁジェーンちゃんよ? どうせ誰も見張ってねぇんだから羽根伸ばそうぜ」
女は隈の酷い目を半眼にして大きく溜息をつく。
「私はアヤメです。一文字すら合ってないじゃないですか。私が口うるさいというなら、少しは指示に従ってください」
「やなこった、誰が好き好んで草や葉っぱを食うんだよ。シカやウサギじゃねえんだぞ」
「強い男は好き嫌いなんてしないもんですよ。……あぁ、ジョウゼン様はまだ売却予定も無いんでしたもんね。失礼しました」
「ぁんだとてめえ、俺が弱いから売れてねぇって言いてえのか?!」
目を剥いて怒りを露わにするジョウゼンに対し、アヤメはそっぽを向いて舌を出した。
ジョウゼンに手を上げられれば、只人のアヤメなどひとたまりもなく死ぬ。良くても大怪我は免れない。
だがジョウゼンは、アヤメに手を出せずにいた。アヤメがいなければ食事も寝床も整えられないからだ。
少なくとも今はまだ、それだけの理性が働いているようだとアヤメは冷静に分析した。
馬車で数日の距離にある「ケルノー」が目的地である。
目的を達成するまでこの頭の悪い魔法兵器には健康でいて貰わなければならなかった。
アヤメは目の前で苛立ちを貧乏ゆすりに変換しているジョウゼンから見えぬようにそっと溜息をついた。
(本当にこの魔法兵器は任務を達成できるのかしら)
出発したばかりだというのに、頭の痛い話である。
◇◇◇◇◇
鉄鋼樹の護り亭で私はいくつかの連鎖的な問題に頭を悩ませていた。
ケルノーの町には大衆浴場がたくさんあり、町の人々は定期的に入浴する事で身体を衛生的に保っているのだが、各人の使っている石鹸が曲者なのだ。
まず石鹸自体の品質にかなりばらつきがある。獣脂石鹸ではなく植物性油脂を使った石鹸なので、匂いは悪くないのだが、いきなり普通に使えない。
私が初めて石鹸を使おうとした時に、ダルさんに慌てて止められたほどだ。
石鹸はギルドが認めた職人が特別な許可を得て作っているのだが、手作りなので肌に対して強すぎるものが何割か存在するのだという。
だから新しいものや、初めて触れる石鹸は少し水に溶かした石鹸液を手首の内側や肘の内側に少量塗って、様子を見てからじゃないと使ってはいけないらしい。
仕事で洗濯する者などを中心に、火傷のような症状が出る事すらあるという。
(完全に化学火傷なんだよなぁ)
灰に含まれるアルカリと油が反応すると鹸化が起こり石鹸が生まれる。
高校の授業でこれを知った時は混乱した。
灰、つまり燃焼したという事は酸素と結合しているんだから酸性ではないのかと思っていたら、そこにアルカリが出てきて意味がわからなくなったのだ。
酸素と結合した炭素や水素は気体となって離れていくので、灰の中には木が地中から吸い上げた金属成分、つまりミネラル分が残される。
その中でもカリウムなどを含む成分は、水に溶けるとアルカリ性を示す。
勉強しながら、酸化だの炭酸だの言っているのにアルカリ性とか頭おかしいってずっと思ってたから覚えてた。
だから灰を水に溶かして、そこに油を加えることで石鹸が作られている事は多分間違いない。
職人がいてなおこれほど品質にばらつきがあるという事は、製法はかなり勘に頼っているのだろう。少なくとも、塩析はまだ発見されていない可能性が高い。
ただこの方法をやるには大量の塩と軟水が必須で、この地域の水は硬水という……問題が山積なのだ。
ヴィクトリアさんもファルナさんも髪と肌が荒れ放題なんだけれど、髪を洗うと軋むのであまり洗髪したがらない。
これはもう石鹸の弊害というか、アルカリ成分が髪のキューティクルを逆立てるから軋むので、弱酸性の洗剤か界面活性剤が早急に必要だった。
ただ、石鹸を弱酸性にするのは難しい。石鹸はアルカリ性だからこそ水に溶け、油汚れを包み込める。酸性に傾けすぎれば脂肪酸に戻って水に溶けにくくなり、洗浄力が落ちるどころか、べたつく汚れのようなものになってしまう。
この世界にサポニンやソープベリーがあればいいけれど、発見されていないかそもそも存在していないかも知れなかった。
つまり弱酸性でありながら煮出したら泡立つような植物があれば、シャンプーや洗浄液に流用できるのだ。
頭の痛い問題だった。
◇◇◇◇◇
ダルさん、ファルナさん、ベルナールさんと一緒に市場で食材を買っている時、私はいくつかの石鹸と塩、鉄の鍋を自分のお金で買った。
お金がほとんど残らないが、どうしても試したい事があるのだ。
ダルさんが私の個人的な買い物を不思議そうな顔で見ていた。
「いくつも石鹸を買ったと思ったら、鍋に……ほとんど買えるだけ塩を買ったのかい? そんなに使っちゃって大丈夫なのか?」
「いくつか試したい事があるんです。錬金術的な事なので見通しが立ちませんが」
錬金術と聞いてファルナさんが興味を示した。
「買ったものから、何をするのか全然見えてこないわねぇ。なにをするつもりなの?」
白蛇がファルナさんのマントから顔を出して、石鹸の匂いを確かめている。
「石鹸をより安全に、使いやすくするのが目標ですね」
その場の誰もが驚いた顔をしていた。そりゃそうだと、言った自分でも思うくらいだ。
宿に戻ると、私はダルさんと夕食を作った後で宿の裏にある自炊用の炊事場をお借りして実験を開始した。
興味本位でファルナさん、マルクスさん、なぜかサイラスさんとヴィクトリアさんが見に来ていた。
ファルナさんに鍋いっぱいの軟水を作ってもらい、今日買ってきた茶色みがかった岩塩を溶かしてゆく。最初の工程は精製塩を作るところからだ。
「まずはこうして出来るだけ濃い塩水を作ります」
濃い塩水をさらに熱し、布と炭から作った簡易フィルターでこれを濾過する。
「この布には炭が入っているのですが、炭は大地の精霊力と親和性が高い……くっつきやすい特徴があるので、これに塩水を一度通します。布がごみや余計なものをより分け、炭に大地の精霊力が吸い寄せられるんですね」
火に掛けている間は手持ち無沙汰だったので、私を心配して見に来てくれている人に何をしているのかを説明してみた。
マルクスさんとファルナさんは「ほぅ」とか「へぇ」とか感心しているみたい。
サイラスさんとヴィクトリアさんはよくわからないながらも、その先に何が出来るのか興味があるようだった。
フィルターに残った砂や水に溶けない不純物はいったん脇に除けておき、今度は濾過した濃塩水を煮立てて水を蒸発させると、塩が再結晶化してゆく。
「なんか真っ白な粒々が出来てきている、のか? 湯気がすごくてよく見えないが」
サイラスさんが感想と質問が混じったような言葉を漏らした。
「岩塩にはいろんなものが混じっていて、それが雑味になっていたんですが、今は高純度の塩だけを取り出そうとしているんです」
水が蒸発して鍋底に湿った塩が現れ始めたところで、最初に出来た白い結晶だけを匙で掬うと、表面にまとわりついた苦い液を落とすため、ファルナさんの冷たい軟水をほんの少し掛けて素早く洗った。
私が〈乾燥〉で洗浄した塩を乾かすと、綺麗で真っ白な塩が現れた。
〈鑑定〉を使うと不純物がかなり少なくなった事がわかる。
みんなが驚いた顔で結晶を見つめた。
少しずつ小皿に分けて確認してもらおう。
最初に口を開いたのはマルクスさんだ。
「すごい……。こんなに白く輝く塩は初めて見ました」
マルクスさんは指先に少しつけて舐めると、驚いたように目を見開いた。
「塩の味が鋭く尖っているような……これが高純度の塩、というわけですか。このサンプルを少し頂いても良いですか?」
それを見たサイラスさんがやはり少し舐めてみて、唸った。
「シロクロ。驚くべき事にこいつぁ上質の塩だ。貴族や金持ちが幾らでも金を積むぞ。お前これをあとどのくらい作れる?」
「安い塩を一キロ買ってきてもこのくらいに目減りしますから、商売として成り立つのかな」
「鍋にはまだ塩があるじゃねえか。それは質が落ちるのか?」
最初の白い結晶を取り除いたあとに残った、色の悪い結晶を小皿に取って〈乾燥〉すると、茶色いような灰色っぽい結晶になった。まだ精製を繰り返したら多少は塩を取り出せるかもしれない。残った液体がいわゆるにがりに近いものだ。
それをサイラスさんに手渡して「少し舐めてみてください」と促した。
サイラスさんがさっきと同様に舐めると何とも言えない表情で何とも言えない声を上げてむせ始めた。
「うぇっほ、げほっごほっ! なんだ、こいつぁ……苦い! にがしょっぱい!!」
「これは大地の精霊が持っている力の一側面というか……この苦みの元になるものは、生き物の骨を作ったり、筋肉や神経を正しく動かしたりするのに必要なんです。これがたくさんあると塩が美味しくなくなるので、取り除いたわけですね。これはこれで使い道があるので冷まして取っておきます」
「こんなもんに使い道があるのか? 錬金術ってのはよくわからんが、金になりそうだって事は分かったぞ」
大変サイラスさんらしいというかなんというか。確かに綺麗な白い塩は高く売れるかも?
マルクスさんも少し舐めて、固まっていた。
ファルナさんが「ところでなんで私の水じゃないと駄目だったの?」というので、答えておく。
「この辺りの水は山の神様の力や大地の精霊の力が強いので、白い塩がその分取りにくくなるんです。塩自体が少なくなるわけではないんですけど、取り出すのが大変になるって言うか。ファルナさんの水はなぜか大地の精霊の力が少ししか含まれないので、とてもこの実験とは相性が良かったんですね」
説明しながら一旦精製塩実験を終えて片付けると、今度は買ってきた石鹸を削って、またファルナさんの軟水で石鹸水を作る。
みんなが次の準備を見て、まだ何かやるのかと言いたげな顔をし始めた。
「ここからが本番です。私はこの石鹸をどうにかしたかったんです」
するとヴィクトリアさんが、石鹸を削って水に溶かすのを手伝ってくれた。
「なんだかわかんないけど、シロクロちゃんが言うならホントにどうにかしちゃいそう。手伝わせて!」
石鹸が溶け切った液体はやや泡立ちながらも少し粘度がある。
私はそこにさっき作った真っ白な精製塩を全部ぶち込んだ。
サイラスさんが驚いて固まったのちに、大声で「お、おまっ。何やってんだ、貴重な塩をお前!!」とわめき始めた。
「まぁまぁそう狼狽えずに。お塩なんかより私にはこっちの方が重要なんですよ」
なんでもない事のように笑顔でサイラスさんに答えると、鍋の中身が劇的に変化していった。
白い塊が水に浮き始め、固まりの間から鍋の底に何かが沈殿しているのが見える。
思い通りの結果に満足して、白い塊を掬い上げた。
塩を大量に入れたことで、石鹸成分が水に溶けていられなくなり、白い塊になって浮かび上がってきたのだ。グリセリンや余分なアルカリ、不純物の多くは、塩水の方に残る。
掬い上げた白い塊に確認のために〈鑑定〉を使うと余分なアルカリと灰などの不純物のほとんどは取り除かれ、肌への刺激はかなり低くなった。これならそのまま使っても安全だろう。
白い塊——不純物が少なくなった石鹸を【創造魔法】で丸くなった猫の形に固めてみた。
少しずつ自分に〈鑑定〉を掛けて【創造魔法】についても調べていた私は、深夜と早朝に実験を繰り返してちょっと使えるようになっていたのだ。
無から何かを作る事も出来るけれど、材料の有無や作り方を知っているかどうかで内包魔力消費量がかなり抑えられるので、今回は【創造魔法】で形を作ってみたというわけだ。
「この石鹸を軟水で使うと、今までにない泡立ちと洗浄力が期待できると思います」
真っ白な石鹸が可愛らしい丸まった猫の形になった事でファルナさんとヴィクトリアさんが目を輝かせてきゃいきゃい言い始めた。
サイラスさんとマルクスさんも思わぬ事態に目を見張っている。
みんなの目が石鹸に向いている間に塩析した塩水を【亜空間収納】に仕舞い込み、成分ごとに仕分けておく。
〈鑑定〉を使うと大まかに分けて不純物と塩、そしてグリセリンだった。グリセリンは水に溶けやすく水を抱え込みやすいので、石鹸が分離したあとも、塩水の方に溶けたまま残っていたのだ。
グリセリンは化粧水やハンドクリームに使われる代表的な保湿成分の一つだ。これを上手く使えれば、サイラスさんが泣いて喜ぶかも。
胸の内でぐっと拳を握り締めた。
改めて水場でファルナさんに軟水を出して貰い、みんなで顔を洗ってみようと持ち掛けた。
ヴィクトリアさんとファルナさんは興味津々でむしろやらせてほしいと言い、マルクスさんはまずは普通に手を洗う事に。サイラスさんだけはちょっと反応が違った。
「おい、こんなきれいな石鹸、本当に使っちまって良いのか? このまま出すとこ出したら結構な額に出来るはずだぞ」
そうだとしても試験は必要なんですよサイラスさん……。
結局、またこの石鹸や白い塩を作ると約束して、サイラスさんにも使い心地を試してもらうことになった。
まずはヴィクトリアさんがこの石鹸を試してみた。
少し溶かした石鹸は軟水で白く泡立ち、それだけでもみんなは目を見開いて驚いた。
一般的な石鹸——塩析する前の石鹸とはまず泡立ち方が全然違うのだ。
「手を洗った分には、良い感じ。すぐに泡立って肌が突っ張る感じも無いわ。じゃあ次は……顔、ね」
少し緊張した面持ちで顔を洗い始めるヴィクトリアさんだったが、ファルナさんはそれを見ながら「どう? どう?」と感想を急かしていた。
「たくさん泡立ててから、泡で肌を撫でるように洗ってください。手で肌を擦らないように。泡を水ですすぐ時も手でごしごししないように気を付けて。水だけで泡を流すことを意識して、生え際に泡を残さないようにしてください」
洗顔するヴィクトリアさんに洗顔時の注意をしておく。少し口うるさいかも知れないけれど、美容は小さなことの積み重ねなのだ。
やがて念入りにすすぎ終わったヴィクトリアさんがタオルから顔を上げると、興奮した様子で感想を述べ始めた。
「すごい! すごいよコレ! スッキリするのに全然顔が突っ張らないし、臭くないし、痛いとかもない! ちょっとファルナもやってみ?!」
実験は成功したみたいだ。
その後うっかり私が「ぬるま湯ならもっと気持ちよく洗えますよ」と口を滑らせてしまった事で、お湯を沸かしてみんなで洗顔大会が始まった。
驚いたのはファルナさんの白蛇さんが珍しくファルナさんから離れて、石鹸の泡に反応していたことだ。
洗顔後のファルナさんの顔周りに巻き付いたりして、白蛇さんも石鹸が気に入ったんだろうか?
思ったより時間がかかってしまい、様子を見に来たバスキアさんまで洗顔大会に巻き込んでしまったけれど、意外にその有用性に気が付いてくれたようで、「大手柄だなシロクロ。材料費と手間賃を用意したら俺にも作ってくれるか」と言われてしまった。
バスキアさんみたいな男性が石鹸に気を使うとは思わなかったけれど、よく考えたらバスキアさんが私の最初のお客様になってくれたのだと思ったら、なんだか嬉しいようなくすぐったいような気持ちになる。
ひとしきりわいわいやっていると他のメンバーだけでなく、全然知らない宿泊客や宿のご主人まで来てしまい、サイラスさんが私を隠すようにして炊事場の隅の方に誘導してくれた。
「良いかシロクロ。こいつぁ金になる。それもとてつもない金にだ。だが一つ間違えば、身を滅ぼすほどヤバいものでもある。何かする時は俺とゴーリーに必ず相談しろ。約束できるか?」
えぇ、そんなに……?
それでも私は真剣な顔のサイラスさんに気圧されて、「は、はい。わかりました」と返事をした。




