11,お風呂と実証試験
櫛を買ったので公衆浴場の前でヴィクトリアさんとお別れする。彼女はもうお風呂に入った後だから、また宿に戻るのだ。
「今日はシロクロちゃんがあんなに気に入る櫛が見つかって良かったわ。あんなにいっぱい買うとは思わなかったけど」
「一つ分お金を出して頂いてありがとうございます。あの、この櫛の香りは多分、ヴィクトリアさんに似合うと思うので、良ければ使ってみてください」
そう言って先ほど買った櫛の内の一つをヴィクトリアさんにプレゼントした。
ヴィクトリアさんはまさかそう来るとは思っていなかったらしく、驚いて断ろうとする。
だがここで退くわけにはいかない。今は荒れ放題だけど、この櫛を使えば使うほど、ヴィクトリアさんの髪は劇的に変わるはずなのだ。
「ちょちょ、ちょっとシロクロちゃん。あたしが買ってあげたのに、それをあたしが貰ったら意味ないって」
「そんなことないですよ。私は私が身に着けたい香りのものを買ってもらって、これは私がヴィクトリアさんに纏って欲しい香りの櫛を自分で買ったんですから」
「ぅん? え? どう、なのソレ? 待ってちょっとややこしい」
「ヴィクトリアさんの髪がこの香りをふわっと漂わせたら、きっとみんな振り向くんじゃないかなぁ。絶対この香りが似合いますって」
「えぇ? でもあたしがシロクロちゃんに櫛を買ったげるって約束してたし」
「えぇ、こっちの櫛を買ってもらって、この櫛は私のお金で買いましたよね? 櫛を一つ買ってもらって、自分で二つ買い足したわけです。で、その内の一つはヴィクトリアさんに似合いそうだと思って買いました。もう一つの方はファルナさんの為に。はいこれ、ファルナさんにプレゼントです」
突然ファルナさんに櫛を一つ握らせると、不意を打たれたファルナさんはほとんど反射的に櫛を受け取っていた。
それを見たヴィクトリアさんが混乱する。
「ファルナ、あたしよく解んなくなったんだけど?!」
「うちもわかんないけど、貰っていいんじゃないかな、お互いにプレゼントしたって事でさ。うちもシロクロちゃんに髪飾り買ったし」
なにも間違った事は言ってなかったと思うけど、なんとなくヴィクトリアさんを言いくるめたような感じで櫛を渡してしまった。
ちょっとまだちゃんと理解出来てないような顔のヴィクトリアさんと手を振ってお別れして公衆浴場の入り口をくぐる。
公衆浴場に来るのは初めてだ。前世の日本で何度か行った事があるけれど、ここは水道も発達していないようだし(町の各所に井戸があって、そこから汲んで持ち帰るのだ)、どういう仕組みで運営されているのか興味があった。
銭湯と同様に、番台にいる人に料金を払うのだが、銅貨数枚とリーズナブルな価格設定になっている。
番台のすぐ下ではウサギのような耳と、膝が逆関節みたいに見える脚を持つ、背の高いビーストフォークのお姉さんがいて、手拭いや石鹸の他、湯泥や洗髪用の粉というものが売られていた。
このウサギのお姉さんは全身が体毛で覆われていて、頭髪が特に長い。
目が合うと「やぁいらっしゃい」とにこりと笑ってくれた。
多分この人が石鹸販売をしているのは、普段から使っているとこのくらい髪が綺麗になりますよ、というのを見せる意味もあるんだろう。髪がさらりと艶やかで、とても綺麗だった。
この人はビーストフォークの中でも口吻がほとんど目立たない、かなり人間寄りの顔をしている。
ビーストフォークの多くは薄着の事が多く、このウサギお姉さんもへそ出しタンクトップみたいな上着に短いベスト、前世でいうところのマイクロミニみたいな腰布という出で立ちだ。
うーん、これは目のやり場に困る奴。私の視点だと下着の褌みたいなのが丸見えなんですよ……。
それでも洗髪用の粉というのが気になったので、尋ねてみる。
「すみません、この洗髪用の粉というのはどんなものなんですか」
「これかい? これはつい最近発売された新商品でね。お湯と混ぜて使うんだが、泥状になった物を髪に丹念に塗ってから洗い流すと、髪はもちろん頭皮も綺麗になるというものだよ。石鹸と違って泡立たないから、使っている時は疑わしいんだが、髪が軋んだりゴワついたりしないのさ。君も長い髪を洗う時に苦労した事があるだろう? 私も使っているから、この通り綺麗なものだ。使った事がないなら、お勧めだよ」
キャンギャルみたいな恰好なのに白衣のマッドサイエンティストキャラみたいな口調で驚いた。
なんてキャラの濃い人なんだ……。
興味があったのでファルナさんと二人で買う事にして、詳しい使い方を聞いた後で〈鑑定〉を使ってみた。
『火山灰由来の粘土鉱物を天日干しし、細かく砕いた粉。水を含むと汚れや垢を抱え込み、髪や肌から引き離す性質を持つ。髪表面をわずかに荒らすが、内包された地の精霊力がその隙間を埋め、指通りを滑らかにする』
……うん、ここまでわかっちゃうとは思わなかった。ちょっと職人さんとかの秘密を垣間見てしまったけれど、見なかったことにしよう。
脱衣所スペースはだいぶ広くとられていて、一辺には鉄を磨いた鏡がずらりと並んでいる。簡単な鍵の掛かる木製ロッカーが並んでいて、そこに服や荷物を仕舞って浴場に入るのだ。
私達も服を脱いで裸になると、タオルで身体を隠しながら浴室に向かった。
浴場は大きなプールのような浴槽が真ん中にあり、浴場の周りに木製の椅子と桶がいくつも置いてある。そこで髪や体を洗うようだ。
また、籐で編んだ低いベッドのようなものがいくつか並べられていて、そこではマッサージや垢擦りが行われているのが目に入った。
浴槽とは別に大きな樽に湯が満たされていて、体や髪を洗うお湯はそこから手桶や柄杓を使って取り分けて使う。
水道がないだけで、システム的には日本の銭湯とそう変わらない。
山型に積まれた桶を手に取り、手桶で湯を取ろうとしたら、ファルナさんがやってくれた。
私だと少し樽の高さが高いと思っていたので、凄く助かる(背が低い種族もいるので踏み台もあるけど、少し滑りやすい)。
床は少しざらざらした石が使われていて、滑り止めのつもりなのだろうけど、ここで転んだら酷い事になりそうだと肝が冷える。
浴場の隅の方に薄着の人が立っているけど、なんだろう?
「ファルナさん、あの辺に立っている服を着た人は一体?」
「あぁ、あの人は垢擦りをしてくれる人だねぇ。あの手に持ってる曲がった板みたいなのとオイルや湯泥を使って体を洗ってくれるんだよ」
「へぇ。オイルは分かりますけど、入口でも売ってた湯泥っていうのは何です?」
「あー。昔は湯泥が一般的だったんだよー。灰を泥に溶いて汚れを落としてたの。上手く作れる人達を商業ギルドが集めて、配合を管理するようになったんだって。そこから今の石鹸職人に繋がってるみたいよ。昔は素人が作ってよく肌を傷めたりしたから、商業ギルドの正規品以外は公衆浴場では使っちゃダメって事になったのね。まあ、石鹸は職人さんが作っても品質にバラつきがあるから、正規品なら絶対安心ってわけでもないんだけどねぇ」
なるほど湯泥というのは灰と泥の混合物か……。鹸化一歩手前の生活の知恵なのかな? 前世で聞いた有名なサボの丘伝説では、動物を生贄に捧げていた丘に焼かれた動物の脂と灰が溜まり、そこに雨が降って偶然生まれたのが石鹸のもとになったはずだ。湯泥は泥を使っているから、ひょっとするとスクラブ効果とかの方が強いのかも知れない。
お湯を張った木の桶を持って端に寄る。
洗髪用の粉の使い方をファルナさんと一緒に確認しておこう。
「それで、この粉とお湯を混ぜるんでしたっけ?」
木の小皿に盛られた薄茶色い、目の細かい粉を桶の隣に並べた。
「そうそう、手の上で少しずつ混ぜるのが良さそうね」
少しだけ手に取りお湯を加えていくと、粉が水分を吸ってほんわりと温かく、滑らかになってゆく。
「いっぱいお湯かけるとダマになりやすいみたい。ちょっとずつ指で練るみたいにして……」
丁寧に練っていき、クリームみたいに滑らかになったら少しずつ頭と髪に乗せる。頭皮に届かせるために指の腹で優しくマッサージするように髪に馴染ませるが、全然泡立たない。泡立たないとは聞いていたから当たり前なんだけど、泡が無いと何となく不安になってしまう。
「こ、こんな感じで大丈夫ですかね?」
ファルナさんに聞くと笑顔で頷いてもらえた。
「ええ。綺麗にムラなく塗れてるわね」
やがて私達の髪全体に塗り終えると、このまましばらく待つ事になる。
「じゃあその間に」
「「石鹸使おっか!」」
私が言いかけるとファルナさんも同じことを考えていたみたいで、ハモってしまった。
二人して手拭いで髪をまとめ、笑いながら花の形をした石鹸を取り出す。
新たに二つ目の桶を取り、私達はそれぞれ〈水を産む〉魔法を使って軟水で満たした。
ずっとファルナさんの腕に巻き付いていた白蛇さんが、軟水の張られた桶に滑り込む。
手拭いを濡らして石鹸を擦り付けると、真っ白な泡が立ち始め、花の薫りがふわっと広がった。
「あら? 何かしら、いい香り……」
「本当ね、お花のいい香り」
「でも急にどこから……?」
すぐに周りの人達が石鹸の香りに反応し始めた。
ほとんど間を置かずに私達が作った泡は注目を集め始め、私とファルナさんが白い泡を手首の内側に塗る頃には遠巻きに見物する人が輪になっていた。
予想通り、泡による肌への刺激はない。
ファルナさんが白い泡に鼻を近づけて嬉しそうな声をあげた。
「泡も滑らかで良い匂いだねー」
ファルナさんはここで桶の中を泳ぐ白蛇さんに少し泡を差し出した。
「白蛇さんも泡が気になる?」
すると白蛇さんはファルナさんの腕に登ったかと思うと、泡を器用に桶に落とし、自らも泡の浮いた軟水に飛び込んだ。
桶の中で元気に泳ぐ白蛇さんは、真っ白な石鹸の泡を愉しんでいるように見えた。
爬虫類の皮に石鹸使って大丈夫なのかなと思ったけど、白蛇さんは心なしか楽しそうだ。
二人で身体を洗い始め、背中を流し合っていると、見物の人が数人近づいてきた。
「あ、あの。その石鹸はどこで買ったんですか?」
私が答えようとすると、ファルナさんが「あー、これはねぇ。頂き物なんで詳しい事は解んないんですよー。売り物じゃないって聞いてますー」と先に答えてくれた。
周りから残念がる声がするなか、ファルナさんがまさかの提案をした。
「でもいい香りだし、興味ありますよねー。……試しに少し顔洗うくらいなら、使ってみます?」
「え゙?」
思わず私は変な声を上げてしまった。
周りにいた十人くらいの人が一斉に反応し、加えて湯船に浸かっていた女性達も口々に私も私もと……結局その場にいた人達全員が一人ずつ顔を洗う事になってしまった。
そんなに大きくない花型石鹸がなくなってしまうんじゃとファルナさんに目をやると、ニコニコ笑顔が少し引きつっていた。
こんなに反応されると思ってなかったんですか……?
ファルナさんの石鹸が使い回されている間に、私達は洗髪粉と身体の泡を洗い流すことにした。クリーム状の洗髪粉は時間と共に乾いて固まり、固くなりすぎる前によく洗い流さないといけないらしい。
「す、すごいわ、この石鹸。すごい泡立ちだし、洗い流してもいい香りがしてる気がする!」
「肌も突っ張らないし、刺激がないのも良いわね」
「形もすごく可愛い。石鹸て切り出したチーズみたいなのばっかりだと思ってたけど、こんな綺麗なお花にも出来たのねぇ」
色々な人から感想の声を聞くと、だいぶ好評のようだ。
私とファルナさんが湯船に浸かると、石鹸を試した人の一部が一緒に入って来て、幾つもの似たような質問が繰り返された。
曰く、「どこで手に入るのか」、「誰から貰ったのか」、「手に入れる方法はあるか」、「いくら出したらこの石鹸を譲ってもらえるか」といったものだ。
もちろん単純に感想を嬉しそうに語る人達もいたけれど、大半の人は使ってしまったがためにどうしても欲しくなってしまったらしい。
あまりにも圧が強くて、ちょっと怖い。
ファルナさんが笑顔でこれらの質問を受け流し、私達は早々に上がる事にした。
回収したファルナさんの石鹸は半分以下の大きさになってしまっていて、もはや花らしい形は残っていなかった。
「おー、元々大きくなかったから、結構すぐなくなっちゃうねー」
「良かったんですか、あんなに使わせちゃって」
笑いながら減り具合を見ていたファルナさんに私が言うと、驚きの返事が返ってきた。
「小っちゃくなっちゃったのは残念だけど、どのくらい使えるかも見たかったしー、使った人達みんな喜んでたから嬉しくなっちゃってー」
ああ。ファルナさんはそうか。
こういうところが聖女たる所以なんだ。
私はまたすぐにファルナさんの使う石鹸を作ろうと思いながら、少しだけ注意させてもらった。
「それだとファルナさんが使えなくなっちゃいます。次はあんまり軽く人に使わせちゃダメですよ? でも今日はたくさん感想が聞けて嬉しかったので、ありがとうございます」
脱衣所で髪を拭きながら指通りを確認すると、洗髪粉のおかげで滑らかに指が通る。油脂が残っているような事も無く、洗浄力もしっかりしていたことが確認できた。
この世界にはドライヤーなんてないので、ここは魔法を使わせてもらおう。
生活魔法の〈乾燥〉を使ってから、お風呂屋さんに入る直前に買った櫛で毛先から梳いて行く。
するとファルナさんが私に注目していた。
「ど、どうしました?」
「いや、うちは〈乾燥〉憶えてないから、良いなーって思って」
なるほど、生活魔法は魔法の中でも特殊で、学んだからと言って誰もが同じように使えるとは限らないと言われている。
生まれながらにして使える事もあるけれど、術者の得意なやり方で効果を発揮する事が多く、同じ〈乾燥〉でも火の魔法が得意な人は熱を使って効果を発揮するし、風の魔法が得意な人は風量や風の速さで〈乾燥〉としての効果を得ようとする。
上手くコツを掴めずに一部の生活魔法を諦める事も少なくないのだ。
初級魔法からはある程度基礎理論などに振れ幅なく教わることが出来るので、魔法使いは同じように使うことが出来る(個人の能力による差や応用の仕方は違うが)。
水の魔法が得意なファルナさんは〈乾燥〉を不得手としているのかも知れない。
「じゃあ私が〈乾燥〉しちゃいますねー」
魔法を使いながら、ファルナさんの髪をプレゼントした櫛で梳いた。
同じ洗髪粉で洗ったから、ファルナさんの髪も滑らかしっとりだ。
毛先から梳いて行き、首より上に櫛が通るようになると、ファルナさんが何かに気が付いたように言った。
「あれっ、この匂いって……?」
「あ、気が付きましたね。この微かな香りは櫛に含まれる油の香りです。ファルナさんはほんのり甘い柔らかなこの香りが似合うと思ったんですよー。この油が髪を包み込んで汚れや刺激から守ってくれるんです、良いですよね」
洗髪粉と櫛の効果で、旅で傷んでいたファルナさんの髪がサラ艶しっとりへと少し近付いた。過剰な乾燥や傷みによる跳ねなども目立たなくなり、そこらの町の女性と並んでも可愛く仕上がる。
磨かれた鉄の鏡の前で喜びと感嘆の声を上げるファルナさん。
「おぉー、シロクロちゃんが言ってたのはこういう事だったのねぇ。結構傷んでぼさぼさになっちゃうことが多かったから、嬉しいわー。今度はうちがやったげるねー」
そうしてキャッキャしてたら、結構注目を浴びてしまった。
「あの子たちの髪、すごいわ……」
「若いって良いわねぇ、髪が光を反射してる」
髪を梳かされながら周りの声に耳を傾けていると、番台の方からウサギのお姉さんが近づいてきた。
「私の洗髪粉はどうだったかな。指通りも滑らかになって良かっただろう? しかしその艶と輝き、洗髪粉だけではないね。その地味な櫛、それかな?」
「あっ、洗髪粉、とっても良かったです! この櫛はすぐそこのエルフさんの露店で買ったんですけど、加工しにくい木材をしっかり手間暇かけて仕上げてあって、大変な逸品です」
私がそう言うとウサギのお姉さんは眉を上げて、「ほう、確かにしっかりした造りに……何か仕掛けがしてあるようだ。興味深いね」と目を細めて櫛を観察した。
そして笑みを絶やさずにこう聞いてきた。
「ところで、君達が使っていた石鹸のことで、こちらにも何度も問い合わせが来ていてね。無理に聞くつもりはないが、差し支えなければ実物を少し見せてもらえるかな?」
ファルナさんが「これは貰いものなのでうちらにも詳しい事はわからないのよー。これですねー」とかなり小さくなった石鹸を差し出す。
まだ濡れている小さな白い塊を見て、ウサギのお姉さんは指で触れ、匂いを確認し、いろいろな角度から眺めて、最後に感嘆した。
「実物を見ればどこの工房か、どの職人の影響があるかくらいは分かるかと思ったんだけれど、なかなかとんでもないねコレは。ここまで不純物を綺麗に取った石鹸は、そうそうお目にかかれるものじゃあない」
うん、職人さんが見たら何か私達ではわからないような事までわかる可能性が出て来たぞ?




