12,ケルノーに颯爽と現れた白い石鹸、思った以上に噂になる
雷のような轟音と共に槍から放たれた衝撃波がダイア・ボアの前半分を破壊した。
ダイア・ボアというのは通常の個体よりも大きく、凶暴化した猪で、体長3m、肩高2.1mほどになる非常に危険な野生動物である。
ジョウゼンが放った戦技は木々の隙間を縫うような正確さで対象を捉えたが、どうやら威力が強すぎたようだ。
魔法兵器として戦技の威力は強ければ強いほど良いとされてきたが、今ジョウゼンはその常識が通用しない事に焦りを感じていた。
ジョウゼンに殴られたらどう考えても即死しそうなか弱い女性が眉根を寄せてジョウゼンを睨み付けているのだ。
「ジョウゼン様。せっかくお強いのに、狩りは苦手なようですね。私が幾ら非力だからと言っても、半分に小さくしてくれなくとも結構ですよ?」
「ま、まあ今回はちゃんと食べられそうで良かったじゃねえか。次はもうちょい何とかすっからよ」
アヤメはふうと溜息をついて、半分になったダイア・ボアに近付いて行く。
今より数十分前、ジョウゼンは鹿を狙ってこれを食べられぬ小さな肉片に変えてしまっていた。
なぜ彼らがこんなところで狩りをしているかというと、野菜を残し、肉だけ食べたジョウゼンが夜中に空腹に耐えかねて荷物の中から肉だけを食べ尽くしてしまったのだ。干し肉もすべて。
翌朝これに気が付いたアヤメは激怒して、さすがのジョウゼンも引くほどの気迫だった。
「ところでジョウゼン様? 私と御者はまだ残った物だけでも旅を続けられますが、ジョウゼン様の大好きなお肉はもうありませんよ? 残りの日程、何も食べずに過ごすおつもりですか? 夜中の空腹にも耐えられなかったのに?」
「わかった、狩りだ! 狩りで肉を手に入れたら良いだろ?! 狩りなら野外実技でもよくやるしな、俺がそんな草を捨てても良いくらい獲ってやるぜ」
そんなわけで時間を割いて狩りに興じているのだが、アヤメがクロスボウで水鳥を一羽、ジョウゼンがシカの挽肉、そしてダイア・ボアの下半身が今日の成果だ。
御者はアヤメの獲った水鳥を解体して塩と香草を使って焼き、ジョウゼンの作った鹿の挽肉は木の枝を削ってこしらえた串を通して何とか焼いてくれている。
解体の返り血で少しだけ服を汚してしまったアヤメが、ダイア・ボアの左脚だけを切り取って帰ってきた。
それでも大した量なのだが、ジョウゼンは釈然としなかった。
「なんでそこだけなんだよ。全部持って来いよ」
「あぁ、解体が面倒でしたし、重かったので。右脚は私も御者もいりませんので欲しければジョウゼン様ご自身で取りに行かれてはどうでしょう。独り占めできますよ?」
まぁあれだけの肉が独り占めできるなら、そうしてしまうかとジョウゼンは見るも無残なダイア・ボアに向かった。
脚だけ取ってこようと思っていたジョウゼンだったが、背や腹の肉もこうしてみると悪くはなさそうだ。
ジョウゼンは血に塗れながら右脚と、脂の強そうな部位をいくつか切り取って二人の待つ焚火に戻っていった。
戻るとアヤメは持ち帰った脚の肉を小さく切り分けていて、御者はそれに塩を練り込んで何か大きな葉で包んでいた。
ジョウゼンは料理を知らないので、なんか面倒くせえ事やってんなくらいにしか思わなかったが、アヤメは焼けた鳥肉と左脚の生肉を一切れ皿に盛り付けて手渡してくれた。
「おお美味そうだ」
そう言って焼けた鳥肉をがっついて食べ終えると次のダイア・ボアの生肉にかぶりついた。
火が通っていないため噛み切りにくい。
するとアヤメがまた大声を上げ始めた。
「なにやってんですかジョウゼン様?! 火ぐらい通して食べてください! お腹を壊しますよ?!」
「あぁ? 皿に盛られてたから、新鮮でうめぇぞって意味かと思ったじゃねえか」
「肉を焼かないで食べる人がいますか!」
「わかったわかったうるせえな! 焼きゃあいいんだろ焼きゃあ!」
ジョウゼンは二人が一生懸命に肉を捌いて処理している間に、適当に肉を焼いて食った。
せっかく肉を獲ってやったというのに小言ばかりで面白くない。
さっさとこの場を離れたくて、生焼けでも関係ないとばかりに食べ、早々に馬車に引っ込んだ。
これが地獄の苦しみの始まりになるとも知らずに。
◇◇◇◇◇
サイラスは商業ギルドで噂話を耳にした。
真っ白で泡立ちの良い石鹸がどこかから出回っているらしい。
複数のルートでその噂を聞いたが、いくつかの噂では花のようなとても良い香りをした石鹸だというものも混じっていた。
(昨日の今日でもうこんなに噂になってやがんのか。シロクロに直接結びついた話はないようだが……)
しかし、こういう噂というのは人を惹き付けてやまないものだ。
一部の者は噂の出処などを調べているというし、鉄鋼樹の護り亭やその近くの公衆浴場が特定されるのも時間の問題だろう。
早めに対応を話し合っておいた方が良いだろうとサイラスは思った。
荷物の積み込みが終わったら早々に立ち去るか。そう考えて自分の馬車の方を見ると、シロクロが他所の若い荷運び人夫に囲まれているのが目に入った。
商品の入荷数と出荷数を数える手伝いをシロクロにさせようと思って連れて来ていたが、何かトラブルがあったのだろうか。
サイラスが早足でシロクロの方に向かうと荷運び人夫達の声が耳に届いてくる。
「お嬢ちゃん、凄い綺麗な髪だなぁ。光を受けてこんな光る髪は初めて見たぜ」
「ホントホント。しかもなんか良い匂いするし」
「この辺じゃ見かけないめんこい子だけど、このハルザーン・キャラバンの子なのかい? 俺っちのとこで一緒に働かねぇか?」
シロクロはだいぶ困った顔で対応している。
「あ、あの。私この荷物を数えておかないといけないので……」
「数とかみんな適当なもんだから大丈夫だって。みんな十まで数えられりゃあいい方なんだから」
「っていうか字が書けるの凄くねぇ? 俺なんて自分の名前だって書けやしないぜ」
「なぁなぁ、噂になってる石鹸使ったのか?」
サイラスは彼らに近くまで行くと大声を張り上げた。
「なにサボってやがんだてめえら! ギルドの荷運び人夫だろうが、荷物は運び終わってんだろうな?!」
「うわやべ」
「すんませんすぐ終わらせるっス!」
若い彼らは恐らく十二から十五といった年齢だろう。商人見習いの間は、実際に商品に触れる機会を与えるという口実で荷運び人夫をやらされることも多い。
慌てて仕事を再開し始めた。
「俺ぁお前らの雇い主じゃあねえが、お前ら下っ端が仕事しなかったら雇い主の評判に傷が付くんだからな。雇い主の顔に泥を塗るような奴がいつまでも雇ってもらえると思うなよ」
サイラスが歳若い荷運び達を散らすと、シロクロが安心したように息をついた。
「ありがとうございます、助かりました」
「いや、どう見てもお前は悪くないからな。マセたガキがたまにああいう事をするんだ。次になんかあったら大声で俺かキャラバンの誰でも良いから呼べ。ところでゴーリー達はどうした」
「ゴーリーさんはギルドの人に呼ばれて少し席を外しました。ダルさんも何か調べに行ったみたいです」
サイラスは溜息を吐いた。
子供に在庫管理を任せて何やってんだあいつらはと口から出かかったところでゴーリーが小走り気味に戻ってきた。
「サイラス、良いところに。もうだいぶ噂になってるみたいだぞ。さっき俺の方に何か知らないかとギルド職員が来た」
「こっちでも噂になってるのを聞いた。わざわざ呼び出されたって事は、疑われてるな」
「間違いない。ここの作業を終わらせたら一旦帰ろう」
サイラスもゴーリーもどこで誰が聞いているかわからないので、肝心の内容をぼかしながら話した。
ほどなく在庫の実数と入荷予定数が揃ったので、鉄鋼樹の護り亭に戻り、泊まっている部屋に集まる。
サイラス、ゴーリー、ダル、シロクロの四人しかいないが、ここで決めた事は後で他のメンバーに伝えればいい。
サイラスがまず状況を整理した。
「今日ギルドで積み込みを行ったわけだが、シロクロの石鹸がだいぶ噂になってるな。石鹸を使ったのは昨日だけだぞ? 出発を早めた方が良いのかも知れねぇな」
シロクロは疑問に思っていたことを改めて質問する。
「石鹸を勝手に売るのも作るのもダメだっていうのは分かりました。私が今回やったのは売っていた石鹸の改良ですけど、贈り物にするのは悪い事ではないんですよね?」
「ああ。ただシロクロが白い石鹸が作れると知れたら、恐らくお前は狙われるぞ」
「そこで石鹸を時々贈り物として渡す代わりに保護してもらうというのはどうでしょう。もちろん転売もしないという約束で。色んな方面に渡しておけば、それぞれの人達がお互いを牽制してくれると思うんですよね」
ゴーリーがなるほどと唸る。
「そいつぁ案外いいアイデアかも知れん。どこの誰に渡したかを薄っすら匂わせておけば、あとは勝手に勘繰ってくれそうだ」
「そしてこっからが本題です。商業ギルドでなるべく偉い人にお願い事をして、お礼として白い石鹸をいくつか渡します。私達がこれから行く先はどこでしたっけサイラスさん?」
急に聞かれたサイラスは少し慌てて思い出すそぶりをしてから答えた。
「途中の村を経由してドワーフの住む鉄錆火山の鉱山町プリベンツに向かう。そこで食料品や酒類を売って、ドワーフ達の作る品々を買い取ってからまたここに戻ってくる予定だ」
「石鹸を白くするにはお塩が大量に必要なのは昨日説明した通りです。そこで、海沿いで海水から塩を作れそうな場所と、その塩を運ぶ流通路を商業ギルドに探して貰うんです。まだ白いお塩の作り方は明かさずに」
サイラスとゴーリーは驚いた。
シロクロは商業ギルドの鼻先にニンジンをぶら下げて、自分の為に動かそうと言っているのだ。
ダルが首を傾げながら小さく手を挙げる。
「鉱山町でも岩塩が手に入るよ。先日ドワーフから岩塩を買っただろう? シロクロちゃんが買ったのはプリベンツの先で採れる岩塩坑の岩塩じゃないかな。それじゃダメなのかい?」
「もちろん岩塩も使います。でも、海沿いなら海水から大量に塩を作れますし、塩を作る過程で出た濃い排水も、農地や川を汚さずに処理する方法を考えやすいと思うんです。まずは安く塩を仕入れられる場所と、ケルノーまで運べる道を調べてもらいたいんです」
今度はサイラスが質問した。
「排水? そこら辺に流したらマズいのか?」
「排水は濃い塩水なので、そこら辺に流したら植物が育たなくなったり枯れたりします。この辺りではひまわりやオリーブ、大麦や小麦が育てられていますよね? 地下水や川に排水が混じったら、草どころか木が枯れて作物が育たなくなりますよ。下手したら魚が全滅するかも知れません」
サイラスはシロクロの言葉にゾッとした。
行商人は各地の特産物を安く仕入れて、足りない所で高く売るのが基本だが、そもそもの仕入れが出来なくなってしまっては行商どころの話ではなくなる。
また作物が育たなくなれば家畜も人も飢えに苦しみ、治安が急激に悪化するはずだ。
しかもその原因が塩水だ、排水だという事になれば、それまで塩や石鹸で儲けたとしても罪人として捕らえられ、公開処刑にされてしまう事だってあり得る。
シロクロは続ける。
「だからこそ商業ギルドには儲け話の可能性だけを見せて、今は重要な情報を渡しません。石鹸の改良に塩を使うことまでは予想できると思いますが、白いお塩と軟水がなければ同じ物は作れません。作り方を伏せている間は白い石鹸の希少価値も落ちませんから、贈り物として役に立つはずです」
ゴーリーの口角が上がってきた。
「逆に商業ギルドじゃなければできねぇ規模の話だな。人が動くとなりゃあ金が動く。ルートが出来れば他の物を運ぶのにも使えるしな。意表をついて流通路を頼む時にガラダ子爵に便宜を図ってもらうように石鹸を贈っておくというのも良いかも知れん」
だんだんと話の規模が大きくなってきたのでサイラスが、「待て、待て待て」とシロクロの話の腰を折った。
「商業ギルドに新しい商売のタネを与えるってのは分かったが、石鹸一つでそこまでやらせるのか? さすがに乗ってこないんじゃないか」
「依頼する際に石鹸を渡しながら、塩を使うと匂わせたら良いんじゃないでしょうか。サイラスさんやゴーリーさんはそういうの、得意だと思いますけど」
ゴーリーとダルがぶふっと噴き出して笑った。
ゴーリーが笑いながら話す間、ダルは膝を打って涙を流すほど笑った。
「あっはっはっはっは! 一本取られたなサイラス! 確かにそういうのは俺達の十八番だが、商業ギルドの連中は大体得意だからな。あまりアテにはしない方が良いかも知れんぞ?」
「あははははは! 最高だよシロクロちゃん、僕より二人のこと解ってるみたいだ! あはははは!! あー、おかしい。でも塩の流通が変われば、食べ物も変わってくるよ。保存の利く塩漬けの肉や魚が今までよりも作られると思うからね」
そんな簡単な話で済むものかとサイラスは眉間にしわを寄せて考える。
(ギルドに儲けさせる代わりに、こっちの要求を通す。ただで教えりゃ食い物にされるが、儲け話にしてやりゃあ連中、自分から守るだろうしな……)
シロクロがまた話し始めた。
「最初は海塩の仕入れ先と、使えそうな流通路を調べてもらいましょう。白い石鹸の作り方についてはまだ何も言わずに」
「とてもじゃないが子供の発想じゃねぇな? 塩も石鹸も本当にお前が考え付いたもんなのか?」
「あー……。私は魔法が上手じゃなかった代わりに、色んな知識を学んで、錬金術も修めたので。昔の偉い人が『知識は力なり』って言っていたとも言いますしホレ?」
「ホレって何だ、急に怪しいな」
サイラスが眉間にしわを寄せるとゴーリーがなだめるように笑って言った。
「多少怪しくたって良いさ。俺はこの案に乗っても良いと思うぜ? どっちにしても情報を持っていて、作れるのはシロクロだけだ。だからこそ表には出さねえし、俺達が間に立つ。俺達はギルドに情報を与える側にいるんだから、どんと構えてりゃあいいのさ。たまにゃぁこういう立場になるのも悪くねえ。お前だってそう思うだろ?」
なんとなく納得いかないようなサイラスにダルが付け加える。
「それに最初から全部情報を渡すわけじゃあないんでしょ? いやはやシロクロちゃんは僕より商人向きかも知れないな。渡していない情報がある内はギルドだっておかしな真似は出来ないはずじゃないか。特に情報が重要であればあるほどね」
するとサイラスが観念したように両手を軽く挙げた。
「わかったわかった、明日にでもいくつか石鹸をギルドに持っていこう。ただし手札はなるべく見せない。シロクロはここで留守番だ。ギルドには俺とゴーリーだけで行ってくる」




