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83億の隣人  作者: やまみゅー


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9/13

第9話 愛情

昨日まで確かにあったものが少しずつ遠ざかっている。

ベッドの横には昨夜の写真。

僕と母。

そして、いつの間にか写真の端にいる少女。

美咲。

僕は写真を見つめる。

「……美咲」

名前だけは、なぜか消えない。

むしろ以前より鮮明になっている。

世界認識を起動する。

画面にはいつもの83億人。

そして新しい通知。

【分離個体①②③――活動継続】

【分離個体④――接触可能】

名前が表示される。

白石凛。

女性。

43歳。

住所――大阪。

職業――不明。

家族――不明。

そしてその下に奇妙な表示があった。

あなたとの相性――100%

僕は息を止めた。

今まで見た最高値は妻との96%。

田辺が見つけた相手は99%。

でも100%は初めてだった。

その瞬間、娘が部屋に入ってきた。

「お父さん」

「ん?」

「また検索してる」

「うん」

娘は画面を覗き込む。

「白石凛?」

「知ってる?」

「知らない」

「相性100%なんだ」

娘が笑う。

「それってお母さんより上じゃん」

僕はその言葉に何も答えられなかった。

妻は朝食を作っている。

いつもと同じ。

なのに僕の中に奇妙な感情が生まれた。

妻との相性は96%。

白石凛とは100%。

数字だけなら答えは明白だ。

でも僕は思った。

それでも、妻を選ぶ。

その瞬間、世界認識が警告を出した。

【認識エラー】

合理的選択と感情的選択が一致しません。

僕は初めてその表示を見て笑った。

「……それでいいんだよ」

会社に行く。

しかし、仕事をしていても白石凛のことが頭から離れない。

なぜ100%なのか。

なぜ情報が不完全なのか。

そして、なぜ神崎や黒い男と同じように僕の人生と繋がっているのか。

昼休み。

白石凛を検索する。

現在地――

大阪駅。

僕は会社を出た。

駅前。

人が多い。

世界認識を起動する。

数千人の情報が一斉に頭の中へ流れ込む。

その中に一人。

白石凛。

女性が立っていた。

黒い髪。

白いシャツ。

本を読んでいる。

僕は少し離れた場所から彼女を見る。

世界認識が彼女の情報を表示する。

名前。年齢。住所。

そして相性100%。

僕は声をかけようとした。

「白石さん?」

女性が顔を上げる。

目が合った。

その瞬間。

世界が止まった。

音が消えた。

人の声も。

電車の音も。

信号機の音も。

全部。

ただ彼女だけが動いている。

彼女は僕を見ていた。

そして、泣いていた。

「……遅かったね」

僕は言葉が出なかった。

「どうして……」

「何が?」

「僕を知ってる?」

白石は笑った。

「知ってるよ」

「どこまで?」

「あなたがまだ自分を知らないところまで」

彼女は本を閉じた。

「佐藤さん」

「はい」

「私、あなたのことが好き」

僕は固まった。

「……会ったばかりだよ」

「そうだね」

「どうして?」

「分からない」

「じゃあ、100%っていうのも?」

「それは、世界認識が勝手に言ってるだけ」

彼女は笑った。

「私はあなたを100%好きなわけじゃない」

「じゃあ、どれくらい?」

「分からない」

「……」

「だから好きなんだと思う」

僕は何も言えなかった。

白石はゆっくり歩き出した。

「ついてきて」

「どこへ?」

「あなたが忘れた場所」

地下へ続く階段。

古い駅の地下通路。

僕は見覚えがない。

なのに足が勝手に進む。

「ここ」

白石が立ち止まる。

壁に古い落書きがある。

子どもが描いたような絵。

三人の人間。

一人は男の子。

一人は女の子。

もう一人は顔のない人間。

僕はその絵を見た瞬間、頭痛がした。

「……これ」

「覚えてる?」

「分からない」

「そう」

白石は少し悲しそうに笑う。

「ここであなたは私に告白した」

「……何?」

「小学生の頃」

僕は息を止める。

「君と?」

「うん」

「でも僕は君を知らない」

「そうだね」

「どうして?」

白石は壁に手を当てる。

「あなたが私を忘れたから」

僕の頭の中に映像が流れ込んだ。

雨。

学校帰り。

僕と一人の少女。

少女が笑っている。

「大人になったら結婚しようね」

幼い僕が頷く。

「うん」

少女が小指を差し出す。

「約束」

僕も小指を絡める。

映像が途切れる。

僕は壁に手をついた。

「……凛」

白石の目から涙が落ちる。

「やっと呼んでくれた」

「でも僕は覚えてない」

「知ってる」

「なぜ?」

「世界認識があなたから私の記憶を切り離したから」

僕は振り返る。

「世界認識が?」

「正確には世界認識を作った人たちが」

その言葉に神崎の顔が浮かんだ。

「神崎もこのことを知ってる?」

「もちろん」

「黒い男も?」

「彼はもっとよく知ってる」

「美咲は?」

白石は少し黙った。

「美咲は一番知らない」

「どういう意味?」

「彼女は最初に分離されたから」

僕は凍りついた。

「最初?」

「うん」

「じゃあ美咲は何なんだ?」

白石は僕を見る。

「あなたの、記憶」

頭の中で何かが弾けた。

母。父。幼い頃の公園。

赤い髪留め。白いワンピース。

全部が繋がる。

美咲。

僕が忘れてしまった、最初の記憶。

僕が最後に交わした会話。

『お兄ちゃん、忘れないでね』

『何を?』

『私のこと』

僕は膝をついた。

「……妹じゃなかった」

白石が頷く。

「うん」

「でもあの子は僕の中にいた」

「そう」

「じゃあ、僕が忘れたのは――」

白石は静かに答えた。

「あなた自身の一部だよ。」

その瞬間。

世界認識が起動した。

画面いっぱいに警告が表示される。

【分離個体④――接触確認】

続いて新しい情報。

【感情同期――開始】

僕と白石の周囲に淡い光が現れる。

そして世界認識が僕に問いかけた。

「この人物を知っていますか?」

僕は白石を見る。

昔の記憶。

現在の彼女。

全部が混ざる。

僕は答えた。

「知らない」

白石が驚く。

僕は続ける。

「でも――」

一歩、彼女に近づく。

「知りたい」

世界認識が一瞬停止した。

そして初めて見た表示。

【回答を記録できません】

僕は笑った。

「そうだよな」

白石も笑った。

「だから私たちは自由なんだよ」

そのとき。

地下通路の奥から、

足音が聞こえた。

一歩。

また一歩。

僕と白石が振り返る。

黒い男が立っていた。

「……黒い男」

男は白石を見る。

「久しぶりだな」

白石は冷たい目で睨む。

「あなたがあの記憶を消した」

黒い男は否定しなかった。

「そうだ」

僕は驚いた。

「なぜ?」

男は僕を見る。

「君を守るためだ」

「何から?」

「君自身から」

その言葉の直後。

地下通路の照明が一斉に消えた。

完全な暗闇。

暗闇の中で世界認識が勝手に起動した。

画面にはこれまで表示されなかった情報が、

次々と現れる。

① 美咲――記憶

② 神崎透――共感

③ 黒い男――秘密

④ 白石凛――愛情

そしてその下。

⑤ ――――

⑥ ――――

⑦ ――――

⑧ ――――

⑨ 佐藤――原型

最後に一行。

「残りの4人は、あなたが最も認めたくないものです。」

僕はその文字を見つめる。

暗闇の向こうから誰かが笑った。

そして僕の耳元で声がした。

「次は――怒りだ。」

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