第六話 悪夢の始まり
重い金属音とともに鉄扉が開いた。
「対象を移送しろ。」
黒い軍服を着た兵士が四人、部屋へ入ってくる。
「立て。」
山田はゆっくりと立ち上がった。
両手には拘束具が掛けられる。
冷たい金属が手首に食い込み、現実を突きつけた。
(……やっぱり夢じゃない。)
兵士に挟まれながら長い廊下を歩く。
地下施設は静まり返っていた。
すれ違う職員は誰一人として山田を見ようとしない。
まるで最初から存在しない人間であるかのように。
やがて一枚の分厚い扉の前で足が止まる。
扉には赤い文字で書かれていた。
特別尋問室
ガコン、と重い音を立てて扉が開く。
部屋は驚くほど殺風景だった。
中央に一脚の椅子。
机。
照明。
それだけ。
「座れ。」
山田は言われるまま椅子へ腰掛ける。
腕と足が固定される。
最後に首の拘束具まで閉められた。
逃げられない。
完全に。
正面の席へ、一人の老人がゆっくり座る。
胸にはいくつもの勲章。
白髪交じりの短髪。
鋭い眼差し。
「私は国家保安省特別調査局局長、ヴォルコフだ。」
「山田太郎。」
「これから君にいくつか質問をする。」
山田は小さく頷いた。
「はい。」
「正直に答えるなら危害は加えない。」
「君の所属は。」
「日本です。」
「存在しない国家だ。」
「いや、本当にあるんです!」
「場所は。」
「アジアで……。」
「そのような国はない。」
部屋の空気が少し冷たくなる。
ヴォルコフは隣の研究員へ目を向けた。
研究員は無言で頷いた。
一本の注射器を取り出す。
透明な液体が静かに揺れた。
山田の顔色が変わる。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「俺、本当に知らないんです!」
ヴォルコフの表情は変わらない。
「対象は自覚なく記憶改変を受けている可能性がある。」
「精神鑑定薬を投与する。」
「安全性は確認済みだ。」
「痛みは最小限に抑える。」
山田は必死に首を振る。
「違う!」
「俺は高校生なんです!」
「昨日まで世界史の授業を受けてて!」
「寝ちゃって!」
「気づいたらここにいて!」
「本当なんです!」
誰も返事をしなかった。
研究員が山田の腕を軽く固定する。
針が刺さる。
冷たい液体が体内へ流れ込んでいく。
数十秒。
山田の呼吸が少し乱れた。
「……気分は。」
「少し……頭がぼんやりします。」
研究員は記録を取る。
ヴォルコフが再び尋ねる。
「君をここへ送った人物の名前は。」
「分かりません。」
「命令は。」
「受けてません。」
「任務は。」
「ありません。」
「Y-001とは何だ。」
その瞬間だった。
山田の瞳がわずかに揺れる。
頭の奥で、あの電子音が蘇る。
カチ。
『個体識別番号──Y-001』
山田は息をのむ。
「その名前……。」
「聞いたことがあります。」
部屋中の視線が一斉に山田へ集まる。
「どこで聞いた。」
「分からない……。」
「でも……。」
「頭の中で。」
「目が覚める前に。」
「聞こえたんです。」
研究員たちは顔を見合わせた。
薬剤は正常に作用している。
脈拍にも大きな変化はない。
虚偽反応も見られない。
ヴォルコフは静かに資料を閉じた。
「本日はここまでだ。」
兵士たちが再び部屋へ入ってくる。
山田は拘束を解かれながら、小さく呟いた。
「……俺、本当に何なんだ。」
その問いに答えられる者は、この部屋には誰もいなかった。




