第十一話 正義
静かな部屋だった。
壁一面には世界地図。
赤と青のピンが無数に打ち込まれ、その間を糸が複雑に結んでいる。
机の上には軍事報告書。
補給路の地図。
新聞。
そして、山田の写真。
いつ撮られたのか分からない。
廃工場で目を覚ました直後の自分だった。
「……俺の写真?」
イヴァンは小さく頷く。
「国家は君を極秘扱いにしていた。」
「だが、我々にも情報網はある。」
山田は椅子へ座ったまま尋ねる。
「あなた達は……何なんですか?」
イヴァンは少しだけ笑う。
「サピエス連合は我々を"反乱軍"と呼ぶ。」
「新聞では"国家転覆を企てるテロ組織"だ。」
「だが我々自身は、そう思っていない。」
窓のない部屋に静寂が流れる。
「我々は自由戦線。」
「人間も魔人も同じ人民として生きられる国を作るため戦っている。」
山田は首を傾げた。
「でも……サピエスでは魔人は危険だって……。」
その瞬間。
部屋の空気が少しだけ重くなる。
イヴァンは立ち上がり、一枚の古びた写真を机へ置いた。
そこに写っていたのは、一つの村。
焼け落ちた家。
瓦礫。
泣き崩れる子ども。
「これは?」
「十年前。」
「魔人だけが暮らしていた集落だ。」
「反政府組織を匿った疑いで、化学戦車による砲撃を受けた。」
山田は言葉を失う。
「教科書には載らない。」
「新聞にも載らない。」
「存在しなかったことになっている。」
イヴァンは淡々と語る。
怒鳴るでもなく、感情を爆発させるでもない。
だからこそ重かった。
「だが。」
「サピエスだけが悪ではない。」
山田は顔を上げる。
「え?」
「タメリカも同じだ。」
「自由を掲げながら、他国へ軍を送り込み、自分たちの利益になる政権を作る。」
「どちらも、自分たちを正義だと言う。」
「その結果、犠牲になるのはいつも普通の市民だ。」
山田は思わず俯いた。
それは、日本でニュースを見ていた頃には考えたこともない世界だった。
イヴァンは地図へ歩み寄る。
東側。
西側。
その境界線を指でなぞる。
「この均衡は、もう限界だ。」
「近いうちに大きな戦争が起きる。」
「その時、人類も魔人も関係なく、多くの命が失われる。」
山田は小さく呟く。
「……だから革命を?」
「そうだ。」
「だが、それだけではない。」
イヴァンは少し考えるように沈黙した。
「最近、国家が奇妙な動きを始めている。」
「軍だけではない。」
「研究所。」
「考古学機関。」
「封鎖された遺跡。」
「何か一つの目的へ向かって動いている。」
「何を探しているのかは分からない。」
「だが、その中心に――」
イヴァンは山田を真っ直ぐ見た。
「君がいる。」
部屋に沈黙が落ちた。
山田は思わず苦笑する。
「俺、そんなすごい人間じゃないですよ。」
「昨日まで普通の高校生だったんです。」
「世界史で居眠りして……。」
そこまで言って、言葉が止まる。
頭の奥で、あの電子音が鳴った気がした。
カチ。
『計画進行率 二十七・八パーセント』
ほんの一瞬だった。
「……どうした?」
「いや……。」
「今、何か聞こえたような……。」
しかし、それ以上は思い出せない。
イヴァンは山田の様子を静かに見つめる。
「焦る必要はない。」
「君の記憶には、まだ君自身も知らない何かが眠っているのかもしれない。」
その頃――。
サピエス連合・国家保安省。
ヴォルコフの机には一枚の報告書が置かれていた。
> 件名:Y-001奪還作戦
その最下部には、新たな命令が記されている。
『特殊公軍第一師団の出動を承認する。生死は問わず、対象を確保せよ。』
ヴォルコフは静かに立ち上がる。
「……もう政治では止められん。」
窓の外では、首都の空を無数の軍用飛行艇が西へ向かって飛び立っていた。
冷戦は、ついに終わりへ向かって動き始める。




