第二十六週・忘年クリスマス会
※この作品はフィクションです。症例をはじめとする医療情報・法的制度など現実の事象に着想を得ていますが、実在のものとは異なり、いっさい関係ありません。
この日のヨガスタジオには暖房の柔らかな空気が満ち、マットの上には妊婦たちがゆっくりと呼吸を整えていた。
インストラクターの黒部が穏やかな声で指示を出す。
「はい、息を吸って……お腹の赤ちゃんにも空気が届くように。吐きながら、肩の力を抜いていきましょう」
輝も深く息を吸い、ゆっくりと吐きながら背中を丸める。
年末年始の慌ただしさが、少しずつ身体から抜けていくようだった。
朝陽と能美も隣のマットで時間をかけ、大きく息を吐きだしている。
「ふぅ……お正月太りが怖い」
などと小声で、独り言をもらしているのは朝陽だ。
調理系専門学校卒、かつクッキング教室で働いている彼女であるが、体型的にはふくよかな部類である。
本人によると「食べつわり」だったそうで、空腹でむかむかするのを抑えるために、見境なく口へ運びたくなってしまったとか。
結局、産婦人科医からは妊娠糖尿病の気配を指摘されたこともあり、栄養士としての面目躍如でバランスレシピ投稿を、身体を動かすためにマタニティヨガへたどり着いた、という経緯を輝との通話で話していた。
他方、能美の方は「なんか楽しそうだから」という、至極シンプルな理由でヨガを始めたとのこと。
実際、まだ小さな上の子もいるので、生活は常時戦場であったのは容易に想像できた。
昨年の今頃、輝が夜も時間を忘れて知人と遊んでいた瞬間、能美は長男の寝かしつけに悪戦苦闘していたそうである。
輝と同い年でありつつ、まともに遊びにも行けなかった能美が、ちょっとした気晴らしを行える数少ない時間が今、であった。
ここにいるのは、生い立ちもまるで違う三人。
その三人が、マタニティヨガという共通項を通じて、同じ空間にいる。
黒部の動きに合わせて、3人は骨盤をゆっくり回し、腰を伸ばし、呼吸を整えていく。
「無理しないで、気持ちいいところで止めてくださいね」
休憩時間。
3人は囲んでマットの上で水分補給をしながら、自然と年末年始の話題になった。
「かーやちゃんは、クリスマスは家族と過ごすんだよね?」
「うん。父さんが帰国するから、久しぶりに家族でね。年末年始は……初詣いくにも混んでるだろうし、どうしよう」
「あーね。ウチもさ、上の子がはしゃぎすぎて、暴れそう。去年だって、大晦日なんてなかなか寝ずに全然落ち着かなかったもん」
朝陽はお腹をさすりながら、苦笑する。
「たしかに、わざわざ混むと行くのも怖いし。よしみんとこは、冬休みもあるから尚更だもんねー?」
「ほんとだよっ。なんかさ、ゆったりとは真逆の世界じゃん。むしろ、こうして三人でヨガできてるほうが、マシってゆーか」
「確かに、クリスマスだって出かけたら、やたらお金かかるから、じゃあどっちに投資したほうがいいかっていえば……」
「ヨガっしょ!」
「ね。なんか落ち着くよね」
「うん、ここ来るとリセットされる感じ」
そんな、たわいもない会話が続いていく。
レッスンが終わり、上着を羽織ってスタジオを出ると、ひんやりとした外の空気が頬に当たってくる。
三人がそれぞれの帰路につく前、朝陽がふと思いついたように言った。
「そうだ、女子会やろうよ! クリスマスも年末年始もどうせ忙しくなるだろうし、その前にね、三人でゆっくり話す時間ほしいなって思ってたの」
能美もすぐに賛成した。
「いいじゃん。ウチも行きたい。ベビーシャワーも兼ねてさぁ、忘年会って感じで」
輝も、そういえば就活に追われて以降、その類の会は縁遠くなっていたこともあって、朝陽の提案には嬉しくなった。
「……うん。行こう。さらに早めのクリスマス会も兼ねてさ。プレゼント交換とかもしちゃう?」
「いいじゃんいいじゃん! かーやのプレゼント、何がでてくるのか超楽しみなんですけど!」
能美はノリがよいというか、陽キャというか、ムードメーカーとはこういう人のことを指すのだろう。
こうして、今回のマタニティヨガ教室は、忘年会の約束とともに終わった。
◆
翌日、輝は悩んでいた。
プレゼント交換などと口火は切ったものの、いざ言い出しっぺの本人が、まったくのノープランだったからだ。
20代前半の既婚女性、しかも妊婦が喜びそうなプレゼントなど皆目見当もつかない。
深く考えず、その場のノリで口走ってしまったことに、輝はちょっぴり後悔した。
朝陽や能美と会話を繰り広げていた、その場の空気に浸食されたというか、もともと輝は周囲の影響にのまれやすいタイプかもしれない。
そうは言っても、ダラダラと結論を引き延ばすわけにもいかない。
三人の申し合わせで、予算は気兼ねなく無理のない1000円以内。
かといって、近所の百均アイテムではちょっと寂しい。
母親の鷹子に尋ねようにも、世代が大きく異なるため、最近のトレンドには疎いだろう。
業を煮やした輝は、ベッドに横たわり、スマホを使ってAIにアイディアを投げかけてみる。
「女子会のプレゼント交換は何がいい? 予算は1000円以内で」
すると、ものの数秒で回答が表示された。
「――1000円以内だと『自分は買わないけれどもらうと嬉しい』という、ちょっとした贅沢感や実用性がポイント。ミニサイズのハンドクリームやフェイスマスク、入浴剤など。フード系ならティーやコーヒーのパックやチョコレート。雑貨であればエコバッグやタオルハンカチが便利。季節感を取り入れ、リボンなどラッピングを工夫して格上げするのもあり」
なるほど、これらのチョイスはそれなりに納得感がある。
ただ、コスメ系は肌の相性があるので喜んでもらえるのかといった疑問や、カフェイン入りの飲食物は避けようといった配慮が思い浮かぶ。
また輝は、ラッピングの技術やセンスが正直乏しいので、包装サービスがあった方が有り難かった。
ただネットのオンラインショッピングサイトを眺めているが、1000円以下では送料やらラッピング料がかさみ、とても予算内に収まらない。
(やっぱり、直接店へ行ってみるしかないか)
輝はリアルでの探索に切り替え、外出の準備をする。
今回はウィッグを初めて外し、地毛で出かけてみようと思いついた。
そもそも昨日のヨガの時には、ボブカットのウィッグを、動いても外れないようピンで地毛に止めて装着していた。
ただ、今回は誰にも顔を合わさないだろうし、そもそも地毛のウルフカットもだいぶ伸びた、という理由もある。
たとえウィッグを外しても、朝陽や能美にはイメチェンと説明すればよい、などという楽観的な見方も輝にはあったし、ある意味、それは自然な自分の姿でもあった。
早速、おなじみのリュックを手に、近くのバス停から市内の大型ショッピングモールへと向かう。
30分後、モール敷地内のバス停に降り立つと、思わず北風に煽られそうになる。
マスクで口元を隠さなければ冷気を吸いこんでいただろう。
屋外に長居は無用なので、すぐに最寄りの出入り口からモール内へ。
店内中央のコンコースには、5メートルほどにもなるクリスマスツリーが用意され、LEDのイルミネーションがきらきらと光っている。
輝はツリーを横目にして、雑貨も販売されているテナントの大型書店へと向かった。
(かわいい……けど、実用性もほしいよな)
輝は小さなリースを手に取ってみる。
「これ、1000円か……飾る場所があれば嬉しいけど、赤ちゃんいる家だと落ちないように気をつけないとだし……」
棚に戻し、今度はアロマキャンドルを手に取る。
「香りが強いのは好みもあるし、どうするか」
また戻す。
(うーん……難しい……)
なかなか決まらない。
輝が店内のポスターを眺めると、プレゼント仕様なギフトカードの案内も目に留まる。
確かにもらう側が選べるのであれば、商品券の方が無難かもしれない。
そうこう悩みつつ店内を歩いていると、小さなコーナーに目が止まった。
内祝いや出産祝いのプチギフトコーナー。
「……これ、いいかも」
そこにあったのは、やさしい色合いのハンドタオルだった。
タオルはふわふわで、赤ちゃんの顔を拭くのにも使えそうな柔らかさ。
価格も手ごろで、実用性もある。
これに小さなクリスマスカードをセットでつけて、ラッピングしても980円。
小さなカードには、周辺に様々な色の星が散りばめられ、デザインされたリーフの中央に金色の文字で「MERRY CHRISTMAS」と記されている。
「これだ!」
今度は即決だった。
輝はすぐさま、タオル2つを手に取り、レジへと向かう。
すると、店員が会計の合間に包装の有無を尋ねてきたので、迷うことなく依頼する。
「ラッピングが済みましたらお呼びしますので、少々お待ちくださいませ」
ようやくプレゼントが決まり、輝は安どする。
数分後、プレゼントの入ったレジ袋が渡され中身を確認すると、2つともクリスマスらしく、サンタやトナカイの顔がデザインされた包装であった。
(喜んでもらえるといいけれど……)
そんな輝が帰路につくため、モール外のバス停に戻ってきたころには、北風もすっかり収まっていた。
◆
数日後、朝陽の休日であり、能美の息子が幼稚園に向かった後のタイミングを狙って、忘年会兼クリスマス会が開催された。
とはいっても、飲食物持ち込み可能なレンタルスペースを借り、飾りつけはレンタルスペースが予めこの時期用にセッティングしてあるという部屋を使い、実際の料理やドリンクはスーパーのオードブルといった具合である。
レンタル料は平日昼間なので、2時間で2000円。
これに特設部屋の使用オプションが1000円。
これに飲食代とプレゼント代なので、予算はひとりあたり4000円弱といったところか。
飾りつけの手間と時間、そして母体の体力も考慮すれば、十分安上がりだろう。
朝陽が先に到着していて「こっちこっち」と手を振る。
ほどなくして能美が現れ、最後に輝が少し遅れて建物に着いた。
「それじゃ、ちょっと早いけれど、メリー・クリスマス&今年もお疲れさまー」
朝陽が音頭を取り、三人は紙コップに注いだペッドボトルの麦茶で乾杯する。
そして、ローストチキンやサラダなどをそれぞれの紙皿に取り、まずは食事タイムとなった。
今回も、以前に能美と出会ってランチした日同様に、制度の話や体調の話、さらに朝陽が作ったという持ち込みのササミ料理を口に運んだりと、わいわいしながら時間が経過していった。
しばらく談笑が続いたあと、能美がふと輝の方を向く。
「そういえば……かーやのとこ、名前、決まったん?」
朝陽も目を輝かせる。
「聞きたいっ。どんな名前にしたの?」
輝は一瞬だけ息を飲んだ。
この瞬間を迎えるのが、どこか照れくさく、でも嬉しかった。
「……桃花。北越 桃花っていう名前にした」
その言葉が落ちた瞬間、朝陽と越美の表情がぱっと明るくなった。
「桃花ちゃん……すごく可愛い!」
「春っぽいし、なんかあったかいし、ほっとするわぁ」
輝は少し頬を赤らめながら続けた。
「予定日が三月の上旬だから、春の花の名前がいいかなって思って。それに、自分が桃の実が好物だから、娘のことも大好きにになれたらなって……あ、由来が邪気払いの意味合いもあるから、健やかに育ってほしいって願いも込めてるけどね」
朝陽は自分の腹に手を当て、自身と体の中の子どもに言い聞かせるように口を開く。
「そっかぁ。なら……うん、決めた。あたしの子は『ゆき』にする」
「ゆき?」
輝が聴き返す。
すると、朝陽は由来を語り始めた。
「そう。冬の間に山へ降り積もった雪が、春になると雪解けで谷の川へ流れ出すから、谷川ゆき。夫といくつか候補絞ってたけれど、これにする!」
「マジか。みんな、ちょーかんがえてるじゃん!」
能美は、輝や朝陽のネーミングを聞くと感動したのか、やや涙目になる。
「ウチ、まだ決まってないんだよねー。長男くんが、永平だから、つながりとか悩んじゃって。でも、今日の話聴いたら、ウチもしっかり決めなきゃ。ほんとリスペクトするよ、ふたりとも」
「うん。名前って、親の気持ちが一番出るものだから。でもさ、まじめに硬くなっても悪くはないけど、やっぱり親が笑って、子どもにも胸を張って名乗ってもらえたらなとは思う」
輝は照れながらも、どこか誇らしげに言う。
そこへ朝陽が質問を投げかけた。
「ちなみに、名づけは誰かに相談したの?」
「この間、父さんと母さんと3人で。両親とも気に入ってくれて……そこで決めた名前なんだ」
「いいねぇ、家族で決めた名前って」
「桃花ちゃん、早く会いたいなぁ」
3人は温かい笑顔を交わし、食事はそこそこに、飲み物を片手に、時間を忘れて語り合う。
妊婦同士だからこそ分かり合えること。
家族のように寄り添えること。
そして、これから生まれてくる命の話。
冬の小春日和となった日、レンタルルーム内ではもっともっと温かい時間が流れていった。




