第二十二週(後)・マタ友
※この作品はフィクションです。症例をはじめとする医療情報・法的制度など現実の事象に着想を得ていますが、実在のものとは異なり、いっさい関係ありません。
次の日の朝、輝はウィッグをかぶり、顔に軽くメイクを施した上で、メンズのロングTシャツに裾を通し、腹をそっと押さえながら、自撮り写真を撮影していた。
鏡の前に立つ自分。
ウィッグは落ち着いたアッシュブラウンのショートボブ。
母が選んでくれたトップスの衣装は、先日購入したものの一つで、濃いグレーの無地なタイプ。
柔らかい素材で、膨らんだお腹を優しく包み込む。
下着は、伸縮性がある保温機能があるタンクトップ。
ちなみにボトムスは、マタニティ向けソフトデニム。
メイクは控えめ。
肌は自然なトーンに整えられ、目元にはほんのりグレー系のシャドウ。
リップはローズベージュで、寒色系の服に馴染むように。
鷹子は最後に、コーディネートを確認して総評を述べる。
「輝、これなら結構ボーイッシュでしょう? 多少メイクをしたとしても、服の見た目だと今までの普段着とあまり変わりないし」
「……確かに。まぁ、表へ出歩くわけじゃないし。固定概念って、つくづく動きづらくなる元凶だと思うわ...…」
輝はスマホの画面に映る姿を確認しながら、いろんな角度からショットを収めていった。
いっぽうの鷹子は安心したのか、「じゃあ、仕事行ってくるからね」と言い残し、マイカーへと向かっていった。
しばらく時間が経過してから、きょうがオフという、ヴァレイにこちらから電話をかける。
いつものようにアプリを開く。
「もしもし、ピーチたろーです。いまの時間電話大丈夫?」
「ピーチたろーさん? 全然平気。今日は体調いい?」
「うん。まぁまぁって感じ。相変わらずお腹の中でポコポコいってるけれど......」
「あー、そうだよねぇ。ねぇ聞いて。あたしもさ、胎動本格的に始まったんだよね」
「ホントに!」
「ほんとほんと。知識としてはさぁ、あれこれ聞いてたけど、こういう感じなんだぁって。いよいよ実感湧いてきた」
「ねー。服もまた買わなくちゃだし」
「そうそう。そういえばさ、ピーチたろーさんは新しい服買った?」
ついに来た、と輝は思った。
会話の流れで服の話題となり、満を持して、この話題に答えられることになったからだ。
「買った。ていうか母に買ってもらったんだけどね。メンズスタイルので」
「えっ、そうなの? いいな、いいな! どんなの?」
「んと、口で説明するより実際見てもらったほうが早いかな? ちょっと今送るね」
輝きはそのように返すと、アプリの送信機能を利用し、先ほど撮影した自撮り写真を添付した。
いよいよ、母以外の人間に、自分の女性としての姿をさらすことになる。
果たして、第三者から見て、自分はどのように見えているのか。
輝は文字通り手に汗を握った。
だが、そんな心配は杞憂だった。
「え、ちょっと待って。これホントにピーチたろーさん?」
「そうだよ。というか、さっき撮ったばかりで、まだ着てるんだけど」
「なんですと! あっ、そうだ。このアプリ、ビデオ通話機能もあるから、切り替えてもいい?」
「あ、いいよ。ちなみに今、部屋にいるから全然大丈夫」
すると、スマホの画面が切り替わり、これまで電話越しだった可愛い声の持ち主が姿を表す。
「……あ」
輝は思わず吐息が出た。
ヴァレイという、女性その人がさっそうと登場したのである。
ややブラウンに染めたポニーテール。
柔らかい丸みのある輪郭。
少しぽっちゃりした体型。
そして、明るくて人懐っこい雰囲気。
かわいい声よりも、ずっとしっかりしている印象だった。
彼女もこちらに気づき、ぱっと表情を明るくした。
「やっぱかっこいい……」
輝は緊張で喉が少し震えたが、それでも平常心を心がけ、無理やりコミカルに返事をする。
「……かっこいいって言われても、このおなかだからね!」
そういうと、輝は自分の腹部を指さし強調する。
ボーイッシュ、で済めばよいが、本物の男だ、なんてことになってしまえば、それこそ一巻の終わりだ。
ヴァレイは、太陽みたいに明るく笑っっている。
輝は、なおも話を続ける。
「声もこんなだし、背もそれなりにあるから、これでスタイル良ければ、女子にもモテまくるんだろうけれど、実際は...…でも、メンズのラージサイズとかだと、かなりゆったり着られるのもあるし重宝してるんだよね。声といえば、ヴァレイさんこそ、かわいい声で...…」
「あー、それはお互い様というか。人は見かけによらないって言うけれど、声だけだとイメージ? 妄想って言うのかな。それがエスカレートして、リアルの顔との間にギャップが生まれるんだよね」
「確かに。実際に顔合わせて話をしないとわからないこともあるって。これがそうなのかなって」
「まぁ、でも見た目重視の人とか、期待はずれだったりすると、そのまま音信不通、みたいなパターンもあるから、それってどうなの? って気もするんだけど」
その言葉に、輝は、さすがに苦笑いするしかなかった。
ヴァレイが話を続ける。
「あ、そうだ……顔出ししたし、改めて自己紹介していい?」
輝は頷いた。
ヴァレイは姿勢を正し、改まって口を開く。
「谷川朝陽といいます。24歳で、職種はクッキング教室のスタッフとして、いまも働いてます。産休までは、もう少し頑張るつもりで」
明るくて、気さくで、でも礼儀正しい。
通話で感じた印象そのままの人だった。
輝も深呼吸をして、言葉を継いだ。
「北越輝です。漢字だと光り輝く、って使い方だと言えばわかりやすいかな?」
朝陽は目を丸くし、すぐに柔らかい笑顔を浮かべた。
「素敵な名前。そういえば、ハンネのピーチたろー、って、桃太郎だよね? どこからとったの?」
「……あ、これは、エコーのときに、娘が手をグーにして口の近くに持っていってて。その様子が、何か果物食べてるみたい、って技師さんが言ってたので」
「あー、それがモモっぽかったから!」
「そう。でも娘は女の子なんだけどね。今思うと、たろーのかわりに『姫』とかだと、著作権的にどうなんだ、って気もするし」
「ははっ、確かにね〜」
それから二人は自然に話が弾んだ。
妊娠のこと、仕事のこと、日常のこと――
話題は尽きなかった。
朝陽は陽気で、よく笑い、でも相手の話も丁寧に聞く人だった。
「輝さん、思ってたより落ち着いてて……なんだか安心」
「……そう?」
「あ、そうだ。今からニックネーム呼びしよっか? ハンドルネームもよかったんだけど、ちょっと長いかなぁって」
「あ、それは。普通にハンネ呼びだと、ぶっちゃけ、めんどくさい」
「ね。だからさ、なんて呼んだらいいかな?」
「別にハンネでも、本名でも、呼びやすいのでいいんじゃないかな?」
「それじゃあさぁ、『かがやき』だから、『かーやちゃん』でどうかな? 口に出しても、割としっくりくるし」
その言葉に、輝の胸中は、正直ほっとした。
女性として見られている。
その実感が、静かに心を満たしていく。
「じゃ、朝陽さんは、『あさちゃん』で。何のひねりもないけど」
「それでいいよ。それに『あさちゃん』て、それこそ幼稚園時代からずーっと呼ばれ続けてたし、慣れちゃったっていうか」
朝陽の部屋には、心落ち着かせるヒーリングの音楽が流れているようで、それがスマホを通して心地よい背景音になっている。
輝は、早速ニックネームを活用し、朝日に尋ねた。
「そういえば、あさちゃんのお腹の子って、性別わかってるの?」
「うん。かーやちゃんと同じ、女の子! エコー写真もらってから、何度も見返してる」
「わ、同じ。ほら、これこれ」
そういうと、輝は画面の外にあるアルバムを手繰り寄せ、半ば自慢するようにしてスマホの画面に向ける。
すると、朝陽も同じくエコー写真を引っ張り出し、その場はさながら、お互いの娘のお披露目会と呈した。
朝陽は声を出してよく笑い、輝もそれに釣られのか、最初の頃に見せていた緊張がすっかりほぐれている。
「名前とか、もう考えた?」
「まだ……どういうイメージで、画数とか? そういうの考え始めると沼っちゃって」
「わかるー。うちは旦那が『どっちでもいいよ〜』って言うから、余計に悩んじゃって」
「……ということは、もう候補絞り込んでる?」
「そう。決まったら、かーやちゃんにも教えるけど、ここは、大事なとこだし! じっくり決めたいんだ」
朝陽は自分での名づけにこだわりがあるらしく、輝にも候補は明かさず、後のお楽しみ、ということであった。
輝の場合は、自分が父であり母でもあるのだから、娘の名前をパートナーと話し合うとはできない。
ならば親と決める?
それとも自分だけで?
伴侶がいるというのは、それだけで自分とは全く環境が違いすぎて、想像にも及ばなかった。
輝は、スマホ画面の向こうにいる朝陽に羨望を向けながら見つめる。
「あさちゃんの旦那さん、優しそう」
「えへへ、彼、2つ年上なのっ。普段はのんびりしてるけど、家事も手伝ってくれるし、妊娠してからは特に気を遣ってくれて」
朝陽は照れくさそうに笑った。
その表情は、幸せそのものだった。
だが、次の瞬間、彼女の台詞を耳にして、輝は背筋がゾッとすることになる。
「かーやちゃんは……どんなパートナーさん?」
その質問が来ることは、薄々わかっていた。
でも、胸の奥がきゅっと締めつけられる。
――言えない。
――自分が「父親であり母親でもある」なんて。
輝は静かに息を吸い、できるだけ自然に答えた。
「……あ、いなくて。それにまだ学生なので、実家で母に手伝ってもらってて。母がすごく支えてくれてて……なんとか、やってる感じ」
朝陽はしまった、という表情をし、その直後に申し訳なさそうに謝罪の言葉を述べた。
「……ごめんね。聞かれたくなかったことだよね。とても辛かっただろうし。でも……お母さんがそばにいてくれるの、すごく心強いと思うよ」
「……はい。本当に」
嘘は言っていない。
ただ、すべての真実など言えるはずもなく。
朝陽は輝のことを、きっと事情があって実家に出戻った妊婦、などと考えているのだろう。
邪な考え方ではあるが、むしろ、そう思っていてくれた方が、余計な事情を探られなくて済むかもしれない。
実際に、朝陽はそれ以上深く掘り下げることはなく、逆に優しく褒めてくれた。
「かーやちゃんはすごいね。実家だけど、一人で頑張ってるんだなって……尊敬」
その言葉に、輝は救われた。
「……ありがとう」
そこから、話題は尽きることなく自然と広がっていった。
「え、住んでるとこ隣の市? 県は違うけど」
「マジですか。まさか、あの川の向こう側だったなんて、意外」
「そういえば、ベビー服、どんなの買った?」
「まだ。でも、多すぎて迷う」
「わかる! あたしもネットで見てるだけで時間が溶けちゃって」
「かーやちゃんは夜眠れる? 最近どう?」
「まだ寝られてる。でも夜になるとよく動くっぽい。聞いた話だと、そのうち元気すぎて寝れない日も出てくるとか、おそろしい」
「うちもそうなるのかなぁ。お互い覚悟しないとね」
「さっきも言ってたけど、仕事、まだ続けてる?」
「時短でね。産休まであと少し。なんとかギリギリまでやれるといいんだろうけど……」
輝は、気づけば自然に笑っていた。
朝陽に対して、うっすらと抱いていた淡い感情は、いつの間にか霧散し、友達としての視線で会話を交わすようになっていった。
「……書き込みにもあったけれど、最近、情緒が不安定になることってある?」
輝がそっと尋ねると、朝陽は思い出すように少し考えてから頷く。
「ある。何度も。急に泣きたくなったり、何でもないことで不安になったり……」
「……あ、自分も、夜になると急に孤独感が強くなったりして、さびしいなって」
「でも、そういう時こそ、こうやって、誰かと話すだけで楽になるかも。解決してるわけじゃないんだろうけど、気持ちが軽くなるというか」
朝陽は笑いながら続ける。
「旦那がいないときは、親に電話したり、友達にメッセージ送ったり。それだけで、ちょっと安心できるってのはあるね」
輝は静かに頷く。
「……うちは、母がそばにいてくれるのが救い。でも、話せる相手が増えるのは……すごくありがたいことだなって。今この瞬間そのものというか」
「じゃあ、マタ友だ。これからはあたしもその一人だね?」
「……はい。ぜひ」
時間はあっという間に夕方に差し掛かっていた。
晩秋だからか、日が暮れるのも早い。
夕食の準備があるからと、通話もそろそろお開きにしなければならない。
それでも、二人の間に、少し名残惜しさが漂った。
「今日は長時間、本当にありがとう。安定期のうちに、ぜひ会えたら!」
「こちらこそ。電話でも、ランチでも! またお話ししようね」
朝陽はスマホに指先を近づけ、通話を切る。
画面が暗くなってから、輝は胸に左手を充ててみた。
そこにはドキドキするような興奮はない。
そのかわり、安心感からか、じんわりとした温かさを感じた。
「……また、話しましょう。いろいろと」




