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俺の中にいる桃のつぼみ  作者: ニボシ
19/24

第三十四週・フォト

※この作品はフィクションです。症例をはじめとする医療情報・法的制度など現実の事象に着想を得ていますが、実在のものとは異なり、いっさい関係ありません。

 2月に入り、予定された帝王切開による出産日まであと1か月ほどとなった。

 この日は特に予定もなく、自宅の自室で新しく購入した服の衣装合わせを行っていた。

 これまで輝は、楽に過ごせる服装ということでマタニティーファッションは受け入れていたが、それでもアンダーはずっとパンツタイプで、動きやすさを最優先にしてきた。

 その輝が、今日は初めてワンピースタイプの衣装を手に取っていた。

 数日前にベビー用品店で購入した、授乳口付きタイプのものである。

 それは特に派手なものでもないばかりか、単色のグレーであり、よくある安価な量産品である。

 朝陽や能美とのマタニティーフォト撮影の際に着ていくそうだが、出産後も長い期間着用を見据えてのチョイスであった。

 早速、着替えようと、まずは下着姿となった。

 ショーツはお腹をすっぽり包む妊婦用のもので、腹部を圧迫しないように設計されていて、動くたびに布が腹の丸みに沿ってくれる。

 もっとも、相変わらず股間の膨らみ自体は変わらないのであるが、今更気にしてもしょうがない。

 そのショーツの上から、腹が重くなってから使い始めた妊娠帯を手に取り、ゆっくりと腹部の下に添えて支えるように巻く。


「……これがあるだけで、だいぶ違うんだよな」


 次に、胸の張りに合わせてサイズを上げたマタニティブラを身につける。

 締めつけが少なく、肩に負担がかかりにくいタイプだ。

 やはり乳腺の発達が著しく、妊娠発覚時のサイズでは対応しきれなくなっており、今の身体にはこれが一番楽だった。

 こうした下着の準備を終えると、輝はようやくワンピースに手を伸ばした。

 袖を通すと、地味な色合いのワンピースは驚くほど柔らかく、大きく膨らんだ腹を自然に包み込んだ。

 そしてその腹の丸みをそのまま受け止め、布が下へ流れるように落ちていく。

 輝が鏡の前に立つと、そこには黒髪の「ごく普通な」妊婦がいた。

 いや、肩幅は女性にしては広いか。

 それでも、その肩にかかる程度まで伸びた髪と、胸と腹の膨らみが、マタニティである説明としては充分であった。


 階段を降りると、鷹子が振り返った。


「輝、そのワンピース……落ち着いてていいじゃない」


 輝は照れくさそうに肩をすくめた。


「いよいよ、来るところまで来たかって感じ。でも、服はもうこのままでもいいや。むしろ、化粧する方が全然やってこなかったから大変だよ」

「そうだね。あんたはヨガの時も、検診の時も、最低限しとけばいいという感じだったから」

「スタジオ撮影といっても、格安プランだから。自分であらかじめセットアップしていかないとダメなんだよね。現地で衣装だけ借りて着替えるだけなスタイルだし。だから、母さんにまたメイクとか手伝ってもらおうと思って」

「わかった。じゃあ早速練習しよっか」


 そう言うと、鷹子は自室へ化粧道具一式を取りに戻るのであった。


 ◆


 フォトスタジオは全国チェーンで、輝がいつも買い物に行くおなじみ大型ショッピングモール内の一角に、テナントとして入居している。

 予約した撮影日は平日で空いているが、週末ともなれば、親子連れでの撮影で賑わう光景を何度も目撃していた。

 この日の三人は、このスタジオ前での待ち合わせ。

 輝は、例のマタニティワンピースの上に冬コートを羽織り、路線バスでやってきた。

 一方、輝に先んじて朝陽は既に到着しており、フォトスタジオ目の前に設置してある長椅子に腰掛け、スマホを操作していた。

 しかし輝の姿に気づくと、すぐに顔と目線を上げて、にこやかに右手で何度か手を振ってくる。


「ヤッホー、かーやちゃん。今日はワンピなんて珍しいね!」

「こんにちは、あさちゃん! まぁ、たまには、ね。そういえば、よしみんも駐車場に着いたって」


 少し遅れて、腹を抱えながらゆっくりとではあるが能美もやってきた。


「おまたせー。じゃあ行こっか」


 スタジオの扉が開いた瞬間、朝陽が声を上げる。


「うわ、めっちゃ可愛い!」


 白い壁、ふわふわの布、花のアーチ。

 まるでおとぎ話の部屋に迷い込んだみたいで、みんなのテンションが一気に上がる。


「ちょっと、あさちゃんだけやたら目をキラキラさせてない?」


 輝が笑いながら言うと、朝陽は胸を張る。


「だって!こういうの好きなんだもん! 上がらない方が不思議でしょ?」


 能美はその横で、口元を押さえながら肩を揺らしている。


「あーさーはさ、もう半分撮影終わったみたいな顔してるよ」


 控室に入ると、白いマタニティドレスが3着並んでいる。

 ふわふわしたデザインだがブラトップ部分とスカート部分が分かれていて、腹部が丸見えになるタイプであった。


「あー、これが……お腹出すやつだ」


 輝が目を丸くする。

 朝陽はすでにドレスを手に取り、鏡の前で上から合わせていた。


「そうだよ!可愛いでしょ!ほら、かーやちゃんも早く着て!」

「いや、ちょっと心の準備が……それにお腹がスイカ状態だし」

「大丈夫大丈夫、みんな一緒だから!」


 輝はこの日までにムダ毛は剃ってきてはいたが、いわゆる妊娠線だけはどうにもならない状態だった。

 医師の三国によると、輝は特性的にもともと一般的な女性と比べ骨盤が小さく、ほぼ男性のまま。

 つまり、そのぶん腹部が前に出やすいらしい。

 結果、ケアをしていても立派な幾筋ものラインが、スイカのようにできてしまったのである。

 もっとも、妊娠線は妊婦の七割にできるそうで、実際に仲間の朝陽にも、能美にも程度の差はあれできていた。

 対策としては能美曰く、ペイントでごまかすそうだ。

 こうして三人でわちゃわちゃしながら着替えが進む。

 皆、早々に下着姿からブラを外し、ドレスのブラトップを着用。

 さらにスカートを腰に纏う。 

 布の感触に驚いたり、髪形を直したりと、まるで修学旅行の夜みたいな騒がしさだ。

 着替え終わって鏡の前に並ぶと、逆に3人とも一瞬だけ静かになる。

 白いドレスに露出した丸いお腹。

 その姿が、なんだか誇らしくて、ちょっと照れくさい。


「……なんか、すごいね」


 輝がぽつりと言うと、朝陽がすぐに肩を寄せてくる。


「でしょ?めっちゃ綺麗だよ、3人とも」


 能美は上下の歯を見せるほどの満面の笑みで、ふたりに言った。


「じゃあ、ウチがみんなのメイクしてあげるよ、まかせて!」

  

 能美の得意ジャンルが発動し、輝がこれまで体験したことのないアイライナーやシャドウ、唇のラインなど細やかに仕上げられていく。

 化粧だけは、輝が未だにどうしても上手くいかず、半ば放置気味になっているジャンルだ。

 メイクは早い女子は小学生からこだわっているそうだから、年季の差は埋めようのないレベル差として如実に出てしまう。

 ここは能美におまかせしたほうが良い、と静かに丸投げした。

 しかし、メイクアップされていく鏡に映る自分の姿を見て、なんだか恥ずかしくなってしまう。


「せっかく顔を白くしたのに、赤くなってどうするん!」


 と、能美にツッコミを入れられる有様。 

 次に、腹部に文字などを描くペイント道具が用意されると、今度は朝陽が真っ先に手を挙げる。


「はい!あたしからお願いします!」

「子どもか」


 今度は輝がツッコむと、朝陽は「だって楽しみなんだもん!」と胸を張るのだが、いざ筆が朝陽のお腹に触れると「ひゃっ……冷たっ!」と変な声を出して、輝と能美が吹き出す。


「あさちゃん、声!」

「スタッフさん困ってるよ」

「だって冷たいんだってば!」


 輝の番になると、今度は朝陽がニヤニヤしながら覗き込む。


「かーやちゃん、くすぐったそうな顔してる〜」

「してない!」

「してるしてる!」


 この二人の様子を能美は、おばあちゃんの微笑ましそうな眼差しで見つめていたのだが、自分の番になると、逆に真剣な顔つきで書き込んでいった。


「よしみんって、こういう時だけ妙に神聖な雰囲気出すよね」

「わかる。なんか儀式みたい」

「ちょっと、二人とも静かにして……笑うと線が曲がる」

「ごめんごめん」

 

 そうは言いながらも、能美の口元は緩んでいる。

 三人のお腹に、それぞれの週数が描かれる。

 輝と能美は34W、朝陽は32W。

 数字が並ぶと、三人は自然と見せ合いっこをした。


「あとは花冠をつけて...…」

「さ。じゃあ、いこっか」

「うん」


 撮影スペースに入ると、白いカーテンと花のアーチが広がっている。

 朝陽がまたテンションを上げる。


「わー、明るいしメルヘンチック!! 夫の時はクラシカルだったから、全然違う」

「お金かけて衣装直しするプランもあるからね。それに、子ども産まれたら親子で撮影しにきたり」


 確かにそうだ。

 このタイプのフォトスタジオはファミリー向け、もっと言えば乳幼児をあやしてベストショットを収めることに定評がある店である。

 輝もしばらくしたら、桃花とここに来ることになるのだろうか。

 その時は、自分の娘はどんな表情をするのだろう、などとまだ見ぬ子どもへの想像力が働く。

 そうしていると、スタジオのカメラマンが声をかけてきた。


「今日はよろしくお願いします。では、緊張してもしょうがないんで、『自然』にトークしてみてください」


 三人は顔を見合わせて、同時に吹き出す。


「自然って言われると逆に難しいんだけど!」

「わかる!急にぎこちなくなる!」

「じゃあ、いつも通りでいいんじゃない?」


 その時、何枚もフラッシュが焚かれた。


「いい感じです。下手にポーズっとかって硬くなっちゃうので、まずはこんな感じで」


 カメラマンからのレクチャーを受け、能美が輝の髪を直してあげたり、朝陽が能美のドレスの裾を整えたり、朝陽が輝の肩にそっと手を置いたり。

 シャッターが切られるたびに、三人の表情が少しずつ変わっていく。

 声を出して笑ったり、息を吸いながら目を合わせたり、照れ隠しに視線をそらしたり。

 撮影がひと段落すると、カメラマンがモニターをくるっと回す。


「では、いま撮った写真を一緒に見ていきましょう」


 三人の目が同時に輝く。


「きたきたきた!こういう時間が一番好き!」


 朝陽が小走りでモニターに近づき、輝と能美も「ちょっと待ってよ!」と慌てて追いかける。

 画面に映ったのは、白いドレスに露出した丸いお腹、そして三人の笑顔。


「え、ちょっと……こんな顔してた?」


 輝が眉を上げると、朝陽がすかさずツッコミを入れる。


「してたよ! ていうか、かーやちゃんの『照れ笑い』ってレアなんだからもっと自信持って!」

「ちょっとこれ! めっちゃお母さんみたいじゃないか?」

「そうだよ、ママになるんだから」


 さらに輝が笑いながら指差す。

 画面に映る能美の表情は、静かで深くて、どこか包み込むようだ。


「よしみん……なんか、女神みたいじゃない?」


 朝陽が真顔で言うと、輝も同意する。


「わかる。髪染めてるのもあって、なんか後光さしてる」

「やめてよ〜、褒められると逆に変な気持ちになるんだけど!」


 次に画面には、三人が肩を寄せ合って爆笑している姿。

 腹部の週数ペイントも揺れて見えるほどの勢いだ。


「これ!これ絶対採用!」


 朝陽が即決する。

 能美もその言葉に静かに頷く。


「うん。綺麗に撮れてる写真もいいけど、こういう瞬間が一番大事だよね」

 

 こうしてモニターの前でしばらく写真を眺め続ける。

 この後も三人はキャッキャしながら見返していった。


「これ好き」

「こっちもいい」

「あーこれ恥ずかしい!」


 などという声が入り混じる。

 なお、撮影した画像はデジタルデータとしてメモリで持ち帰れるそうで、ここではとりあえず爆笑シーンをベストショットとして一枚アルバムを作ることになっている。

 外はまだ冬なのに、このスタジオ内は温かかった。

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