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俺の中にいる桃のつぼみ  作者: ニボシ
15/24

第三十一週(前)・卒業旅行

※この作品はフィクションです。症例をはじめとする医療情報・法的制度など現実の事象に着想を得ていますが、実在のものとは異なり、いっさい関係ありません。

 このごろ、歩くたびに重心が揺れるようになっていた。

 帝王切開まであと50日ほどとなり、出産までのカウントダウンが静かに進んでいる。

 いっぽう、輝の大学生活は事実上、終焉を迎えていた。

 経済学部の卒論は、ずっと在宅であったため一気に完成させ、オンラインで提出。

 単位も卒業要件を満たしており、学期末試験も受ける必要ない状態である。

 出産後の時期と重なり、そもそも卒業式への出席は不可能であるため、大学キャンパスへ足を運ぶ必要すらなかった。

 またこのテスト期間が終われば、卒業生たちはいよいよ就職のために、引っ越しをはじめとする準備で忙しくなるだろうし、暇があれば、みな卒業旅行にでも出かけるだろう。

 この身体で海外など遠くに出かけることは、なかなか難しい。

  必然的に生活圏での行動ばかりになる。

 そんな状況の中で、輝は自分自身について考える時間が増えていった。


「これで卒業はできる。でも、この先どうするか」


 出産後の生活。

 育児。

 そして、自分の将来。

 先日のプールで改めて再認識することになったが、輝の体型は男性から女性へと、すっかり別のものへと変わってきていた。

 下半身はもう視界に入らず、寝返りを打つたびに腹の重さが身体の中心を揺らす。

 それでも、腹の内側から響く胎動はたまに息ができなくなりそうなほど活発で、桃花が非常に元気でいることを告げていた。

 その動きに合わせるように、輝の思考は体の深部へと沈んでいく。

 輝は、自分の身体の成り立ちについて考えていた。

 母の胎内でごく初期に起きた、男女二卵性双生児の受精卵の融合。

 本来なら、輝と「もうひとり」の二人が生まれていたはずだった。

 兄妹だったのか、姉弟だったのか、あるいは双子として似た顔をしていたのか。

 その答えは誰にも分からない。

 もし、二人として別々に生まれていたなら、今ごろはそれぞれが別の人生を歩んでいたのだろう。

 違う学校へ通い、違う友人を持ち、それぞれが恋をして、それぞれが誰かを愛し、別々の未来を築いていたかもしれない。

 輝はその「あり得たはずの未来」を想像し、心に静かな痛みを覚えた。

 だが同時に、その未来では決して起こり得ないことがある。

 桃花の存在だ。

 双子同士で子どもを作ることはあり得ない。

 倫理的にも、生物的にも。

 つまり、輝が「ひとり」として生まれたからこそ、桃花は今ここにいる。

 その事実だけは変わらない。

 腹の中で桃花がぐいっと押し返す。

 その動きは、まるで返事のようだった。

 輝はゆっくりと腹を撫でた。

 自分の身体には、本来なら別々に生きていたはずの二人分の可能性が宿っている。

 そのどちらでもなく、どちらでもある存在として生まれた輝は、今こうしてひとつの命を抱えている。

 腹の中の娘にとって、輝は親であって、男か女かという分類は意味を持たない。

 大切なのは、目の前にいるこの子を守り、育て、愛するということ。

 輝は静かに目を閉じた。

 桃花の前では、母親として接することを決めている。

 それは義務ではなく、自然に芽生えた決意だった。

 再び腹の中から、コツン、と小さな蹴りが響く。

 それはまるで、親である輝の決意を肯定するかのようにも聴こえた。


 ◆


 翌日、輝は実家のリビングで、桃花がきょうも胎内でバタバタ動くのを感じながら横になっていた。

 スマホが震える。

 真白からの着信だった。

 なんだろうと思い、通話ボタンをタップする。


「こんにちは雷鳥さん。どうしたの?」

「ねえ北越くん、ふと思ったんだけどさ……卒業旅行、行けなかったんじゃない?」


 輝はやや苦々しい表情で画面を見つめる。


(……そういえば……みんなは海外とか、国内旅行とか……楽しそうにSNSに上げてたっけ……俺は……)


 そう頭の中で思いつつ、返事をした。 


「うん……行くどころじゃなかったよ。検診もあるし、安定期に入っても念のため遠出は控えてたし……」

「そっか……なんかさ、それ聞いて……わたし、すごく気になっちゃって」


 輝は少し笑った。


(……雷鳥さんらしいな……こういうところ、ほんと優しい)


 真白は根がまじめでお人よしなのだろう。

 人によっては、おせっかいと捉える者もいるだろうが、基本からして善人で、優しさ自体は本心からくるものだった。

 輝は喋る声のややトーンを明るく変えて話す。


「でも、マタ友とはランチ行ったり、ヨガへ通ったりしてるよ。泊りの旅行は……さすがにハードルが高いけど」


 すると真白はなんか考え事をしたのか少し間を置き、改めて口を開いた。


「ねえ北越くん。遠出は無理でも……近場で日帰りの温泉とかなら、どうかな。いざとなっても、病院とかへ余裕で行けるようなところで。リスクが少ない場所で、ゆっくりできるところあれば、わたし、車出せるし」

「……温泉!? 日帰りで……雷鳥さんが一緒に……」


 突然の申し出に輝は驚きが隠せない。

 旅行なんて、そもそも無理だと思っていた。

 この身体のこともあって、男の知人にはそもそも話すらできていないので、行けない。

 家族旅行だとしても、父の剣は既に南米へ戻ってしまったし、母の鷹子はパートのシフトをびっしりと入れていて今更変えられない。

 かといって、一人旅はリスクを考えれば、自粛すべきだったからだ。 


「……いいの? 雷鳥さんの時間、使わせちゃうよ?」

「いいよ。実を言えば、わたし、もう夏休みに沖縄行っちゃったし。なので、今回は友だちと軽くお出かけ、みたいな。泊りじゃなければ、安く済むし、大きな荷物も必要ないでしょ? だから……一緒に行けたら嬉しい」


 その誘いは、輝への配慮、あるいは気を重くさせないように、真白なりに考えた結果なのだろう。


(……ここまで雷鳥さんが気を使ってくれたんだから、断るのは違うな……)


 輝はその場で返答する。

 

「……じゃあ……行きたい。日帰り温泉。雷鳥さんと一緒に」

「よかった……! じゃあさ、善は急げで今週中にしよ。週末の混む時期はやめといたほうがよさそうだし、産むのがあと一か月半後じゃ、あまり時間に余裕ないし。妊婦さんでも入れる温泉、探しておくから。じゃあねー」

「ありがとう。またね」


 そう話すと、真白は電話を切った。

 輝はスマホを胸に抱え、桃花の動きを感じながら笑みがこぼれた。


 ◆


 翌々日の朝。

 本日の天候は快晴だが、放射冷却によってこの冬一番の冷え込みとなっていた。

 輝は玄関で腹を支えながら、傍らに用意されている椅子に腰かけ、靴を履いていた。

 この状態では立ち上がるのにも、靴を履くにも一苦労だ。


(……よし……今日は無理しないように……雷鳥さんがいるから大丈夫……)


 外に出ると、白いコンパクトカーが既に待機している。

 運転席側の扉が開き、ウィンドブレーカーを羽織った真白が姿を現す。


「おはよう、北越くん。準備できてる?」

「うん。迎えに来てくれてありがとう」

「いいよ。わたしも楽しみにしてたから」


 後部座席のドアを開けてくれた真白は、輝が乗り込むのをじっと見守っていた。

 今日の輝は、先日、真白が汚してしまい、シミを洗い落としたコートを再び羽織っている。

 あの時は早期対応の甲斐もあり、きょうは汚れがまったくない状態で着こなせていた。

 真白は衣装を見てほっとする。


(……こんな大きなお腹で……乗り降りだけでも大変だよね……無理させないようにしないと……)


 二人ともシートベルトを装着し車が走り出すと、道端の風景がゆっくりと流れていく。

 真白は高校卒業のタイミングで自動車免許を取得したらしく、初心者マークは3年前に外れたそうだ。

 それでも、衝撃を警戒してか、アクセルやブレーキのタイミングも、いつも以上に慎重に車を進めてゆく。

 真白はハンドルを握りながら、ふと口を開いた。


「北越くんさ……卒業後のこと、どうするの?」


 輝は少し考えてから答えた。


「……就活は、産んで、落ち着いて……両親と相談してから考えるよ」

「そっか……無理しない方がいいよ。内定者懇談会の時の話で、わたしが就職する会社にも、産休育休明けで働いてる人いるし……北越くんも、ね」


 真白は続けた。


「ちなみに……わたしの就職先はね、チェーン店のネイルサロンなんだ。でも大卒だから、店長やって、その上のマネージャー目指していろんなお店を束ねる感じ。もちろん最初は新人だから、現場で一から学んで働いて上がっていくんだけどね」


 輝は笑った。


「雷鳥さんなら大丈夫だよ。しっかりしてるし」


 真白は照れたように肩をすくめた。


「そう見えるだけだよ。ほんとは……いざ就職するとなると、知ってる子とも、もうお別れ。休みも学生より一気に減るし、休む日も、時間すらもバラバラになっちゃう。メッセージアプリで話せても、なかなか直接会えなくなる。そう思うとさ、寂しかったんだ」


 輝は、後方から運転席の真白を眺める。

 彼女は、運転中もあって時々左右確認するものの、基本的に前を向いたまま。

 しかし、輝が乗車していない普段の日常ならば、おしゃべりをすることもなく、独りで寡黙にハンドルを握っていたはずだ。


(……雷鳥さんも……ひとりだったんだ……)


 人間、それぞれ抱えているものは違う。

 でもこうやって、お互いに抱えていることをほんの少しでも、吐露できるようになった関係こそが、友だちといえるのかもしれない。

 輝が真白に語り掛ける。


「……じゃあ、きょうは雷鳥さんにとってもチャンスじゃん」

「チャンス?」

「新しくできた『友だち』と、こうやってリアルに初めて出かけられるんだから!」


 真白の姿はバックミラーを通しても輝にはよく確認できないが、その声のトーンから、少し赤くなりながら、前を向いたまま小さく笑っていそうだ。


「……わたしもだよ。ところでさ、今から友だちらしく、そろそろ苗字から名前呼びとかにしよっか? あだ名もありだけど」


 真白からの提案に、輝にとってはその光景がデジャヴとしてよみがえる。

 それは朝陽とのやり取りから生まれた。

 あの時は結局、朝陽からの呼び方がそのまま定着(?)してしまったニックネーム。

 おそるおそる輝がその名を口にする。


「あだ名...…かがやき、だから『かーや』...…とか?」

「かーや!? なんかかわいい……」

「かわいいっ!? なんかデジャヴが...…」


 こうして、友人同士の会話は、目的地に到着するまでしばらく続くのであった。



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