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俺の中にいる桃のつぼみ  作者: ニボシ
12/24

第二十八週(後)・友だち

※この作品はフィクションです。症例をはじめとする医療情報・法的制度など現実の事象に着想を得ていますが、実在のものとは異なり、いっさい関係ありません。

 ショッピングモールを出てから徒歩五分。

 モール周回の道路を挟んだ向こう側は、店の活気とは裏腹に、閑静な住宅街になっている。

 道路と住宅街との間には並木の緩衝地帯が設けられ、騒音の軽減対策がされているおかげか、すぐに車の喧騒も収まった。

 案内された真白の住むアパートは、モールから想像以上に近かった。

 いや、むしろ最初から、何かと便利なモール近接の物件を選んだのだろう。

 部屋に到着し、真白が鍵を開けると、オレンジの薫りがするワンルームの居室が広がっている。


「じゃ、お邪魔します」


 輝は濡れたコートとエコバッグを手にしたまま、靴を脱ぐ。

 この靴はいわゆるウォーキングシューズで、底面にはクッション材が挿入されており、妊娠して体重が増加しても、足への衝撃を和らげる効果があった。

 だが、輝の足のサイズは26.5センチ。

 女性向けの靴でこのサイズはなかなか存在しない。

 結局、今まで通りのメンズサイズを引き続き使っており、輝自身は特に気にしていなかった。

 だが、輝の靴横に並ぶように置かれている真白のスニーカーと比較してしまうと、その大きさの違いは歴然である。 


「北越くん、タオル持ってくるね。シャワー、すぐ使えるから……」


 真白は先行してタンスへ向かい、フェイスタオルやバスタオルの用意を始めた。

 さらに同時に、エアコンのリモコンで暖房をセットしている。


(……雷鳥さん……すごく気を遣ってくれてる……優しいな……)


 ゼミでも彼女は気さくな性格で、細かい部分にも気づく存在だったことを、輝は思い出す。

 ただ、いまここにいるの彼女は、まだ混乱と戸惑いが解消していないためか、かつてのような明瞭さがない。

 その真白はタオルを持ってきて、輝に差し出した。


「コート……貸して、洗うから。シャワー浴びて……温まって。お腹……冷えたら大変だよ。あ、代わりの服...…」

「……ありがとう、今日自分で買ったのがあるから大丈夫。気にしないで」


 輝は真白を安心させるようにエコバッグの中身を見せ、濡れたコートを渡すとシャワー室へ向かった。

 真白は服を抱えながら、深く息を吸う。


(……北越くんの服……わたしのせいで……こんなに濡れちゃって……ほんとに申し訳ないことを……でも……さっきの『北越くん』……あれは……どう見ても……)


 真白は複雑な思いを抱きながらも、コートの洗濯表示を確認する。

 そして、シンクにコートを運ぶと台所洗剤を手に取り、シミになった個所をつまみ洗いして流水をかけた。

 こうして、シミは少しずつ取れていく。

 次に、洗濯ネットへコートを畳んで入れ、全自動洗濯機をセットした。 

 しばらくすると洗濯機が回る低い音が、真白のワンルームに一定のリズムを刻んでいく。

 過去何度か服のシミで失敗したことがある彼女は、シミ抜きを学びリベンジを果たしたことになる。

 だがそこに、シミ抜き達成への高揚感などあろうはずがない。

 輝にはどんな言葉をかけたらよいのか、それすらもわからないのだ。

 そこへ、シャワーを浴び終えた輝が戻ってきた。

 その姿は今日購入したばかりというTシャツを着ていたが、それは女性用の授乳口付きのもの。

 当然、腹の丸みもはっきり分かる。

 胸元も、以前の「彼」の印象とはまるで違う。

 服の上からでも、柔らかく膨らんだ形が分かってしまう。

 腰回りも、やや骨盤が広がったのか、ヒップラインが自然と強調されていた。

 真白は思わず目をそらした。


(……あ……だめ……見ちゃいけない……でも……これ……ほんとに……北越くん……?)


 胸の奥がざわつく。

 驚きと困惑とが未だに入り混じった感情だった。

 輝は髪をタオルで押さえながら、少し照れたように笑う。


「ありがとう……助かったよ。ちょうど買い物した後で、不幸中の幸いだった」


 真白は慌てて首を振った。


「い、いや……! 全然いいよ……! むしろ……その……お腹……冷えてない……?」


 輝は腹に手を添えた。


「うん。シャワーで温まったから大丈夫」


 その仕草が、あまりにも自然で、あまりにも「妊婦」だった。

 真白はその姿を見て、胸がぎゅっと締めつけられた。

 輝はそんな彼女の気持ちを察したのだろうか。


(雷鳥さんには、話してもいいかもしれない……驚かれるだろうけど……拒絶は……されない気がする……)


 深く息を吸い、再び腹に手を添え自分から口を開いた。


「……雷鳥さん。驚くのも当たり前だよね。でも、もうこうなったら言うけれど、簡単に言えば……俺は、実は『女』なんだ。正確には……男女、両方の身体を持ってて……それで……妊娠した。今、八か月に入ったところ」


 真白は息を呑みこんだ。

 絶句という言葉があるが、まさにその通りとしか言えない。

 信じられないという感情と同時に、事実である目前の輝を見れば、けっして否定することなどできない。


(……北越くんは、声とか、ゼミの時と変わってない……でも……言葉の『重さ』が……刺さってくる……こんな秘密……誰にも言えるわけないっ……)


 真白は震える声で言った。


「……ひとりで……そのこと……抱えてたの……?」

「最初はそうだった。大学にも言ってない。友だちにも……。言ったらどう思われるか……怖くて」


 真白は胸に手を当て、涙がにじみそうになるのをこらえた。

 しかし、輝は前言を否定するわけでもなく、むしろ肝を据えた口調で続ける。


「……でも、病院の先生や両親、あと...…新しく知り合った仲間と話していく中で、いまの自分を、自然のままに受け入れることにしたんだ。何より、俺の『お腹の子』が一番大事だから」


 お腹の子、という表現がすべてであった。

 精神的にも、肉体的にも、あまりにも「重い」事実。

 だが、輝の声からは、その重さを受け止めたうえで、そこからしっかりと支えようという意欲が伝わってくる。

 真白は、その心意気にうたれた。


「……北越くん……ほんとに……つらかったよね。でも、前を向くことにしたんだ...…そっか、そうだよね...…話してくれてありがとう...…」

「……こちらこそ、ありがとう、雷鳥さん。家族以外で知り合いにこのことを話すの、雷鳥さんが初めてだったんだ...…やっと俺も、楽になれたよ」


 輝が語り終えたあと、部屋にはしばらく静かな時間が流れた。

 真白は目頭が熱くなるのを感じながら、輝の大きく丸いお腹に視線を落とした。


「……赤ちゃんの名前……決めたの?」

「うん。桃花、って言うんだ。帝王切開の予定日も3月3日の、桃の節句だし。俺、食べる桃も好きだし。桃の花が咲いたときに、明るい色を魅せてほしいなって」


 いつの間にか真白は、自分の両手を輝の右手に重ね、ぎゅっと握りしめていた。


「……北越くん……あの……」


 言いかけて、言葉が喉で止まる。


(……言っていいのかな……失礼じゃないかな……でも……どうしても……確かめたい……)

「どうしたの、雷鳥さん」


 輝が声をかける。

 真白は一度深呼吸して、勇気を振り絞るように言った。


「とっても...…失礼だとは思うんだけど……桃花ちゃん……触っても……いい……?」


 その声は、驚くほど真剣で、驚くほど優しかった。

 輝は一瞬驚いたが、すぐに柔らかく返答する。


「……うん。いいよ。桃花も……きっと喜ぶと思う」


 輝はゆっくりとTシャツの裾を整え、腹部を両手で支えながら、真白の方へ向けた。

 真白は膝を寄せ、そっと手を伸ばす。

 彼女の手は輝より一回り小さく、指の爪それぞれに淡いホワイトのネイルが載せられている。

 そして、その指先が触れた瞬間、その腹から小さな、けれども力強い振動が伝わってきた。


 ぽこん。


「……っ……! い、いま……動いた……!」

「うん。桃花、よく動くんだ。雷鳥さんの手、分かったのかもね」


 輝はとても嬉しそうで、その表情はだんだん母親のものへとなりつつあるのだろう。


(……ほんとに……北越くんのお腹の中に……命がいるんだ……)


 真白はしばらくの間、その胎動を肌で直接感じ、手を離せずにいたが、突然意を決し、少し震えながら輝に話しかける。


「……北越くん。わたし、あなたと……改めて……友だちとして話したいんだ」

「……友だちとして?」

「うん。ゼミの時は……確かに普通におしゃべりもしたし、一緒に実地調査にも行ったけれど、あくまで『知り合い』ってだけで……特別に意識したこともなかったんだ。でもさ、男とか、女とか、そんなこと関係なく……もっとお話しして、仲良くなっておけばよかったなって」


 輝は彼女に尋ねる。


「それは、同情? ...…それとも後悔?」

「もちろん、本音を言えばその両方ともあるけれど、でもそれだけじゃなくて。えと..….共感っていえばいいのかな? 自分がもし同じ立場だったらって。辛いのはあるし、正直、それがこれからも続くかもしれないけれど、でも北越くんは受け止めていて。今はちょっとずつかもしれないけれど、前に進もうとしてるところが凄いなって」


 その言葉には、飾り気のない気持ちが滲んでいた。

 輝の胸に、そっと温かいものが広がっていく。

 真白は続けた。


「でも……今日、北越くんに会って……話を聞いて……桃花ちゃんの動きにも触れて……なんか……『つながりたい』って思ったんだ」


 輝は息を呑んだ。

 真白は照れたように笑いながら、スマホを取り出す。


「……よかったら……連絡先、交換してくれないかな。友だちとして……これからも話したいんだ」


 その言葉は、輝の胸に深く染み込む。


(……雷鳥さん……こんな俺を……友だちって……言ってくれるんだ……)


 友だち――

 もちろん、いろんな友だちがいる。

 よく云われる「深い」「浅い」といった距離感だけでなく、一人ひとり定義すら違う。

 輝にとって、朝陽や能美も大切な友だちになったが、彼女らは輝の秘密を知らない。

 しかし真白は、以前からの輝を知る存在という意味では、異質だ。

 それでも輝は「友だち」と言ってくれたことが率直に嬉しかった。

 真白に対して、朝陽や能美とは接し方や態度が変わることもあるに違いないが、それでも、友だちであることには変わりない。

 輝は笑って、自分のスマホを取り出した。


「……うん。俺も……そうしたい。友だちとして……よろしくね、雷鳥さん」


 真白の表情がぱっと明るくなる。


「……うん。よろしくね、北越くん」


 二人のスマホで音が鳴り、画面にお互いの名前が表示される。


 雷鳥真白。

 北越輝。


 二人の間にあった距離は、確実に縮まった。

 少なくともそれは一方的な思い込みによるものではなく、「知人」が「友だち」になったと、お互いに認識を共有しているのだけは間違いない。 

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