第40話「王の器」
【第6刻限】残り19日 16時間 ─ 刻印課題:火山公を屈服させよ
───
ヴォルカンが、剣を構えた。
炎を纏った刃が、空気を焦がす。
熱波が、レイスの頬を撫でた。
「本気で来い、若造」
黒い瞳が、真っ直ぐにレイスを射抜く。
「手加減はせん」
次の瞬間──ヴォルカンが踏み込んだ。
速い。
炎の軌跡が、視界を横切る。
レイスは、反射的に身を沈めた。
ゴウッ!
頭上を、灼熱の刃が通過する。
髪の毛が、数本焦げた匂いがした。
(死ぬ死ぬ死ぬ──!)
転がるように後退する。
だが、足は止まらなかった。
逃げる方向ではなく──前へ。
「……ほう」
ヴォルカンの目が、僅かに見開かれた。
───
二度目の斬撃。
今度は、下段から。
足を狙った薙ぎ払い。
レイスは跳んだ。
不格好な跳躍。
だが、刃は空を切った。
着地と同時に、短剣を突き出す。
届くはずがない。
分かっていた。
だが、届かなくても──向かっていく。
ヴォルカンが、片手で短剣を弾いた。
甲高い金属音。
衝撃が、腕を痺れさせる。
レイスは、よろめきながらも踏みとどまった。
紅い瞳が、真っ直ぐにヴォルカンを見据えている。
その目に──恐怖はなかった。
───
ヴォルカンは、三度目の剣を振り上げた。
だが──振り下ろさなかった。
代わりに、じっとレイスを見つめている。
「……お前」
低い声が、響いた。
「死を、恐れていないな」
それは、質問ではなかった。
確認だった。
レイスは、肩で息をしながら答えた。
「恐れてないわけじゃない」
声は、掠れていた。
「ただ──どのみち、逃げても死ぬ」
ヴォルカンの眉が、動いた。
「ならば、前を向いて死ぬ方がマシだ。──それだけだ」
沈黙が落ちた。
炎が、ちりちりと音を立てている。
ヴォルカンは、長い間、何も言わなかった。
ただ、目の前の若者を見つめている。
100年を生きた武人は、数え切れないほどの戦場を駆け抜けてきた。
幾千の敵を斬り、幾百の部下を失った。
その中で、様々な人間を見てきた。
勇敢な者。臆病な者。狡猾な者。愚かな者。
だが──こういう男は、初めてだった。
死を覚悟している。だが、諦めてはいない。
逃げられないから戦う。死ぬと分かっていても、前を向く。
ヴォルカンは、剣を下ろした。
「……なるほど」
静かな声だった。
「お前は、死を背負っているのか」
レイスは、答えなかった。
「いつ死んでもおかしくない。そう思いながら、それでも前に進んでいる」
炎が、静かに消えていく。
「だから、恐れがない。──いや、違うな」
ヴォルカンの黒い瞳が、レイスを射抜いた。
「恐れを、超えているのか」
沈黙。
「……買い被りだ」
レイスは、短く答えた。
「俺はただ、逃げ場がないだけだ」
「それでいい」
ヴォルカンが、剣を鞘に収めた。
金属が鳴る、硬い音。
「逃げ場がなくても、立ち続ける。──それが、王の器だ」
───
ヴォルカンは、壁に背を預けた。
炎はもう、どこにもなかった。
廊下には、焦げた石の匂いだけが残っている。
「100年前──俺は、カーラ様の側近だった」
静かな声だった。
「人間族大連合との最終決戦。灰燼の谷で、俺はカーラ様の傍にいた」
黒い瞳が、遠くを見ている。
「勝利の後、カーラ様は俺を呼んだ。死の床で──たった一人、俺だけを」
フィーネが、息を呑む音が聞こえた。
「そこで、予言を授かった」
【策謀の魔眼】が、再び反応する。
ヴォルカンの言葉は、赤く光らない。
すべて、真実だ。
───
「『ヴォルカンよ。100年待て』」
ヴォルカンの声が、廊下に響いた。
それは、彼自身の言葉ではなかった。
100年前に聞いた声を、再現するかのような──厳かな響き。
「『真の後継者が現れる』」
「『その者は、白き龍とともにある』」
ファルの耳が、ぴくりと動いた。
「『火の城塞の門が砕かれた時──お前の前に、新たな王が立つ』」
沈黙。
ヴォルカンが、最後の言葉を告げた。
「──それが、カーラ様の遺言だ」
───
長い沈黙が落ちた。
カディルの鎧が、微かに軋んだ。
フィーネの手が、胸元で握りしめられている。
レイスは、しばらく黙っていた。
やがて、静かに口を開いた。
「一つ、聞いていいか」
「何だ」
「『白き龍』──それは、どんな姿だと言われた」
ヴォルカンの眉が、僅かに寄った。
「……それが、問題なのだ」
声には、長年の困惑が滲んでいた。
「カーラ様は、それ以上は語らなかった。『白き龍』──その言葉だけだ」
黒い瞳が、ファルを見つめる。
「そもそも、龍など──俺は見たことがない」
───
その言葉に、レイスは僅かに目を見開いた。
「見たことがない?」
「ああ」
ヴォルカンが頷いた。
「龍は、2万年以上前に滅んだと言われている。カーラ様の時代ですら、伝説の存在だった」
炎を纏った男の声が、静かに響く。
「俺が知る限り龍を見た者は一人もいない。絵画や彫刻は残っているが──実物を知る者は、もはやいない」
視線が、ファルに向けられた。
「だから、その生き物が龍なのかどうか……正直、俺には分からん」
レイスは、肩の上のファルを見た。
真珠白色の鱗。
金色の瞳。
小さな翼。
(……確かに、これが龍かどうかなんて、誰にも分からない)
(ゲームでは「龍」として扱われていたけど、それが正しい保証はない)
「ただ──」
ヴォルカンの声が、変わった。
「一つだけ、確かなことがある」
───
「カーラ様は、死の間際にこう言われた」
ヴォルカンの目が、遠くを見ている。
「『龍を見れば、分かる』──と」
沈黙。
「『言葉では説明できぬ。だが、見れば分かる。魂が、震える』」
その言葉を言い終えた瞬間──ファルが、動いた。
レイスの肩から飛び立ち、ヴォルカンの前に降り立つ。
「キュルル……」
低い唸り声。
だが、威嚇ではなかった。
金色の瞳が、ヴォルカンを見上げている。
そして──。
その瞳が、光った。
一瞬だけ。
金色が、白銀に変わった。
同時に、ファルの全身が──淡い光を纏った。
真珠白色の鱗が、光に輝く。
ほんの刹那。
だが──その刹那に、ヴォルカンの全身が震えた。
───
火山公は、息を呑んだ。
膝が、震えている。
100年を生きた武人が。
幾千の戦場を駆け抜けた猛者が。
小さな生き物の前で、立っていられなくなっている。
恐怖ではない。
畏怖だ。
言葉にできない、根源的な何か。
カーラの言葉が、脳裏に蘇ったのだろう。
その顔が、驚愕に染まっていた。
光は、すぐに消えた。
ファルは何事もなかったかのように、レイスの肩に戻っていく。
「キュ?」
首を傾げる仕草。
まるで、何が起きたのか自分でも分かっていないかのように。
だが、ヴォルカンの中で──何かが、決定的に変わっていた。
───
ヴォルカンは、ゆっくりと膝を折った。
石畳に、片膝をつく。
カラハン国最強の公爵が──頭を垂れている。
「……100年、待った」
声は、静かだった。
だが、その奥に──100年分の重みがあった。
「カーラ様の言葉を、信じて」
灰色の髪が、前に垂れる。
「正直に言おう。最初は、信じられなかった」
顔を上げる。
「以前のお前は──俺と目を合わせることすらできなかった。震える声で『はい』と答えることしかできない、惨めな若造だった」
だが、その声に侮蔑はなかった。
「だが、今のお前は──」
黒い瞳に、敬意が宿っていた。
「死を背負い、それでも前を向いている。部下の前に立ち、勝てない相手に向かっていく」
ヴォルカンは、剣を床に置いた。
「そして──あの生き物がいる」
視線が、ファルに向けられた。
「龍かどうかは、分からん。だが──魂が震えた。カーラ様の言葉通りに」
深く、頭を下げた。
「俺の剣を、受け取ってくれるか。レイス・カランルク」
重い声だった。
100年分の重みが、その言葉には込められていた。
───
(……ちょっと待って)
レイスの内心は、完全に追いついていなかった。
(攻略wiki、こんな隠しイベントなかったんだけど)
カーラの予言。
100年の待機。
そして──「白き龍」。
ファルが、すべての条件を満たしていた。
(いや、ファルは何なんだよ本当に……)
だが、表情は崩さない。
目の前では、カラハン国最強の公爵が──片膝をついている。
(……ここで断る選択肢は、ない)
(というか、断ったら絶対キレられるよね? この状況で「いらない」って言ったら、プライド傷つけて激昂パターンだ)
だが──それだけではなかった。
目の前で膝をついている男の姿。
100年、ずっと一人で待ち続けていた。
誰にも言えない予言を抱えて、国を混乱させていると分かりながら、それでも待った。
(……重すぎるんだよ、この人)
レイスは、一歩前に出た。
「ヴォルカン・アレヴリ」
静かに、名を呼んだ。
「100年──長かったな」
ヴォルカンの肩が、僅かに揺れた。
「お前の剣、確かに受け取る」
その言葉が発せられた瞬間。
視界の端に、システムメッセージが浮かんだ。
『条件達成を確認。対象:ヴォルカン・アレヴリ(BP200)』
『【魂刻の絆】を発動します』
ヴォルカンの身体から、赤い光が立ち上った。
炎のような、だが熱くはない光。
それがゆっくりとレイスに向かって流れ込んでいく。
圧倒的な力が、体内を駆け巡る感覚。
今まで感じたことのない──灼熱の奔流。
『【絆の共鳴】インフェルノを習得しました』
(インフェルノ……! あの大規模火炎魔法か)
レイスは、指先に宿った熱を感じながら、内心で息を呑んだ。
(いや待って、劣化版だよね? 本人みたいに城を焼き払えるわけじゃない。せいぜい中規模──それでも、これは大きい)
同時に、視界の端に新たなメッセージが浮かんだ。
『刻印課題達成を確認』
『──第6刻限、達成』
(……やった)
内心で、深く息を吐いた。
(第6刻限、クリア)
光が収まった。
ヴォルカンが、ゆっくりと顔を上げる。
その黒い瞳には──100年分の重荷を下ろしたような、静かな安堵があった。
「これより、この身は主君のものです」
その口調は、先ほどまでとは明らかに違っていた。
対等な武人としての荒々しさは消え、主君に仕える臣下としての敬意が滲んでいる。
「立て、ヴォルカン」
レイスは、静かに言った。
「積もる話は、場所を変えてからだ」
ヴォルカンが立ち上がる。
その口元に、不敵な笑みが浮かんだ。
「……御意。では、客間へ」
───
【第6刻限】達成 ─ 刻印課題:火山公を屈服させよ ─ 完了
<レイスのひと言:100年待たせた新入社員、採用しました>




