第38話「火の城塞」
【第6刻限】残り19日 18時間 ─ 刻印課題:火山公を屈服させよ
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ア・ザル・ガルド。
火の城塞。
その名を初めて聞いたとき、レイスは笑った。
ゲームの「橋の悪夢」ステージだ。
攻略掲示板で「17回全滅した配信者がいる」と語り草になっていた、あの悪名高い難所。
だが今、実物を目の前にして──笑えなくなった。
(……聞いてない。こんなの、聞いてない)
断崖絶壁の上に聳え立つ要塞。
黒い岩壁は、100年間燃え続ける永炎に照らされ、血のように赤く染まっている。
正面には、深い峡谷を跨ぐ一本の石橋。
橋の幅は、馬車がすれ違うのがやっとだろう。
その両側は──奈落。
谷底は霧に覆われて見えない。
落ちたら死ぬ。即死。リトライなし。
背筋に、冷たいものが走った。
画面越しに見るのと、実際に立つのとでは、迫力が違いすぎる。
肩の上で、ファルが身を縮めた。
「キュ……ルル……」
低い唸り声。
小さな体が、ぶるりと震えている。
(お前もビビってるのか。正直でよろしい。私もビビってる)
───
「閣下」
カディルが白馬を寄せてきた。
琥珀色の瞳が、城塞を睨みつけている。
「あの橋……渡れますか」
「渡れるさ」
レイスは涼しい顔で答えた。
「──棺桶に入ってな」
沈黙が落ちた。
メルヴェが扇子で口元を隠し、くすりと笑う。
「殿下。兵たちが聞いておりますわ」
「すまん…」
(いや、本音なんだけど……)
橋の全長は、およそ500メートル。
城壁からの射程圏内に入れば、火矢と魔法の嵐が降り注ぐ。
しかも橋の上では、隊列を広げることができない。
一列縦隊で進むしかないのだ。
つまり──的だ。
兵士たちが、動く的になる。
「正面突破は自殺行為だ」
カディルが低く唸った。
「分かっていますわ」
メルヴェが頷く。
「あの橋を渡る間に、全滅しますわね」
バラカが大斧を担ぎ直し、首を傾げた。
「じゃあどうすんだ、大将。まさか引き返すわけじゃねえだろ?」
全員の視線が、レイスに集まった。
夜明け前の薄闇が、黒いコートの輪郭をぼかしている。
遠くで、城塞の永炎がちりちりと音を立てている。
(……プレゼン本番だ。ここで「わかりません」は許されない)
レイスは、ゆっくりと口を開いた。
「だから──橋を渡らない」
───
「渡らない、とは?」
ナズが眼鏡を押し上げ、首を傾げた。
「橋を渡らずに、どうやって城塞に?」
「見ろ」
レイスは城壁を指差した。
正面の巨大な城門。
その両脇に据え付けられた、黒い砲塔。
砲口から、熱気が陽炎のように揺らめいている。
「あれがインフェルノ。魔道砲台だ」
(射程1,000メートル。橋の全長を完全にカバーしている……攻略wikiの通りだ)
メルヴェの目が細まった。
「あれに撃たれたら、装甲馬車でも持たねえな」
バラカが舌打ちする。
「だから、先に潰す」
レイスが言い切った瞬間──。
後方から、車輪の軋む音が響いた。
全員が振り返る。
土埃の中から、二つの人影が現れた。
───
「──できた」
ドゥラクの声は、いつも通り素っ気なかった。
だが、その目の奥には──火が灯っていた。
職人としての、静かな炎。
「ギリギリだ。サンドリザードの鱗の加工に手間取った」
彼の背後から、巨大な布に覆われた構造物が運び込まれてくる。
護衛の兵士たちが、それを慎重に台車から降ろした。
そして──その隣に。
「レイス様」
蒼穹色の瞳が、レイスを見上げた。
フィーネだった。
金髪は後ろでまとめられ、動きやすい軽装に身を包んでいる。
顔色は健康的で、以前の青白さは消えていた。
彼女は第5刻限の古代遺跡で、封印の一部を解除した代償として、長い昏睡状態に陥っていた。
目覚めたのは、第6刻限が始まる少し前のことだ。
それからは、リハビリを続けながら、ドゥラクの工房で神槌砲の改良を手伝っていた。
「お待たせしました」
フィーネが微笑んだ。
その笑顔には、以前よりも芯が通っていた。
封印の一部が解けたことで、魔力が格段に上がっている。
古代遺跡の試練を経て、彼女の中で何かが変わったのだ。
「ドゥラク殿のお手伝いをしていました。メルヴェ様にご指導いただきながら、バリアの精度調整に……微力ですが」
「フィーネの嬢ちゃんが、砲身に結界術式を組み込んでくれた」
ドゥラクが布を引き剥がした。
現れたのは──二本の平行なレール。
その間に配置された魔力炉。
複雑な冷却回路と、銀色に輝く砲身。
神槌砲。
試作機とは、明らかに違う。
砲身の表面には、精緻な魔術紋様が刻まれていた。
それは、フィーネのバリアと同じ──時空系の術式だ。
「封印が緩んだおかげで、魔力の精度が上がっていますの」
メルヴェが扇子を開いた。
「わたくしが理論を教え、フィーネさんが実際に術式を刻む。……良い共同作業でしたわ」
フィーネが小さく頭を下げた。
「メルヴェ様のご指導がなければ、とても」
「おかげで、熱と衝撃の分散効率が3倍になった」
ドゥラクが顎で示す。
「……3倍」
レイスの目が見開かれた。
前回の試射では、たった一発で砲身が溶けた。
それが3倍持つということは──。
「三発は撃てる」
ドゥラクが断言した。
(間に合った……!)
レイスの胸の内で、何かがほどけた。
(ドゥラクの執念。フィーネとメルヴェの魔術。そして──)
「バラカとエブルにも感謝してるぞ」
ドゥラクが付け加えた。
「サンドリザードの鱗と雷鋼鉱を最速で届けてくれたのは、あの二人だ」
バラカが照れくさそうに頭を掻いた。
「へへ、まあな。タジル商会のルートがなきゃ、間に合わなかったぜ」
(みんなの力が、ここに集まっている)
(これが──チームだ)
社畜時代、「チームワーク」という言葉は、上司が残業を正当化するための呪文でしかなかった。
だが今、目の前にあるのは違う。
それぞれの専門性を持ち寄り、一つの目標に向かって走る──本物のチームだ。
(……感傷に浸ってる場合じゃない)
レイスは表情を引き締めた。
「作戦を説明する」
「ドゥラクは、神槌砲を組み上げてくれ」
───
砂地に、棒で図を描いていく。
城塞の見取り図。
橋の位置。
城門。
そして、二基のインフェルノ。
「狙いは三つだ」
レイスは棒で、三箇所を順に指した。
「一発目。正面城門。あの分厚い鉄と石の扉を、吹き飛ばす」
「二発目。インフェルノの一基目」
「三発目。もう一基のインフェルノ。これで、橋を渡る際の脅威を排除する」
全員が、息を呑んだ。
「神槌砲の射程は、橋の長さを超える。城壁からの攻撃が届かない位置から、一方的に撃ち込める」
「……攻城戦の常識を、ひっくり返すつもりですのね」
メルヴェが扇子を畳んだ。
「やってみる価値はありますわ」
カディルが頷いた。
「しかし閣下。三発すべてが命中する保証は?」
「ない」
レイスは正直に答えた。
「だから、外す余裕もない」
(プレゼン資料は完璧に仕上げた。あとは本番で失敗しないことだけ)
(……それが一番難しいんだけど)
沈黙。
ファルが、肩の上で身じろぎした。
「キュルル……」
(お前、空気読めるようになったな)
レイスはファルの頭を軽く撫でた。
「ファル。お前は後方で待機だ」
「キュ……?」
「砲撃の衝撃波は、小さい体には危険だ。発射が終わるまで、ナズと一緒にいろ」
ファルが不満げに鳴いたが、レイスは首を振った。
「これは命令だ」
ナズが手を伸ばすと、ファルは渋々とその腕に移った。
金色の瞳が、レイスを恨めしげに見つめている。
(……すまん。でも、お前を危険に晒すわけにはいかない)
───
神槌砲を設置する。
台車の固定。
魔力炉の起動確認。
照準の調整。
ドゥラクの指示のもと、兵士たちが慎重に作業を進めていく。
メルヴェが砲身の前に立ち、両手を翳した。
「冷却術式、展開」
空気が震える。
砲身に霜が降り、銀色の表面が白く染まった。
「準備完了ですわ」
全員が、砲の後方に下がった。
レイスは、遠くの城塞を見据えた。
正面城門。
夜明け前の闇の中、永炎に照らされた黒い鉄扉が鈍く光っている。
距離、約800メートル。
(初弾で城門を破壊。……外せば、作戦は瓦解する)
喉が渇く。
手のひらに、汗が滲んだ。
(プレゼンの一発目。これで決まる)
(……深呼吸。落ち着け。5,000時間やったゲームだ。できる)
「閣下」
カディルが声をかけた。
「号令を」
レイスは、大きく息を吸った。
そして──。
「──撃て」
───
ズドォォォォォン!!
轟音。
閃光が走った。
青白い雷光が、一直線に城門へ向かって飛翔する。
空気が焼ける。
衝撃波が、砂埃を巻き上げた。
一瞬の静寂。
世界が、息を止めた。
刹那の後──。
ドゴォォォォォン!!
城門の一角が、粉々に崩れ落ちた。
鉄と石が飛び散り、黒煙が立ち上る。
遠くから、悲鳴のような音が聞こえた。
「命中……!」
ナズが叫んだ。
「命中しましたわ!」
メルヴェの目が輝いている。
(……っ、よし。第一関門クリア……!)
だが、レイスは動かなかった。
(喜ぶのはまだ早い。あと2発)
「次だ。インフェルノ一基目。照準を修正しろ」
「了解!」
兵士たちが、砲の向きを変える。
ドゥラクが砲身を叩き、異常がないか確認した。
「魔道弾、装填準備完了」
「……撃て!」
ズドォォォォォン!!
二発目の閃光が、城壁を貫いた。
着弾。
魔道砲台の一基が、炎を噴き上げて沈黙した。
「よし……!」
バラカが拳を握る。
「あと一発!」
(いける。いけるぞ……!)
その時だった。
ギシッ──ガキィッ!
嫌な音が連続した。
「……っ!」
ドゥラクの顔色が変わった。
「台車が……!」
神槌砲を支える台車の車軸が、二発の反動で完全に折れていた。
傾いた砲身が、ゆっくりと地面に向かって倒れていく。
同時に──砲身の表面に、無数の亀裂が走った。
「砲身も限界だ……!」
ドゥラクが歯を食いしばった。
「これ以上は撃てねえ……!」
レイスの胃が、きゅっと縮んだ。
(二発……二発しか撃てなかった)
(インフェルノが、一基残ってる)
(想定外のトラブル。これだから現場は……!)
城塞の方を見る。
もう一基の魔道砲台が、砲口をこちらに向けようとしていた。
熱気が陽炎のように揺らめいている。
(……泣き言を言ってる暇はない。次の手だ)
「……プランBだ」
レイスは静かに言った。
「インフェルノ一基が残った状態で、突入する」
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【第6刻限】残り19日 17時間 ─ 刻印課題:火山公を屈服させよ
<レイスのひと言:想定外のトラブル、これだから現場は……>




