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第37話「クズル平原──血染めの野戦」


【第6刻限】残り35日 ─ 刻印課題:火山公を屈服させよ


───


7,000 vs 3,000。


倍以上の敵を前に、レイスは笑っていた。


──というのは、後世の記録に残る「演出」である。


実際のところ、レイス・カランルクの内心は以下の通りだった。


(無理。絶対無理)


(月曜朝の『来週までに全部やって』案件だ、これ……)


       ◇


クズル平原。

ヴォルカン軍7,000の本陣。


玉座のような椅子に腰掛けた男の前に、三人の武将が立っていた。


赤毛の大男が、獰猛な笑みを浮かべている。

カプラン・ギョクハン。

『紅虎』と呼ばれる猛将だ。


「公爵閣下。敵は3,000、我らは7,000」


「倍以上の差だ。正面からぶつかれば、半日で片がつく」


その隣で、銀髪の青年が冷めた目で首を振った。

ユルドゥズ・チェリク。

『流星』の二つ名を持つ剣士である。


「油断は禁物だ、カプラン」


「あの男は、アテシュ家とドゥマン家を併合した」


カプランが鼻を鳴らす。


「はっ。俺は覚えてるぞ。あのレイス・カランルクって野郎、以前会った時は震えながら『は、はい……』って返事してた引きこもりの小僧だ」


後方から、嘲笑が漏れた。


黒いローブを纏った老人が、杖を突きながら歩み出る。

ジェヘンネム・ヤクト。

『業火』と呼ばれる火炎魔導士だ。


「同感だ。所詮は、周囲に担がれただけの木偶人形よ」


「頭を潰せば、あとは烏合の衆。灰になるのを待つだけだ」


三人が自信に満ちた顔で頷き合う中──


ヴォルカンは、何も言わなかった。


彼の黒い瞳は、遠く南の地平線を見ていた。


「……出陣だ」


それだけだった。


───


クズル平原の南側。

レイス軍3,000が陣を敷いている。

残りの1,000余は、城と各拠点の防衛に充てられていた。


前線に並ぶのは、新型魔導バリスタ【雷神】5基。

そして、30両の装甲馬車。


「閣下。敵軍、動き始めました」


カディルの声が響いた。


地平線に、赤い旗が翻る。

土煙が立ち上がり、馬蹄の振動が地面を伝わってきた。


風が変わった。

乾いた砂埃と、何千もの兵士が発する熱気の匂い。


レイスの手が、無意識に震えた。


「……来たか」


レイスは立ち上がった。


「全軍、構えろ。──今日、俺たちは歴史を作る」


(言ってて恥ずかしいけど、士気って大事だからね……)


(でも手、震えてるの気づかれてないよね?)


───


「閣下」


メルヴェが望遠鏡を下ろし、静かに口を開いた。


「敵将の顔ぶれを確認いたしました」


レイスは頷いた。


「言ってみろ」


「先頭は赤毛の巨漢。おそらくカプラン・ギョクハン。『紅虎』と呼ばれる猛将ですわ。剣技に優れますが、猪突猛進の気がありますの」


メルヴェの紫水晶の瞳が、戦場を見渡した。


「その後方に銀髪の青年。ユルドゥズ・チェリク。『流星』の二つ名は、その剣速から。暗殺も得意といたしますわ」


「そして……」


銀髪の魔術師の声が、僅かに硬くなった。


「右翼に黒いローブの老人。ジェヘンネム・ヤクト。『業火』と呼ばれる火炎魔導士。──あの者だけは、注意が必要ですわ」


「魔法か」


「ファイアストーム──広範囲を焼き尽くす大魔法を使いますの。剣士二人より、あの老人が厄介ですわ」


(やっぱりそうか……)


レイスはゲームの記憶を辿った。


カプラン、ユルドゥズ、ジェヘンネム。

いずれも名前だけは知っている。

ヴォルカンルートで仲間になる可能性のあるキャラクターたちだ。


(油断したら死ぬ。でも──)


(できれば、あの三人は欲しい。敵の有能社員を引き抜くのは、人事の基本)


「メルヴェ。剣士二人は生け捕りにできるか」


「……努力いたしますわ」


「魔導士は任せる」


「承知いたしました」


メルヴェの扇子が、静かに開かれた。


───


ヴォルカン軍の先陣が、距離を詰めてくる。

3,000メートル……2,500……2,000──


「【雷神】、撃て」


ドォォォォン!!


5基の魔導バリスタが、一斉に火を噴いた。

雷光を纏った巨大な矢が、敵陣に突き刺さる。


爆発。

悲鳴。

馬の嘶き。


鉄と血の匂いが、風に乗って流れてきた。


先頭を走っていた騎兵の一団が、吹き飛ばされた。


「たかが弓矢だ! 怯むな、突撃ぃぃぃ!!」


紅虎カプランが、双剣を振り上げて突進してくる。


「装甲馬車、前へ」


30両の装甲馬車が、横一列に並んで前進する。


ガギィィィン!!


馬が弾かれた。

後続の騎兵が追突し、将棋倒しのように崩れていく。


「今だ! 弓兵、射て!」


カディルの号令で、装甲馬車の隙間から矢が放たれた。


(よし、ここまでは想定内)


(でもプロジェクトって、進捗80%からが本番なんだよね……)


───


「馬がダメなら、足で行くまでだ!」


カプランが馬から飛び降りた。


双剣が旋風のように回転し、装甲馬車の鉄板を切り裂く。


「道は、俺が開く! 続けェ!!」


切り開かれた穴から、敵兵が雪崩れ込んでくる。


カディルが白馬を駆って、前線に飛び出した。


白銀の剣が、陽光を反射して煌めく。


「止まれ」


「ほう。やるじゃねえか」


剣と双剣が、激しく打ち合う。

火花が散った。


(……あの二人、楽しそうだな)


(私は胃が痛いのに)


       ◇


一方、後方では──


「──ファイアストーム」


老魔導士ジェヘンネムが、杖を天に掲げた。


空が、赤く染まる。


炎の嵐が、レイス軍の左翼を襲った。


装甲馬車が、兵士が、炎に包まれていく。


焦げた肉と、燃える革の匂い。

悲鳴が、風に乗って聞こえてくる。


レイスの胃が、きゅっと縮んだ。


(……これが、戦争か)


バリスタ3基が沈黙した。

操作班が逃げ惑い、遠距離支援が機能しなくなった。


乱戦。

もはや【雷神】を撃つ余裕はない。


(まずい……炎上案件だ。しかも消火器がない)


「閣下」


メルヴェが、静かに声をかけた。


「私が、前線に出ます。あの魔導士を止めなければ」


紫水晶の瞳が、静かな決意を湛えている。


「……分かった。行け」


メルヴェが前線に向かう。


その時──


本陣の天幕に、影が滑り込んだ。


「──見つけた」


銀髪の青年、ユルドゥズ。

『流星』の二つ名を持つ暗殺者が、レイスの背後に迫っていた。


「終わりだ、辺境伯」


細身の長剣が、一直線に突き出される。


だが──


ガァン!!


巨大な斧が、その剣を弾き飛ばした。


「あいにくだったな」


バラカが、獰猛な笑みを浮かべて立っていた。


「俺がいることを、計算に入れてなかったみたいだな」


ユルドゥズの顔が、初めて歪んだ。


「……獣人か」


「そうだ」


三合。


たった三合で、決着がついた。


ユルドゥズの剣が弾き飛ばされ、巨大な斧の柄が腹に叩き込まれる。


「がはっ……!」


「殺しはしない。捕虜だ」


バラカが無造作にユルドゥズを地面に押さえつけた。


レイスが口を開いた。


「バラカ、とどめは不要だ。縛っておけ」


「了解」


───


「ナズ」


レイスは別の指示を出した。


「『あれ』を始めろ」


ナズが、天幕の奥から姿を現した。


──その姿に、レイスは一瞬、目を奪われた。


銀色の胸当て。

深紫のマント。

白銀の篭手と脛当て。

細身の体躯に合わせて仕立てられた、女性用の騎士装備。


深紫の髪が風に揺れ、同じ色の瞳が戦場を見据えている。


凛々しさと可憐さが同居した、不思議な佇まい。


(……なんか、かっこいい)


(いや、かわいい? かっこかわいい?)


ナズの顔に、不敵な笑みが浮かんだ。


「お兄様。お任せください」


彼女の手には、赤い筒が握られていた。


信号弾だ。


シュパァァァン──!


赤い光が、空高く打ち上げられた。


───


戦場から離れた場所。

ヴォルカン軍の後方、補給線の近く。


黒猫運輸の精鋭部隊が、敵陣に忍び寄っていた。


頭領ボズクルトが、空に上がった赤い光を見た。


「……来たか」


低い声で囁く。


「行くぞ。失敗したら、ナズ様に怒られる」


「……それだけは、御免だ」


部下たちが、真剣な顔で頷いた。


油壺が投げ込まれ、火種が放たれた。


ボォォォォッ!!


食糧倉庫が、巨大な火柱となって燃え上がった。


「食糧が燃えてる!!」


「後方だ! 敵襲だ!!」


ヴォルカン軍の後方が、大混乱に陥った。


黒猫部隊は混乱に紛れて、影のように離脱していく。


───


炎の海の中、二人の魔導士が向かい合う。


「宮廷魔術師崩れが」


ジェヘンネムの声は、感情を欠いていた。


メルヴェは静かに扇子を広げた。


「『燃やす』だけの炎は──」


一歩、踏み出す。


「所詮、その程度ですわ」


「……何?」


「私の氷は、『止める』」


扇子が、一度だけ振られた。


ファイアストームの炎が、青白い氷に変わり──粉々に砕け散った。


ジェヘンネムの目が、僅かに見開かれる。


「馬鹿な……熱を、凍らせた……?」


「『絶対零度』」


メルヴェが、静かに告げた。


「分子の動きを止めれば、炎は炎ではなくなりますの」


老人が、渾身の火球を放つ。


メルヴェは扇子を閉じた。


「──『氷葬』」


白い光が、老人を包み込む。


一瞬の静寂。


そして──ジェヘンネムの身体が、氷の彫像と化した。


氷像は砕けることなく、その場に立ち尽くしている。


「……殺しはしませんわ」


メルヴェは振り返ることなく、戦場に歩み出した。


「閣下のご意向ですもの」


───


後方から煙が上がり、敵軍に動揺が広がる。


カプランの視線が、一瞬逸れた。


「なっ……後方が!?」


「──遅い」


カディルの白銀の剣が、閃いた。


カプランの肩を切り裂く。

紅虎が、片膝をついた。


「……なるほど」


血を吐きながら、カプランが笑った。


「お前、強いな」


「立つな。終わりだ」


「終わり、か」


傷を押さえながら、カプランが立ち上がる。


「……悪くない」


「何が」


「こういう死に方が、欲しかった」


カディルは、静かに剣を構え直した。


「──では、遠慮なく」


白銀の軌跡が、空を切り裂いた。


カディルの剣の柄が、紅虎の鳩尾を打ち抜いた。


「名は」


「カプラン・ギョクハン」


「覚えておく」


「お前は……?」


「カディル・デミルチ」


「カディル、か……」


紅虎が、笑みを浮かべて崩れ落ちた。


「……良い、剣だった……」


───


ヴォルカンは、戦場を見渡した。


食糧倉庫は焼け落ちた。

カプランは倒された。

ユルドゥズは捕らえられた。

ジェヘンネムは氷に閉ざされた。


まだ兵力は残っている。

このまま押し切れば、勝てるかもしれない。


だが──


配下の一人が、南の空を指さした。


「公爵閣下! あれを!」


地平線の彼方から、新たな旗が翻っていた。


灰色の地に、積まれたコインの紋章。


キュル伯爵家の軍旗だ。


「……なるほど」


ヴォルカンの口元が、僅かに歪んだ。


「オスマンめ、完全にあちら側についたか」


「公爵閣下! どうされますか!?」


「……撤退だ」


配下が目を見開く。


「傷が浅いうちに退く。勝敗は決した」


不敵な笑みを浮かべる。


「ア・ザル・ガルドで迎え撃つ」


「……あの若造の『器』を、城で試してやろう」


彼は馬を返しながら、呟いた。


「……同じ男なのか。あの引きこもりと」


撤退の角笛が鳴り響いた。


───


ヴォルカン軍が撤退していく。

レイス軍から歓声が上がった。


だが、レイスの表情は晴れなかった。


手が、まだ震えている。

喉がからからに渇いていた。


さっきまで自分の命令で、何十人もの兵士が死んでいった。

敵も、味方も。


焦げた匂いが、まだ鼻の奥にこびりついている。


(……私が、殺したんだ)


(命令を出したのは、私)


(勝った……けど、これ、中間報告が終わっただけだ)


(本番は来週の……いや、城攻め)


カディルが、血に汚れた姿で戻ってきた。


「閣下。敵将カプランを捕縛しました」


「ユルドゥズは捕虜に。ジェヘンネムは、メルヴェ殿が氷漬けに」


「……ご苦労だった」


メルヴェが優雅に一礼して戻ってくる。

その銀髪に、僅かな汗が滲んでいた。


「お兄様、お疲れ様です!」


ナズが、水の入った革袋を差し出す。

騎士装備が、夕日を受けて銀色に輝いていた。


レイスは革袋を受け取り、一気に飲み干した。

水が、乾いた喉を潤していく。


その時、天幕の入口に人影が現れた。


灰色の髪。灰色の瞳。

いつもの冷徹な表情の中に、僅かな笑みが浮かんでいる。


オスマン・キュル。

『灰の伯爵』その人だった。


「遅くなった。間に合ったようで何よりだ」


レイスは内心で溜息をついた。


(間に合った、じゃなくて、勝ち馬に乗りに来ただけでしょ……)


だが、表向きは礼を尽くす。


「援軍、感謝する。キュル伯爵」


オスマンが肩を竦めた。


「感謝には及ばない。利益があれば動く。それだけだ」


「……相変わらずだな」


「褒め言葉として受け取っておこう」


オスマンの灰色の瞳が、北の方角を見た。


「見事な勝利だ。だが──」


「あの城を落とせるかどうかは、別の話だな」


「分かっている」


レイスは断言した。


「城壁を、ぶち抜く」


「ほう。具体的には?」


「見ていれば分かる」


オスマンの眉が、僅かに上がった。


「……何か策があるようだな」


「まあな」


オスマンは、しばし無言でレイスを見つめた。


やがて、口元に薄い笑みが浮かぶ。


「面白い。貴殿への投資は、悪くなかったようだ」


「投資か」


「そうだ。利益がなければ動かない。──だが、利益があれば何でもする」


オスマンが踵を返した。


「期待しているぞ、カランルク殿。……損をさせるなよ」


(……この人、本当にブレないな)


(上司にしたくないタイプだけど、取引先としては最高)


全員の視線が、北の方角に向けられた。


断崖絶壁の上に聳え立つ要塞。

ア・ザル・ガルド──「火の城塞」。


はるか彼方に、赤い光が見える。

100年間消えることのなかった、永炎だ。


(あの城、ゲームだと難易度『悪夢』だったな……)


(攻略動画で17回全滅した配信者もいたっけ)


(問題は、一発で成功するかどうかだ)


そして、もう一つ。


(神槌砲、間に合うのかな……)


(ドゥラクの爺さん、頼むよ……納期厳守でお願いします……)


(遅延したら、私の命が消えるんだから……)


「……行くぞ。本当の戦いは、これからだ」


野戦には勝った。

だが、戦争はまだ終わっていない。


───


【第6刻限】残り34日 ─ 刻印課題:火山公を屈服させよ


<レイスのひと言:中間報告クリア、でも残業は続く>


───


*──第37話「クズル平原──血染めの野戦」終──*


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