17.イガ栗の本音
去年入った契約社員の子が10月いっぱいで辞めるという。結婚して地方に引っ越すらしい。
また、自分より後から来た若い子が先に辞める。
転職も結婚もその人の人生のタイミングだから、人と比べるもんじゃないけど、誰かが辞めるという話を聞くたび、また何もせずここに留まっている自分を責める自分がいる。
ここはある意味、刑務所みたいだ。日々、ここを辞める日を望みながら単調な労働に励んでいる。
菜奈が辞めてから、この職場の雑用を総括しているのがわたしのような気がする。そのルーティンワークの中で、わたしが突然辞めたら困るだろうと変な責任感も生まれてる。
代わりなんかいくらでもいる仕事。有能なんじゃなくて、長くいるから勝手が分かるだけ。なんの罪も背負ってないけど、刑期の長い模範囚みたいだ。
「高梨さんは、辞めないよね」
辞める子を遠目に見ながら、以前副島さんに「使えない」とつぶやかれた課長が聞いてきた。わたしには辞める前向きな理由がないだろうと言われているようで不愉快だ。
「今のところは」
「契約社員でも、立て続けに二人辞めちゃうといろいろ大変でさ」
辞めたしわ寄せがおっさん達にいってるとはとても思えない。だったら女子も正社員にしろよ。ここのメリットは辞めやすい以外無いだろう。と心の中で毒づいた。
「年末に向けて、来月から今年度いっぱいだけど、一人派遣の子入れようと思うんだ」
「派遣ですか」
「高梨さんと同世代」
「そうですか」
同世代という響きは、決して若くない子だと遠回しに言われている気がした。
派遣さんか。他でスキルを積んだデキる人を想像した。
助かるような、なんか自分がもっと居づらくなるような、その人に会ってないから、もやもやしたものが生まれる。
「本当に、結婚の予定とかない?」
「そういう質問、セクハラに入るらしいですよ」
課長は、これ以上言わない方が身のためだと思ったのか、急に用事を思い出した下手な小芝居をして離れていった。
結婚か。
ふと、チカが隆平の気持ちを代弁するかのように言った言葉を思い出した。
・・・・・・隆平は藍子さんが大事すぎて自信ないんだよ
自信がない。か。
わたしもない。
でも、ずっとこのままなのかな、って思うと不安になる。
人生の経験として、いずれ結婚して子供を産みたいとは思ってる。その「いずれ」は子供が言う「大人になったら」みたいで、なんか今すぐじゃないから、よく分からないからやってみたいと思える感覚。その感覚を持ち続けて何年たってるんだ。
30歳。今すぐでもいいぐらいだ。
20代の頃は、使用人みたいに扱われる母が嫌だと、自分の母親から知る悪い部分だけの想像がどんどん膨らんでた。妻や母になることが自分自身を失うように思えた。
だけど、今現在、リアルタイムで、わたしはこの会社で都合のいい使いぱっしりにされてる。おじさんたちの使用人。
母と違うのは、一応給料が支給されてること。ここに居続けることで、拘ってた自我みたいなものは全く気にしないと自分で言っちゃってる気もする。
思わず副島さんを見た。
いいな。
「母」も「妻」も一人じゃなれない。
家に帰れば、旦那や子供がいる。
守らなきゃいけないものがあれば、ここでの仕事も割り切れるんだろうな。
世間的な目も気にすることなく、働いてることに充実するんだろうな。
なりたくない存在だった「母」という存在は、大した仕事をしていないわたしを逆に、一段格上してくれるように思えてきた。
お母さんだからしかたない。
職場で厄介者扱いされようとも、本当に必要としてる子供がいる。
そういう逃げ道として、ものすごく光り輝いて見えた。
どこか不純だなと思うけど、結婚したくなってきた。
むしろ、このタイミングで結婚しなかったら、もう結婚諦めてしまいそうなくらい。
隆平の大事な話は、いつ聞けるのだろか。
わたしが結婚したい。自信なんかいらない。って言えばいいのかな。
久ぶりに、どこかで夕飯を一緒に食べようと隆平にLINEした。
ホームセンターでも野菜を扱うようになったらしく、隆平はいろんな野菜を持ってウチに来た。
どこかで待ち合わせて外食でもいいと思っていたが、家がいいと言う。
寒くなってきて、スーパーには鍋つゆの素が充実しているので、鍋にすることにした。ただ切るだけで確実に美味しい料理ができるので、寒い時期は毎日鍋でもいい。
「デザートに栗も買ってきた」
赤いネットに包まれた栗を隆平が出した。
「栗ってデザートになるの?」
「だって一応果物だよ」
「そうか、木になるもんね。栗か。そういえば、栗拾いウォーキングもあったな。芋掘り行けなかったから行く?」
「もういいよ。それに、栗ってすぐ下処理しないと虫が出てくるから、後が面倒くさいかもよ」
「虫?」
「うん。拾ってきた栗には70%~90%虫の卵がいるって。水につけて窒息させて羽化させないようにするんだってさ。野菜売り場のおばちゃんが言ってた。店に置いてるのは殺菌処理してるからほぼ大丈夫だけど、たまに虫が入ってる栗があるから早めに食べた方がいいってさ」
「へえ」
「まあ、その虫自体も、実は美味しいらしいけど、白いイモ虫みたいで気持ち悪い」
「硬い皮で日持ちしそうな見た目してるのにね、生鮮食品じゃん」
隆平は、にやりと笑って首を振った。
「違う違う。栗って、この周りの茶色いのと渋皮が実。人が食べてる所が種で、イガイガが皮なんだってさ」
「うそ!」
「ホント。これはね、園芸売り場にいる時、勉強した。クルミも同じ構造らしいよ。食べてる所が種で、周りの硬いのが実」
「そうなの」
梅の実に置き換えて考えるとその構造も不思議なことはないなと思った。
のらりくらりと生きて、お花に水かけてるだけに見えた園芸売り場の隆平。それなりに、いろんな勉強してたんだ。好きなトマトの種類とかこだわりあったのは、何回も聞いたけど。
「隆平、すごいね」
いつになく甘い声で言ってみた。
嬉しそうに照れる所がかわいくて、小動物を愛でるかのように見つめてしまった。
見つめ合って、キスをした。
触れたい、キスをしたい。
その一瞬の欲望みたいなものを、すぐに叶えてくれる相手がすぐそばにいる。そして、相手も同じ気持ちを持っている。それは、すごいことなんだと思った。
一緒にいたい。
「隆平、ずっと前に言ってた、大事な話」
「ああ、もう少しいろんなものが整ったら、ちゃんと言う」
「待てない」
「え?」
「隆平と結婚したい」
「でも」
「なんで、女は待ってる側って決まってるの。わたしの気持ちは受け取ってもらえないの?」
儀式的な物が必要なら、それはそれでいい。でも、この気持ちを言うのは男からじゃないといけないの? 結婚したいなんて自分から言ったら、重い女になってしまうの?」
「藍子」
隆平は抱きしめてきた。
この感情の高ぶりのまま、プロポーズされちゃう気がした。
でも、
「ごめん。自信ないんだ」
え。
だから、その自信ってなんなの。
「そんなの後から着いてくる」
「気持ちだけじゃダメだ」
「なんで?」
抱きしめられたままの会話は、体は密着してもお互い違うところを向いている。
「俺、貯金なくて。チカの話聞いて、安易に結婚だとか子供だとか言っちゃいけないなって思い直したんだ」
「チカ?」
「チカは、結婚についていろいろ教えてくれた、ある意味、しくじり先生だ」
「しくじり先生?」
わたしは、隆平から体を離し、顔を見た。
「ああ。いろいろ聞いて勉強になった。やっぱり実家にいると多少は家に金入れてるけど、食費とか光熱費とか自分で払ってないから経済観念がなさすぎた。それに指輪も買って結婚式挙げて、新婚旅行も行きたいし、子供ができたら、っていろいろ考えたら、今の俺じゃ、もう無理だ。とりあえず、これから一年ぐらい真面目に働いて貯金してから結婚しようって言うべきだなって。そうじゃなきゃ、結婚してから、藍子に嫌われて、チカみたいに離婚されちゃったら俺、立ち直れない。女装してもダメって思った」
「離婚?」
結婚してるってのは嘘だったんじゃ。
え、え、やっぱり妻子いるの。いたの?
「芋掘りの時、あいつ藍子に話したんだろ」
「女装の理由だけで、そのきっかけは聞いてない」
「あ、そうなの」
隆平は、余計なことを言ってしまったという顔をした。
ここまで言っておいて、友情がどうのでこれ以上は俺からは話せないとか言われたら納得いかない。
わたしは隆平を問い詰めた。
「やっぱり、妻子いたんだ」
「う、うん」
「そもそもさ、大学の頃から友達なんだよね」
「ああ、でも、しばらく会ってなくて偶然あいつが近くの保育園で働くことになって再会した。それで結婚してて子供もいて、離婚したってのは最近知ったんだ」
「最近」
「二ヶ月前くらいかな、チカのスマホ拾ったんだよ。ホームセンターと保育園の途中の道で。そしたら、ロック掛かってなくて画像ファイル出てきて、嫁と子供と一緒に映ってる画像がどーんってあった。それで保育園に届けに行ったんだ」
ん? どこかで聞いたことあるシチュエーション。
「そしたら、ずっと黙ってたけど離婚した嫁と子供だって。それでこの夏、嫁が再婚した知らせを聞いてショックで、画像見てたらどこかにスマホ落としたって」
おいおい。なんだ、自分の話だったのか。
隆平が、落とし物忘れ物しやすいキャラだから、信じてしまった。
「金ないのに、お互い23歳とかぐらいで結婚したんだって。チカも俺らと同じ年ね。子供もデキて、奥さんの方が働けないから、チカが一人で頑張ってた。生活するために頑張って仕事してた。たけど、その結果、奥さんを孤立させた」
「他に頼れる場所がなかったんだ」
「互いの両親は二人の結婚に賛成していなかったから、援助もしてもらえなかった。チカは自分が頑張ればなんとかなると思ったんだよ。でも、男は外で働き、女は家のことと子育て。お互いを労い交わる時間なんてない。それそれが孤独で、どんどん心は離れていった。子供が1歳になる前ぐらいに、奥さんが限界になって心中しようとしたんだってさ」
「心中って」
「奥さんの両親が、離婚すれば二人を面倒見ると言ってきた。孫を見てれば働きにも出られるから生活を立て直せるって。チカは承諾するしかなかった」
「じゃあ、お互いはまだ好きだったんだ」
「うん。だから、チカはいつか迎えに行ける日を待ってたんだけど、再婚されちゃったんだって」
「ええ」
「奥さん、部屋も自分自身もお金をかけてないのに、いつもキレイにしてて、家事も育児も完璧にこなしてて、愚痴一つ言わなかったんだって。お互い頑張ってるからって、辛いのに助けてって言えなかったんだって。チカはそれに甘えてしまってたって、どれだけ大変か分かろうとしてなかったって。それで、離婚した後、保育士の資格取って転職して、世の中のお母さんの助けをするんだって」
チカのキャラからは想像できない過去だ。波瀾万丈な芸能人の再現ドラマを見ているような気分だ。
「女装は、保育園の謝恩会の余興でやったら、ものすごくウケて目覚めちゃったらしい。同時に、女の人の大変さがすごく分かったって。キレイにしてるお母さんを尊敬するって。まあ、最近はやっぱり俺には逃避行動に見えるけどね」
「そ、そんな意味があったの」
チカは同じ年で、こんだけ人生経験踏んで女装してたと思うと、自分が本当に空っぽに思えてくる。
「だから、俺は」
「分かった。じゃあ、一年間、二人で貯金しよう」
「藍子」
「いろんな情報、集める。孤立しないように、今から」
「ありがとう」
隆平はまたわたしをぎゅっと抱きしめた。
やっぱり、社会で生きていく上では、結婚という制度にすごく縛られるんだなと思った。
未だに家同士のつながりで、女は嫁ぐ、その親は嫁がせるっていうイメージが強い。当人同士が好きだからだけではダメなことがいっぱいありそうだ。
わたしは栗を手に取って見つめた。
自分が思っていたイメージと違った。まさか、この皮が実だなんて。世の中の人も大半はびっくりだと思う。イメージが先行していつの間にか、勘違いされて、それを真実だと思って生きてる事ってたくさんあるんだろうなって思った。まあ、栗以外あまり聞かない「渋皮」って部分は、皮とか言ってるから、これが実なんですとか訂正する方がいちいち煩い人のなってしまうだろうけど。
本当は全然違うんだってこと、いっぱいあるんだろうな。
チカについても、思っていた人と違った。
むき出しの悲しさをイガイガの皮で隠してる、栗みたいな人に思えてきた。
「栗、煮ておくか。40分くらいかかるから、その間、鍋食おう」
「うん」
たっぷりの水で栗を煮た。
しばらく漬けておいて、鍋でいっぱいになったお腹が落ち着いたころ、半分に切ってスプーンですくって食べた。
栗との思い出とかとくにないけど、なんだか懐かしい気分になる。
ほくほくとした食感に秋を感じた。




