第三話 いつか旅立つその日まで①
あれから、数か月が経った。
ミレア村にも、すっかり夏が訪れていた。
青い空には大きな入道雲が浮かび、照りつける太陽がじりじりと地面を焼いている。
そして今日も――。
「ノアー! 早くー!」
シンが振り返りながら声を上げる。
「遅いよー! ノアー!」
その声に続いて、シンの鞄から小さな声が響いた。
「ちょっと待ってよ!」
少し遅れて、ノアが二人を追いかけてくる。
三人の声が、夏のミレア村に響いていた。
いつもと変わらない三人。
けれど、今日の村はいつもとは少し違っている。
大通りには普段よりも多くの人が行き交い、あちらこちらで祭りの準備が進められていた。
「シン、今日はなんだかいつもより人がいっぱいいるね」
リリィが鞄の隙間から、こっそりと辺りを覗く。
「うん。今日から二日間、夏祭りがあるんだ!」
「おいしい食べ物もいっぱいあるよ」
ノアがリリィの方へ向き、人差し指を立てる。
「……おいしい食べ物、いっぱい……」
鞄の中から、リリィの呟きが聞こえた。
そして――。
「早くお祭り行きたい!!」
「あっ……」
「ばっ……!」
「リリィ……!」
興奮したリリィが、勢いよく鞄から飛び出した。
ただでさえ普段より人が多い。
そんな場所で小さな妖精が宙に浮かんでいれば、目立たないはずがなかった。
一瞬、辺りが静かになる。
「ママー! 妖精さん!」
「おい、あれ……妖精じゃないか?」
「妖精!? 本物か?」
「俺、初めて見たぞ!」
ざわざわと大通りが騒がしくなっていく。
「やばっ! リリィ、早く戻って!」
「う、うん!」
リリィが慌てて鞄へ飛び込む。
「ノア! 走るよ!」
「えっ? う、うん!」
シンたちは来た道を大急ぎで引き返した。
◇
「リリィ! なんであんなところで出てきたの!」
人通りの少ないところまで戻ってくると、シンは少し怒った様子で鞄に向かって言った。
「……だって、ノアがおいしい食べ物がいっぱいあるって言うから……」
「えっ? 私のせい!?」
ノアが目を丸くする。
「だからって飛び出してくるリリィが悪いんじゃない!」
「だって……」
鞄から顔だけを出していたリリィが俯いた。
「リリィだって、外に出たいもん!」
「えっ?」
「シンとノア以外とも仲良くしたいもん!」
その言葉に、シンとノアは何も言えなくなった。
今までリリィは、村の中では人に見つからないよう鞄へ隠れていた。
一緒に遊んでいるときは三人でも、村へ戻ればリリィだけが姿を隠す。
妖精の存在そのものが秘密なわけではない。
それでも、実際に妖精を見たことのある者は少なく、どんな反応をされるのか二人にも分からなかった。
だから今までは、隠れていた方がいいと思っていた。
けれど――。
「……そっか」
ノアが申し訳なさそうに俯く。
「ごめんね、リリィ。リリィだって、みんなと話したり、仲良くしたいよね」
「……うん」
シンは腕を組み、しばらく考え込んだ。
やがて、何かを思いついたように顔を上げる。
「……僕の父ちゃんに相談してみる?」
「えっ? シンのお父さんに?」
「うん。父ちゃんなら大丈夫だと思うんだ!」
そこまで言ってから、シンは少し声を落とした。
「世界樹のことは約束したから言えないけど……リリィのことなら相談できるよね?」
ノアも少し考えてから頷いた。
「うん。いいと思う。グレンおじさんなら、何か力になってくれそう」
「二人とも……ありがとう」
鞄の中から、か細い声が聞こえた。
「大丈夫だよ! リリィ、僕たちに任せて!」
「……うん!」
リリィの顔に、ようやく笑顔が戻った。
◇
三人はシンの家へ向かった。
けれど家が近づくにつれて、シンの足取りは少しずつ重くなっていく。
「怒るかなぁ……」
「ん? シン、今何か言った?」
ノアが横から顔を覗き込む。
「い、いや! 別に何も!」
「そう?」
「あっ、家着いたよ!」
「うん、そうだね」
ノアは不思議そうな顔をしていた。
シンは家の扉を開ける。
もちろんリリィは、再び鞄の中だ。
「ただいまー!」
「おじゃまします」
家の中には、グレンとエレナがいた。
そしてグレンの前には、もう一人――。
「えっ! パパ!?」
「ノア! 久しぶりだね」
そこにいたのは、ノアの父親――ルシアンだった。
「あら、ノアちゃんいらっしゃい。ルシアンなら今さっき来たところよ」
「パパ、帰ってきてたの!?」
ノアは少し驚いたが、すぐに冷静になった。
「ここで何してるの? お家には帰ったの?」
「あぁ。もちろん一度家には戻ったよ」
ルシアンは笑う。
「お祭りに合わせて帰ってきたんだ。それから、ちょっとグレンと話したくてね」
「……ならいいけど」
「ははは。相変わらずノアはしっかりしてるな」
グレンが楽しそうに笑う。
「それでシン。どうしたんだ?」
「えっ!」
突然話を振られ、シンの肩が跳ねた。
グレン。
エレナ。
そしてルシアン。
三人の大人から一斉に注目され、シンはますます緊張する。
――本当は父ちゃんだけに話すつもりだったのに。
「父ちゃん……話があるんだけど」
「なんだ?」
「……怒らない?」
「さあな。それは話を聞いてからだ」
「…………」
シンはしばらく黙ったあと、覚悟を決めて鞄を開いた。
すると――。
すぅー……。
小さな頭が、ゆっくりと鞄から出てくる。
「……こんにちは」
グレンとルシアンの眉が、わずかに動いた。
先に口を開いたのはグレンだった。
「ほう。妖精か」
ルシアンも興味深そうにリリィを見る。
「間違いないね。僕も旅の途中で見かけたことはあるけど……こうして近くで話すのは久しぶりだな」
だが――。
エレナだけは反応が違った。
その瞳はリリィをしっかりと捉え、きらきらと輝いている。
「可愛いー!」
「ひゃっ!」
リリィが驚いて、鞄の中へ引っ込んだ。
「あっ、ごめんね。びっくりしたよね」
「……だ、大丈夫」
リリィが再び、そろそろと顔だけを出す。
グレンはそんなリリィを見たあと、シンへ視線を戻した。
「シン。この妖精とは、どこで知り合った?」
「え、えーっと……」
シンの目が泳ぐ。
すると横からノアが口を開いた。
「この前、シンと森で遊んでたら、この子を見つけたの!」
「そ、そう! それで話してたら仲良くなって……!」
「…………」
グレンは黙って二人を見る。
「……森で、ねぇ」
「…………」
「…………」
シンとノアは揃って目を逸らした。
グレンはしばらく二人を見つめていた。
何かに気づいているようにも見える。
けれど、それ以上は聞かなかった。
代わりに、ふと思い出したように言う。
「そういやシン。少し前、朝飯をやけに急いで食って、パンを三つ持って二階に上がったことがあったな」
「えっ」
「水まで持っていってた」
「…………」
「やっぱり、あのときから何か隠してたのね」
エレナも納得したように頷く。
「最近、よくパンがなくなると思ってたのよ」
「うっ……」
シンは逃げ場を失ったように俯いた。
「……黙ってて、ごめんなさい」
その横でノアも頭を下げる。
「私も、分かってたのに何も言わなくてごめんなさい」
するとリリィが勢いよく鞄から飛び出した。
「二人は悪くないの! リリィのためにやってくれたことだから、怒らないで!」




