第二話 初めての冒険③
ドドドドドドドッ!
ロックボアが迫る。
「シン、ダメ!」
ノアの声が聞こえる。
ロックボアの牙が、すぐそこまで迫った――その瞬間。
「ダメーーーー!!」
リリィの叫び声が空に響き渡った。
「……え?」
その声と同時に。
シンの目の前の土が、大きく盛り上がった。
次の瞬間――。
ザザァァァッ!!
地面を突き破り、何本もの蔦が一斉に伸び上がった。
「な、何これ!?」
蔦は絡み合いながら広がり、シンとロックボアの間を塞ぐ。
ドォン!!
「ピギーー!!」
勢いを止めきれなかったロックボアが、蔦へ激突した。
何本かが千切れる。
それでも、絡みついた蔦がロックボアの身体と足へ巻きつき、その動きを一瞬だけ鈍らせた。
「……今だ!」
シンは持っていた棒を放り出した。
「ノア! 起きて! 今のうちに逃げよう!」
「う、うん……!」
ノアの手を掴み、立ち上がらせる。
「リリィも早く!」
「う、うん!」
三人は今度こそ、全力でその場から逃げ出した。
後ろでは、蔦が千切れる音とロックボアの鳴き声が響いていた。
けれどシンは振り返らなかった。
今はただ――ノアと一緒に逃げる。
それだけだった。
◇
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ……」
どれくらい走っただろう。
後ろから聞こえていた地響きは、もう聞こえない。
シンは足を止めると、膝に手をついて何度も息を吸った。
「ここまで来れば……大丈夫……だよね……」
「……いたっ」
「ノア、大丈夫!?」
ノアは転んだときに、膝や手を擦りむいていた。
傷から、少しだけ血が滲んでいる。
「……うん。これくらい平気。シンの方こそ大丈夫?」
「僕は……」
そこで初めて。
シンは、自分の手足がまだ震えていることに気づいた。
「…………」
力が抜ける。
そのまま地面へへたり込んだ。
「……良かった……」
自分でも何が良かったのか、うまく言葉にできなかった。
ただ。
ノアが隣にいる。
怪我はしているけど、ちゃんと話している。
それを見た途端、張りつめていたものが一気にほどけた。
「……怖かったー……」
ノアはそんなシンをしばらく見つめた。
「……シン」
「ん?」
「ありがとう」
「お礼なんていいよ!」
シンはまだ震える足を押さえながら、それでも笑った。
「ノアのことは、僕が守るって言ったからね!」
「…………」
ノアは一瞬だけ目を丸くした。
「……うん」
小さく笑った。
そのとき。
「シーン! ノアー!」
聞き慣れた声がした。
顔を上げると、リリィが慌てた様子でこちらへ飛んでくる。
「二人とも……大丈夫!?」
「うん」
ノアは答えると、じっとリリィを見た。
「……リリィ」
「な、なに?」
「なんでロックボアに追いかけられてたの?」
「…………」
リリィの視線が泳いだ。
「あれ、ロックボアっていうの?」
「うん」
「……何か草むらが動いてたから」
「うん」
「何がいるのかなーって思って……」
「うん」
「……石、投げてみた」
「…………」
シンとノアは黙った。
「そしたら、すっごく怒って追いかけてきた……」
ノアは大きくため息をつき、頭を抱えた。
「リリィ……」
「はい……」
「あの魔物はね? 縄張りに入ったり、刺激したりすると襲ってくるの」
「……はい」
「今回はみんな無事だったから良かったけど……次から、知らない生き物に勝手なことしちゃダメだよ?」
「……ごめんなさい……」
しょんぼりと肩を落とすリリィ。
「リリィ!」
突然シンに名前を呼ばれ、リリィがビクッとする。
「シンもほんとに、ごめ――」
「リリィ! さっきのって、もしかしてリリィがやったの!?」
「……え?」
リリィは目を丸くした。
「蔦だよ! ブワーッて出てきたやつ!」
「あ、あれ……?」
リリィは自分の両手を見る。
「……たぶん、リリィ」
「すごいよ、リリィ! あんなことができるんだ!」
「えっ……すごい?」
落ち込んでいたリリィの顔が、みるみる明るくなっていく。
「……フフン!」
腰に手を当て、得意げに胸を張った。
「すごいでしょ! リリィが本気を出せば、ちょちょいのちょいだよ!」
「リリィ、反省してるの?」
ノアがじっと見つめる。
だが、今のリリィの耳には届いていないらしい。
「もう、リリィったら……」
「リリィ! もう一度見せて!」
シンが目を輝かせる。
「もちろん! いくよー!」
リリィが地面へ両手を向ける。
「それっ!」
パッ。
小さな新芽が一つ、地面から顔を出した。
「…………」
「…………」
「あ、あれ?」
シンは新芽をじっと見つめる。
「リリィ、まだ?」
「こ、今度こそ!」
リリィは両手に力を込める。
「それーーー!!」
パッ。
先ほどの新芽の隣に、もう一つ新しい芽が顔を出した。
「全然違うじゃん!」
「あれぇ……?」
リリィは二つの新芽を見下ろす。
「おかしいなぁ……さっきどうやったんだろ……」
どうやら本人にも分かっていないらしい。
「フフフ……」
シンの後ろから笑い声が聞こえた。
ノアが肩を揺らして笑っている。
「あっ、ノア! 笑わないでよ!」
「だって……! さっきあんなに自信満々だったのに……!」
「んー……もういいもん! たまたま今日は調子が悪いだけだもん!」
「……フフフ。そうなんだ」
「そうなの!」
シンは地面に並んだ二つの新芽を、少し残念そうに眺めた。
「じゃあリリィ、またできるようになったら見せてね!」
「う、うん! も、もちろんだよー……」
リリィは二人からそっと目を逸らした。
「……さっ! 今日はもう戻ろっか!」
露骨に話を変えた。
「そうだね。今日はもう帰ろうか」
シンは立ち上がると、ノアへ手を差し出した。
「ノア、立てる?」
「うん。平気」
ノアがシンの手を借り、ゆっくり立ち上がる。
その様子を、リリィが心配そうに見つめていた。
「……ノア、大丈夫?」
「大丈夫だよ。ちょっと擦りむいただけだから」
「……ほんとにごめんね」
「もう、終わったことだから気にしないの」
ノアは少しだけ笑う。
「それより、みんな無事で良かったでしょ?」
「……うん」
リリィも小さく頷いた。
「ありがとう、ノア」
「じゃ、帰ろ!」
シンが歩き出した。
空を見上げる。
まだ明るい。
「今日はちゃんと暗くなる前に帰れそうだね!」
「昨日怒られたばっかりだからでしょ?」
「うっ……」
「シンも怒られたんだ?」
「リリィは黙ってて!」
「アハハハッ!」
リリィはいつものようにシンの肩へ座り、ノアはその隣を歩く。
しばらくして、ノアが口を開いた。
「リリィ」
「なに?」
「次から勝手にどこでも行かないこと」
「分かった!」
「知らないものに石を投げない」
「はーい……」
「知らない魔物に近づかない」
「……はい」
ノアが念を押すたび、リリィの返事が小さくなっていく。
シンはそんな二人を交互に見た。
「ノア、母ちゃんみたい」
「シン!?」
「アハハハハハ!」
「リリィ! 笑いすぎ! ほんとに反省してるのかなぁ!」
「してるよー!」
「ほんと?」
「…………たぶん!」
「リリィ!」
三人の声が、何もない道に響く。
やがて。
笑っていたリリィが、ふとシンとノアの顔を見た。
「シン、ノア」
「ん?」
「なに?」
リリィは少しだけ照れたように笑った。
「……友達っていいね!」
シンとノアは一瞬顔を見合わせた。
「……フフッ」
「ハハッ!」
そして、三人で笑った。
来たときよりも少しゆっくりと、ミレア村への道を歩いていく。
初めて三人で出かけた、小さな冒険。
シンが尋ねると、ノアは呆れたように笑った。
「もう、シンったら。今日あんなことがあったばかりなのに」
「だって、また三人で遊びたいじゃん!」
「……うん。私も」
ノアが小さく笑う。
「リリィも! じゃあ、次はもっと遠くまで――」
「近くで!」
シンとノアの声が重なった。
「ええーっ!?」
「今日みたいなのは、もうこりごりだからね」
「……それは僕も」
シンも苦笑いする。
「むぅ……。じゃあ、近くで探検!」
「それならいいよ!」
「ふふっ。二人とも、本当に懲りないんだから」
三人の笑い声が、帰り道に響いた。
やがて、道の向こうにミレア村の屋根が見えてくる。
シンの肩では、リリィが楽しそうに足を揺らしていた。
「ねえ、リリィ」
「なぁに?」
「今日、楽しかった?」
リリィは一瞬きょとんとして、それから大きく頷いた。
「うん! すっごく!」
「そっか!」
シンも笑った。
楽しいことばかりじゃなかった。
怖い思いもしたし、失敗だってした。
それでも、三人で過ごした今日が、シンにはとても大切な一日に思えた。
「ほら、二人とも。帰ろう!」
ノアが少し先から声をかける。
「うん!」
「はーい!」
三人は今日も、いつもの道を賑やかに帰っていった。




