第二話 初めての冒険①
朝日が窓から差し込み、シンの部屋を明るく照らしていた。
少し開いた窓の隙間から、まだ冷たさの残る朝の風が流れ込んでくる。
「……ん~~! ふあぁぁ……なんか少し寒いな」
シンは布団の中で大きく伸びをすると、眠そうに目を擦った。
「あれ? 窓、開けたっけ?」
昨夜は閉めたような気がする。
けれど、まだ眠気の残る頭ではよく思い出せない。
そのとき――。
「スゥー……スゥー……」
「ん?」
誰もいないはずの部屋から、小さな寝息のような音が聞こえた。
シンは耳を澄ませる。
「スゥー……スゥー……」
間違いない。
しかも、その音はすぐ近く――自分が寝ていた布団の中から聞こえている。
「……?」
シンは恐る恐る布団をめくった。
「えっ!? リリィ!?」
そこには、小さな妖精が気持ちよさそうに丸くなっていた。
「……あっ、おはよう……シン……」
「なんでリリィがここにいるの!?」
「……ん~? なんでって、今日も遊ぶんでしょ?」
「だからって勝手に人の家に入っちゃダメじゃん!」
「……朝からうるさいなぁ……」
「そっちが勝手に入ってきてんじゃん!」
「……ふぁぁぁ。はいはい……」
「はい、は一回だよ!」
そのとき――。
コツ、コツ、コツ、コツ。
階段を上ってくる足音が聞こえた。
「ッ! やばっ! リリィ、隠れてて!」
「えっ?」
シンは慌ててリリィの上へ布団をかぶせた。
直後。
ガチャ。
「シン、起きてるの? 朝から何をそんなに大声出してるの?」
部屋へ入ってきたのはエレナだった。
「……あー、母ちゃんおはよう! なんか変な夢見てたみたい!」
「あら、そう? 誰かと話してたみたいだけど……気のせいかしら」
「き、気のせいじゃない? だ、だって僕一人だよ?」
「ふーん?」
エレナは少し不思議そうな顔をしたものの、それ以上は追及しなかった。
「まあいいわ。朝ご飯できてるわよ。早く降りてきなさい」
「うん、分かったよ!」
ガチャ。
扉が閉まり、エレナの足音が遠ざかっていく。
「……あっぶねー……」
シンは大きく息を吐くと、布団をめくった。
バッ!
「スゥー……スゥー……」
「また寝てる!? リリィ、起きて!」
「……ん~? ……終わった~?」
「はぁ……。僕、ご飯食べてくるから外で待ってて?」
グゥゥ……。
「…………」
「今のリリィ?」
リリィの耳がみるみる赤くなっていく。
「もしかして、お腹すいた?」
「……うん」
シンは少し考えた。
「じゃあ、少しだけ待ってて」
「……分かった」
シンは着替えると、一階へ降りて食卓についた。
「いただきます!」
そう言うなり、いつもよりずっと早いペースで朝食を食べ始める。
「お腹空いてたの?」
エレナが不思議そうに尋ねた。
「うん……そう」
シンは口いっぱいに頬張りながら答える。
グレンも、その様子を不思議そうに見ていた。
「いつも朝はそんなに早く食べないのに、どうしたんだ?」
「んー? 別にー?」
そう答えると、シンは食卓にあった小さな丸パンを三つ手に取った。
「ごちそうさまー!」
「あら、シン。そのパンは?」
「また食べる!」
それだけ言うと、シンは逃げるように二階へ駆け上がっていった。
残されたエレナは、ぱちぱちと瞬きをする。
「……朝からあの子、おかしいわね?」
「ん? そうか? いつも通りじゃないか?」
グレンは何事もなかったように朝食を続ける。
ただ、その目だけは一度、シンが駆け上がっていった階段へと向けられていた。
◇
バタンッ!
勢いよく扉を開け、シンはリリィのもとへ駆け寄った。
「リリィ! 持ってきたよ!」
「わぁぁぁ……!」
シンがパンを見せると、リリィの目がキラキラと輝いた。
「これが、人間の食べ物……!」
「待って。そのままじゃリリィには大きいから」
シンはパンを小さくちぎり、リリィへ差し出した。
リリィは両手で抱えるように受け取る。
「少し甘い匂いがする! それに温かい!」
興味津々に匂いを嗅ぎ、指でむにむにと押した。
「なんかモチモチしてる!」
「冷めないうちに食べた方が美味しいよ」
「うん!」
リリィは小さな口を大きく開け、パンにかぶりついた。
「…………」
「ん? 美味しくなかった?」
「…………」
「じゃあ無理に――」
「美味しいーー!!」
「うわっ!」
突然の大声にシンが驚く。
そんなことなどお構いなしに、リリィは夢中になってパンを頬張った。
「人間って……こんな美味しいもの……食べてたんだ……!」
すでにリリィの頬はパンパンに膨らんでいる。
「リリィ、喋りながら食べたら喉に詰まっちゃうよ?」
「大丈夫……へーき、へーき……ゔぅ……!」
「リリィ!?」
リリィが突然、苦しそうに喉を押さえた。
「大変!」
シンは慌てて部屋を飛び出し、階段を駆け下りる。
一階に置かれた水瓶から急いでコップに水を汲むと、そのまま再び二階へ駆け上がった。
「……やっぱり朝からあの子、おかしいわね?」
エレナが心配そうに階段を見上げる。
「ん? そうか?」
グレンはいつもと変わらない様子で答えた。
けれど、その視線はまた静かに階段へと向けられていた。
◇
バタンッ!
「リリィ! 水持ってきたよ!」
「ゔぅぅぅ……!」
シンはコップを床へ置き、リリィが飲みやすいよう少し傾けてやる。
リリィは縁へしがみつくと、慌てて水を飲んだ。
「ぷはぁー! 生き返ったー!」
「ほんと、危なっかしいなぁ!」
「ありがとう、シン!」
そう言った直後、リリィは何事もなかったかのように次のパンの欠片へ手を伸ばした。
「はぁぁ……。次からはゆっくり食べなよ?」
「はーい!」
返事だけは立派だった。
しばらくして――。
「はぁぁ、お腹いっぱいだよー」
満足そうにお腹をさするリリィを見て、シンはふと思い出した。
「ところでさ、リリィ?」
「ん?」
「どうして僕の家に来たの?」
「あー、それはね」
リリィは羽をぱたぱたと動かし、宙へ浮かんだ。
「昨日、シンたちはリリィを追いかけてたから、世界樹のところまで来れたみたいなの」
「僕たちだけじゃ行けないの?」
「うん。エルシリア様も言ってたでしょ? あの辺りには結界があるから、普通に探してもなかなか辿り着けないんだって」
「へぇ……」
昨日のことを思い出し、シンは少し考える。
確かに、どこをどう走ってあの場所へ辿り着いたのか、自分でもまるで覚えていなかった。
「だから、シンたちが今日また来ても会えないかもしれないと思って!」
「それで僕の家までついてきたの?」
「うん!」
「……勝手に入って?」
「うん!」
「僕の布団で寝て?」
「うん!」
「…………」
「なに?」
「まあ、いいや!」
「いいんだ!」
シンはすぐに立ち上がった。
「じゃあノアを迎えに行って、三人で遊ぼう!」
「うん! いこいこー!」
リリィは嬉しそうに飛び上がった。
「でも……村の人たちに急に見つかったらびっくりするだろうし、今日は隠れてた方がいいよね」
「じゃあ、どうするの?」
シンは少し考え、自分の鞄を開いた。
「ここに入る?」
「おっ! ちょうどいい!」
リリィは迷うことなく鞄の中へ潜り込んだ。
けれど、すぐに隙間から頭だけをひょこっと出す。
「…………」
「リリィ」
「なに?」
「それ、隠れてないよ」
「あっ」
今度こそ、リリィは鞄の中へ引っ込んだ。
◇
シンが一階へ降りると、そこにはグレンが一人で座っていた。
「父ちゃん、母ちゃんは?」
「ん? 母ちゃんなら用事があるって出ていったぞ」
「そっか。父ちゃん、遊びに行ってくるね!」
「ああ。今日は昨日みたいに遅くなるなよ」
「分かってるよ! じゃあ、行ってきます!」
シンが扉を開けようとした、そのとき。
「シン」
「ん?」
シンが振り返る。
グレンはいつもと変わらない顔をしていた。
「何かあったら、俺には言うんだぞ」
シンは不思議そうに父親の顔を見る。
「……? うん、分かった!」
「ああ。行ってこい」
「行ってきまーす!」
扉を開け、シンは元気よく外へ飛び出していった。
グレンはその後ろ姿を、何も言わずに見送っていた。
◇
シンは見慣れたいつもの道を歩いていく。
「おはよう、シンちゃん」
「おはよう!」
「おう! おはよう、シン!」
「おっちゃん、おはよう!」
「今日もノアちゃんとこか?」
「そうだよ!」
「気をつけてな!」
「うん!」
道を歩くだけで、何人もの村人がシンに声をかけてくる。
その様子を、鞄の隙間からリリィがこっそりと覗いていた。
「シンは友達が多いんだね」
鞄の中から、小さな声が聞こえる。
「ん? 友達……ではないかな?」
「じゃあ何?」
「んー……分からないけど、村のみんな、とっても優しいんだ」
「そうなんだ……」
リリィはもう一度、鞄の隙間から外を覗いた。
行き交う村人たちが笑い、自然に声をかけ合っている。
リリィはその様子を珍しそうに、じっと目で追っていた。
そんな話をしているうちに、二人はノアの家へと辿り着いた。
シンは玄関の前に立つ。
コンコン!
「ノアー!」
コツ、コツ、コツ。
家の中から足音が近づき、扉が開いた。
「あら~、おはよう。シンくん」
「リゼットさん、おはよう! ノアは?」
「ノアなら――」
「ママー! 私の髪飾り知らなーい?」
家の奥からノアの声が響いた。
「あら~? 昨日そこに片付けたわよ~?」
「どこにもないよー!」
「もう、仕方ない子ね。シンくん、ちょっと待っ――」
そこでリゼットの言葉が止まった。
視線が、シンの持っている鞄へ向けられている。
「ん? リゼットさん、どうしたの?」
「今、その鞄……動かなかった?」
「えっ!?」




