第一話 世界樹と小さな妖精③
「ただし、今回のことを許すのはこれ一度だけですよ。リリィ」
「は、はい!」
「勝手なことばかりしてはいけません」
「わ、分かってます……」
「本当に?」
「……たぶん」
「リリィ?」
「はいっ!」
エルシリアは呆れたように笑った。
「二人とも。……これからもリリィの友達でいてくれる?」
「もちろん!」
「はい!」
「やったー! シン、ノアー! これからもよろしくね!」
リリィは嬉しそうに二人へ飛びついた。
そんな三人を、エルシリアは優しい表情で見つめていた。
「リリィ。私はそろそろ行くわね」
「うん! エルシリア様、ありがとうございました!」
「ふふ。でもリリィ、次はないわよ」
「は、はい……」
先ほどまでの元気はどこへやら。
リリィは背筋を伸ばし、こくこくと何度も頷いた。
エルシリアはシンとノアへ向き直る。
「シンとノア、と言ったわね。ちゃんと約束は守ること」
シンは胸を張った。
「うん! 絶対守る!」
「私もです!」
「これからも、この子と仲良くしてあげてね」
「うん! リリィのことは任せて!」
「ちょっと! なんでシンがリリィを任されてるの!」
「あらあら」
エルシリアは楽しそうに笑った。
「それじゃあ、また会いましょう」
ふわりと風が吹いた。
次の瞬間、エルシリアの身体が淡い光に包まれる。
光は無数の粒となって弾け、風に乗って辺りへ舞い散った。
やがて光が消えると――そこにエルシリアの姿はなかった。
「……消えた」
シンは目を丸くした。
「すごーい! 消えた! ノア、見た!?」
「うん! 一瞬でいなくなっちゃったね!」
その隣で――。
「……はぁぁ。怖かったぁ……」
リリィは力が抜けたように、その場へへたり込んでいた。
「そうかなぁ? とっても優しそうな母ちゃんじゃん!」
「だから母ちゃんじゃないってば! それにシンは知らないからだよー。エルシリア様が怒ったときを……」
「でも、それってリリィが悪いんでしょ?」
「リリィがいつも悪いわけじゃないもん!」
「ふーん? そうかなぁ?」
シンは意地悪そうにリリィを見た。
「どうせシンだって、そんな感じなんじゃない?」
「どういう意味だよ?」
「言うこと聞かないで、いつも怒られてるんじゃないの?」
「リリィ、自覚はあるんだね!」
「言ったなぁー!」
「そっちだって!」
「もう、二人ともやめて!」
見かねたノアが二人の間へ入った。
「だってシンが!」
「リリィが!」
「言い合いはそこまで!」
ノアは腰に手を当てる。
「せっかく友達になったんだから、みんなで遊ぼ?」
「……そうだね。ノアの言う通りだね」
シンは少しだけ気まずそうにリリィを見る。
「ごめん、リリィ」
「……リリィもごめんね」
「じゃあ、みんなで何する?」
「…………あっ!」
リリィが何かを思いついたように顔を上げた。
「じゃあ、今度こそここを案内するよ!」
「いいね! みんなで探検だー!」
三人は世界樹の周りをあちこち見て回った。
見たこともない形をした植物。
木々の間を舞う、きらきらと光る蝶。
透き通った小川には魚たちが泳いでいて、シンたちが近づいても逃げようとしない。
「すごい! ノア、見て!」
「ほんとだ! 全然逃げないね!」
初めて見るものばかりの景色に、シンとノアは目を輝かせた。
その先頭では、リリィが得意げに二人を案内している。
三人は走って、笑って、また新しいものを見つけて――。
いつの間にか、時間を忘れて遊び続けていた。
ふと気づけば、木々の隙間から差し込む光が赤く染まり始めている。
「……あれ?」
ノアが空を見上げた。
「シン……もう夕方じゃない?」
「…………」
シンも空を見上げる。
「…………」
二人は顔を見合わせた。
「……やばいよ、ノア!」
「早く帰らなきゃ!」
「えっ? もう帰っちゃうの?」
リリィが驚いたように二人を見る。
「遅くなったら、母ちゃんに叱られる!」
帰る準備を始めた二人を見て、リリィは少し寂しそうに俯いた。
「……また、来てくれる?」
「うん! 明日また来るよ!」
シンはすぐに答えた。
「私も来るね!」
「……うん! 待ってるから!」
リリィの顔に、すぐ笑顔が戻った。
「じゃあ、またね! リリィ!」
シンは大きく手を振った。
その隣で、ノアも小さく手を振る。
「また明日」
「またね、シン! ノア!」
二人は森の中へ走り出していった。
リリィはその背中が見えなくなるまで、ずっと手を振っていた。
「…………」
そして、ふと首を傾げる。
「……あれ?」
少し考えて――。
「あの二人、明日どうやってここまで来るんだろう……」
リリィは腕を組み、うーんと唸った。
やがて何かを思いついたのか、にやりと笑う。
「……よし!」
リリィは勢いよく飛び上がると、シンたちの後を追いかけていった。
◇
「ハァ、ハァ……ノア! ついて来てる!?」
「……うん! 大丈夫! 早く帰らなきゃ!」
シンとノアは森の中を駆け抜けていた。
森を抜ける頃には、辺りはすっかり夕暮れに染まっている。
二人は息を切らしながら村へ駆け込み、それぞれの家へと向かった。
「ノア! また明日!」
「うん! シン、またね!」
ノアと別れたシンは、自分の家まで一気に走った。
家の前に着く。
「…………」
シンは閉じられた扉を見つめた。
そして、恐る恐る手を伸ばす。
ギィ……。
「あら、おかえりなさい。シン」
「……っ」
そこには、シンの母――エレナが立っていた。
にっこりと笑っている。
いつもと同じ、優しい母ちゃんの笑顔。
……のはずなのに。
なぜだろう。
今のシンには、その笑顔がとても怖く見えた。
「……ただいま、母ちゃん……」
「遅かったわね?」
「ノアと……遊んでたら、夢中になって……」
「こんなに暗くなるまで遊んでたら危ないでしょう! ノアちゃんにだって何かあったらどうするの!」
「……ごめんなさい……」
そのとき、家の奥から男の声が聞こえてきた。
「エレナ、もういいだろ」
「あなた……! またシンを甘やかすの?」
「そんなところで話してないで、こっちに来たらどうだ?」
エレナはまだ何か言いたそうだったが、小さく息をついた。
「……シン。向こうで話しましょうか?」
「……うん」
シンはエレナの後ろを、とぼとぼと歩いていった。
部屋へ入ると、一人の男がシンを待っていた。
「おかえり、シン」
「……ただいま、父ちゃん」
シンの父――グレンは、いつもと変わらない様子で笑っている。
「あなたからも何か言ってよ」
「まあまあ。遊びに夢中になって時間を忘れることくらい、俺にだって覚えがあるさ」
「あなた!」
「分かってるって」
グレンは苦笑すると、シンへ目を向けた。
「でもな、シン」
「……うん」
「母ちゃん、ずっと心配してたんだぞ?」
シンは黙ったまま俯いた。
「遊ぶなとは言わない。でも、ちゃんと帰って来る。それも大事なことだ」
「…………」
「これからは、暗くなる前に帰って来れるな?」
「……うん」
シンは顔を上げると、エレナを見た。
「母ちゃん、ごめんなさい……」
「……もういいわよ」
エレナは困ったように笑うと、シンの頭を優しく撫でた。
「ほら。お風呂に入ってきなさい。泥だらけじゃない」
「うん!」
そのあとシンは風呂に入り、夕食を食べた。
食卓ではいつものように父と母が話している。
シンも笑って、今日あったことを話した。
森で遊んだこと。
ノアとたくさん走ったこと。
転んで膝を擦りむいたこと。
けれど――。
世界樹のことも。
そこに妖精たちが暮らしていることも。
エルシリアのことも。
そして――リリィのことも。
シンは話さなかった。
それは今日、新しくできた友達と交わした、大切な約束だったから。
夜。
「おやすみなさい!」
「おやすみ、シン」
自分の部屋へ戻ったシンは、布団の中へ潜り込んだ。
今日は、いろいろなことがあった。
誰も近づけないと聞いていた、大きな木。
そこで出会った、小さな妖精。
そして――新しくできた友達。
「リリィ……」
シンは眠そうな目を細め、小さく笑った。
「また明日、遊ぼうね……」
明日は何をして遊ぼう。
そんなことを考えているうちに、シンの瞼はゆっくりと閉じていった。
やがて、静かな寝息だけが部屋に響き始める。
しばらくして――。
ギィ……。
閉じていたはずの窓が、ほんの少しだけ開いた。
夜風が、カーテンを静かに揺らす。
そして。
「……ふふっ」
小さな笑い声が、眠るシンの部屋に響いた。




