第一話 世界樹と小さな妖精②
リリィの声が巨木の下に響き渡った。
シンは不思議そうにリリィを見る。
「リリィについて来ただけだよ?」
「あっ……」
リリィは両手で頭を抱えた。
「やっちゃったー……」
ノアが心配そうに顔を覗き込む。
「大丈夫? 頭、痛い?」
「違うよ! ……ここ、本当は人間が入っちゃダメなんだよ……」
「そういえば……」
シンは何かを思い出した。
「ノア! ここって……!」
「うん。シンが言ってた、誰も近くまで行けない場所だよね」
シンの顔がぱっと輝いた。
「やったー! 本当に近くまで来れたんだー!」
興奮したシンの両手に、思わず力がこもった。
「痛い痛い! ちょっと、力入れないでー!」
「あっ、ごめんごめん!」
シンは慌てて力を緩めた。
「……ったいなぁ、もう」
「ごめんね、つい」
「いいから一回離してくれる?」
「分かった!」
シンは素直に両手をぱっと開いた。
ドテッ。
「……ったぁ……」
リリィはそのまま地面に落ちた。
「なんで急に離すのよ!」
「えっ、離してって言ったじゃん!」
「だからって急に離すバカがどこにいるの!」
「誰がバカだってー!?」
「あんたしかいないでしょ!」
「まぁまぁ、二人とも落ち着いて」
ノアが慌てて二人の間に入った。
「シン、優しく置いてあげなきゃ危ないよ?」
「……ふんっ!」
シンはそっぽを向いた。
ノアは地面に座り込んでいるリリィを見て、ふと首を傾げた。
「リリィ、なんで飛ばなかったの? 羽、付いてるよね?」
「……あっ」
リリィは自分の背中を振り返った。
「…………」
「……プッ」
シンが吹き出す。
「わ、笑うなー!」
「ハハハハハッ!」
「もうっ!」
リリィは顔を真っ赤にして頬を膨らませた。
少しして。
「ところで、リリィ?」
ノアが尋ねた。
「リリィはあの森で何をしてたの?」
「……を見てたの……」
「えっ? ごめん、なんて?」
リリィは少しだけ顔を赤くした。
「あなたたちを見てたの!」
「なんで?」
「……何か、楽しそうだったから」
「一人で?」
「……うん」
シンは不思議そうに首を傾げた。
「他に遊んでる友達はいないの?」
「いるけど……」
リリィは少し俯いた。
「みんな、人間なんか見て何が楽しいのって言うから……」
シンは俯いたリリィを、しばらくじっと見つめていた。
そして、にっと笑った。
「リリィ! 今日から僕たちの友達になってよ!」
「……えっ?」
リリィが顔を上げる。
「……今、なんて……?」
「だーかーら! リリィと友達になりたいんだよ!」
ノアもリリィの方を向いて、優しく笑った。
「私も。リリィのこと、もっと知りたい」
「…………」
リリィの目に、うっすらと涙が浮かんだ。
それでもリリィは誤魔化すように顔を背ける。
「……そこまで言うなら、友達になってあげる」
シンとノアは顔を見合わせた。
「何よ!」
「素直になったらいいのにって!」
シンは楽しそうに笑った。
「リリィったら、わかりやすいね」
ノアも口元に手を当てて笑う。
「な、何よ二人して! 笑うなー!」
「だってリリィ、顔真っ赤だよ!」
「うるさいっ!」
「ふふっ」
「あはははっ!」
「もうっ……!」
リリィは頬を膨らませて二人を睨んでいたが――やがて堪えきれなくなったように、小さく吹き出した。
「……ふふっ」
それを見たシンとノアは、一瞬だけ顔を見合わせる。
そして――。
三人の笑い声が、巨木の下に響いた。
「……はぁ。こんなに笑ったのって、いつぶりかな」
ひとしきり笑ったあと、リリィがぽつりと呟いた。
そして立ち上がると、改めて二人へ向き直る。
「改めてよろしくね! リリィは、この世界樹の妖精だよ!」
「世界樹……?」
シンが頭上の巨木を見上げる。
「これが?」
「うん!」
「じゃあ……リリィって妖精なの!?」
「そうだよ!」
シンは目を丸くした。
「妖精って、本当にいたんだ……!」
「私も見るの初めて……」
ノアも珍しそうにリリィの羽を見つめている。
「えっへん!」
リリィは腰に手を当て、得意げに胸を張った。
「二人とも、この辺りを案内してあげよっか?」
「えっ、いいの?」
ノアが心配そうにリリィを見る。
「でもリリィ、本当は人間が来たらダメな場所なんじゃ……?」
「…………」
リリィの笑顔が固まった。
「……忘れてた!」
「えぇ……」
「ど、どうしよう……。エルシリア様に怒られるかも……」
「エルシリア様?」
「うん。精霊王・エルシリア様。リリィたち妖精や精霊にとって、お母さんみたいな方だよ」
それを聞いたシンの目が輝いた。
「じゃあ、リリィの母ちゃん?」
「ち、違うよ! そういうお母さんじゃなくて!」
「リリィよりでっかいの? 羽も大きいんだろうなぁ」
「話聞いてよ!」
リリィは頬を膨らませた。
「見た目は人間の大人と同じくらいだよ! すっごく綺麗なんだ。でも怒ると、とってもこ――」
不意に、リリィの言葉が止まった。
「……来る」
その表情から、さっきまでの笑顔が消える。
「え?」
リリィは慌てて飛び上がると、シンの後ろへ隠れた。
「わっ! リリィ、どうしたの?」
次の瞬間――。
森を揺らすような強い風が吹き抜けた。
「うわっ!」
「きゃっ!」
シンとノアは飛ばされそうになりながら、その場で必死に踏ん張った。
木々が大きく揺れ、世界樹の枝葉がざわざわと音を立てる。
やがて――。
風が、ぴたりと止んだ。
先ほどまで激しく揺れていた森が、嘘のように静まり返る。
「……止まった?」
シンが恐る恐る顔を上げた。
すると、辺りが柔らかな光に包まれ始めた。
「今度はなんだよー!」
シンとノアは眩しさに目を細めながら、光の中心へ目を向ける。
そこには――。
淡い光に包まれた、美しい女性の姿があった。
女性はゆっくりと二人の前まで歩いてくる。
そして、シンの後ろへ視線を向けた。
「リリィ。そこにいるんでしょ?」
「……やっぱりバレた……?」
リリィがシンの後ろから、そっと顔を覗かせた。
「あなたがどこにいたって分かるわよ」
「……だよね」
女性は小さく息をつくと、今度はシンとノアへ目を向けた。
「ところでリリィ。その子たちは?」
「リリィの母ちゃん? 僕、シンって言うんだ! よろしくね!」
「あっ、初めまして。私はノアって言います。勝手に入ったりして、ごめんなさい」
女性は少し驚いたように目を瞬かせると、優しく微笑んだ。
「あら。二人ともしっかりしてるのね」
それから、再びシンの後ろへ目を向ける。
「リリィ。いい加減、そこから出てきたらどう?」
「……はい」
リリィは観念したように飛び出すと、俯きながらシンたちの横に並んだ。
「リリィ。どうしてこの子たちが、ここにいるのかしら?」
「……その……」
リリィは指先をもじもじと合わせる。
「外で二人を見てたら、見つかっちゃって……そのまま逃げたら……ついて来ちゃった……」
「…………」
「ご、ごめんなさい……」
エルシリアは怒鳴ることもなく、ただ静かに三人を見つめた。
その穏やかな視線が、かえってリリィには怖いらしい。
「……でも!」
リリィが顔を上げる。
「せっかく人間と友達になれたの! だから……!」
「分かってるわよ」
「……え?」
エルシリアは優しく微笑んだ。
そして、シンとノアへ視線を移す。
風が止まり。
森がしんと静まり返る。
ノアは少し緊張したように背筋を伸ばした。
シンは何を見られているのか分からず、きょとんとしている。
しばらくして、エルシリアは静かに口を開いた。
「……どうやら、あなたたちが自分から結界を越えようとしたわけではないようね」
「結界?」
シンが首を傾げる。
「この世界樹の周りには、人間が簡単には近づけないように結界が張られています」
「じゃあ、なんで僕たちは来れたの?」
エルシリアはリリィを見る。
「リリィを夢中で追いかけているうちに、偶然こちら側へ迷い込んでしまったのでしょう」
「……リリィのせい?」
「ゔっ……」
リリィが小さく縮こまる。
エルシリアはそんなリリィを見て、小さく息をついた。
「リリィと友達になることまで、止めるつもりはありません」
「ほんと!?」
ぱっとリリィの顔が明るくなる。
「ただし」
その一言で、リリィの背筋が伸びた。
エルシリアはシンとノアへ向き直る。
「世界樹のそばに、妖精や精霊たちが暮らしていること」
二人は黙って聞いている。
「そして、ここへ至る道のこと」
エルシリアの声は優しい。
けれど、その瞳はまっすぐだった。
「それを、外の人間には話さないと約束できますか?」
「うん!」
シンは迷うことなく答えた。
「約束はちゃんと守るよ!」
「私も約束します」
ノアはリリィを見て、にっこりと笑う。
「リリィは……もう、私たちの友達だから!」
「ノア……」
エルシリアは二人の顔を、もう一度じっと見つめた。
そして――。
「……分かりました。あなたたちを信じます」
リリィの表情がぱっと明るくなった。
「エルシリア様!」




