#2:それは太陽のように眩しくて
何かを「初めて」やったことはある?
何かを新しくやってみようと思うと、色々な理由をつけて辞めてしまうことも多いかもしれない。
でも、人間なんて初めてする事の方が多いのだ。
大丈夫。失敗を恐れることなんてない。君の周りは「初めて」で溢れている。
家に帰ってからのことは、あまり言うことはない。あるとすれば、入学祝いとしてお父さんがお寿司を買ってきてくれたことくらいだろうか。
別にお寿司は嫌いではないが、私はそもそも食べる量が少ない。強制的に米を摂取させられるお寿司を食べる時はペース配分を考えなければならない点を考慮するとそこまで好きではない。
あとは食卓を囲み、入学式がどんな感じだったかとか高校はどんな感じかとか、そういう話をして自室に戻った。
部屋に戻ってからは特にやる事もなく、ベッドに寝っ転がりながら、ぼんやりスマホでパズルゲームをやっていた。
結構昔からやっていたから、というのも理由でもあると思うが、こう、指をくるくるやっていると無性に落ち着く。
そんなことをやっているうちに夜は更ける。
お風呂を済ませ、既に電気が消えているリビングに入部届を持って行く。
お母さんもお父さんも、私もだが、基本的に自室にいることの方が多い。
何も言わずに入部届だけ置いておくのもあまりよくない気がしたので、「お願いします」とだけ書いたメモと一緒にテーブルに置いておいた。
部屋に戻ると、今度は机に向かって細々と書き続けている日記を開く。
最初は面倒臭かったが、いざ書いてみると、その日あった事とか考えた事をまとめられるので意外と続けられている。
今日あった事と言えば、やっぱり天瀬が話しかけてくれたこと。入学初日なのに既にグループが出来上がっていた教室の雰囲気に、半分不貞腐れて”話しかけるなオーラ”を放っていた自覚はある。
しかし、昨日推察したように、あの天瀬はおそらく天然なので、そんな事お構いなしに話しかけてくれたのだろう。その点はすごく感謝している。
正直_学校の”ああいう感じ”の部活は下に見ている節があった。
別に馬鹿にしている訳ではないけど、研究活動をしていた身からすると、どうしても馴れ合いのようにしか見えなかったのだ。
でも_その研究も終わり、”ああいう感じ”の地球部に入部する以上、そんな事は考えてはいけない。
研究活動をしていた過去の私はもういないと考えた方がいい。もうその道は終わったのだから。
パタンと日記を閉じる。
もう寝よう。明日からは授業が始まる。
(この日は良い夢が見れたような気がした。)
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翌朝、目が覚めると既に2人は仕事に出かけていて、私1人だった。うちは所謂共働きというやつで、昔からこうだ。別にネグレクトとか、そういうのではない。
着替えを済ませ、リビングに降りるとテーブルの上にはお母さんの几帳面な字でサインがきちんと書かれた入部届が置いてあった。
「地球部って書いてあるの見たのかな…」
その独り言を聞く人はいない。(観測する人がいなかったらそれは喋っていないのと同じことでは?)
入部届をファイルにしまい、新しい教科書が詰まってすごく重くなってしまったリュックに突っ込む。
「朝ごはんは…まあ…いっか」
冷蔵庫のコーヒーポッドを取り、アイスコーヒーを嗜む。
お腹が冷えてしまうからアイスより常温の方がいいけど今日は大丈夫そうだ。
そして本来私に食べられるはずだった食パンの袋に別れを告げ、リュックを背負う。
背負う直前、星座早見のストラップと目が合った。
これとも長い付き合いだし、天瀬とのきっかけも作ってくれた功績を讃えてそのままにしておいてやろう。せいぜい天瀬に感謝するんだな。
誰もいない室内へ向かって「いってきます」と言ってから鍵を閉め、踵を返す。
最寄り駅への道を歩いているとブブッとスマホが震え、着信がある事を知らせる。見るとそれは天瀬からだった。時刻は7時27分。メッセージの画面には一言「一緒にがっこー行こー!」とだけ書いてあった。
ふむ、これは昨日別れた場所に来いという事で合ってるんだろうか?
「いいよ。昨日解散したところでいい?」と返信するとすぐに既読になり「OK」のメッセージと共にやけに体の細いウサギのスタンプが送られて来た。なんだこのスタンプは…地球部の看板のキャラもかわいいって言ってたし、あいつの感性はよくわからない。
そんなことをホームでしていると電車が来た。
乗り換える駅、つまり天瀬と合流する予定の駅に到着すると臨時改札で、普段は出店がある辺りの壁にもたれかかる。
目を瞑って、まだ到着していない天瀬の顔を思い出そうとしたが__そうだ、私は人の顔をちゃんと覚えられないんだった。
覚えられない、というか人の顔を見れないから覚えられないんだけど。
いつからだっただろうか。
私はどうも、人の目を見て話すことが苦手らしい。どうしても見なきゃいけない時(例えば面接とか)は相手の鼻頭を見るようにしている。
だから例によって、天瀬の顔を思い出すことはできなかった。
目を開く__朝の通勤ラッシュ。改札になだれ込んでくる学生やら社会人をぼんやり眺めていると、その中に天瀬がいた。
天瀬は私が見ているのに気がつくと、途端にパッと表情を明るくしてみせた。
なんかこう…さっきまで普通(悪く言うと没個性)だったのに、あの顔になるとオーラというか、天瀬の周囲が明るくなる…感じがする。
太陽みたいなヤツだ。天瀬は。
ニッコニコで天瀬は人混みを掻き分け掻き分け、私のところまで辿り着いた。
「おはよー!めらちゃ〜〜ん!!」
ほら眩しい。こんなことではまともに顔も見れないのも仕方ない。
「お、おはよう…」
対して私の声のなんて弱々しいこと。
しかし天瀬は私の声量云々より、私が挨拶を返したこと自体をお気に召したらしく、返事をした後でも「えへへ〜おはようだね〜」などと言ってご機嫌だった。
「じゃあ行こっか!!」
天瀬は手を差し出して言った。
……いや、さすがに手は繋がないよ?
出された手をスルーし、横を通ってホームへ向かう。視界の端にむくれた天瀬の顔が見えた気がしたが、とりあえず無視しておいた。
通勤電車の洗礼を受けつつ、30分ほどで学校の最寄り駅に到着した。電車の中では今日から授業だとか部活楽しみだねとか、そういう他愛もないことを話していた。
授業は初回という事もあって、すべてガイダンスだった。
4月の陽気が教室を暖かくしたおかげで睡魔が襲ってきたりしたこともあったが……。
頬杖をついてぼんやり窓の外で舞う桜の花弁を眺めたり、いつもより若干遅く感じる時計が時を刻んでいるのを眺めていたら、あっという間に放課後になっていた。(これじゃまるで私が放課後を楽しみにしているみたいじゃないか。)
そしてその時が来た。
「地球部行こーっ!布良ちゃーーーんっ!」
例によって律儀に私の席まで大声を伴ってやって来た。嵐か、こいつは。
しかし昨日と違うのは、授業が終わってすぐ来たせいでまだ教室はそこまで騒がしくなっていない。
畢竟、この爆音の発信源を見ようとして振り返った大量の視線に私も晒される事になった。
視線は苦手だ。反射的に俯いてしまう。
しかし、苦手と言っても大丈夫な視線もある。それは赤の他人の視線だ。例えば学会発表のような関わりの無い人からの視線。今後会う事もないであろう人からの視線は案外大丈夫だったりする。
そして今回の場合、今後も否が応でもクラスメイトという関係性が続いていく事が確約されている、赤の他人とは言い難い人々からの視線の場合。それが一番嫌いだ。
奇異の目、なんで明るい天瀬があんな暗いヤツと仲良くしてんだ?とかそんな感じだろう。
「ねぇってば〜早く行こうよ〜」
…そんな事を考えている私にお構いなしに話しかけてくる辺り、やっぱりコイツは天然なんだろう。
教科書、ノートをリュックに突っ込む。一刻も早く教室から離れたい。
「じゃ…じゃあ行こっか…」
そう言った時にはもう立ち上がり、ドアに向かっていた。背負う時間も惜しいのでリュックは胸に抱えたまま。
まだ疎らにしか人がいない廊下に出ると、昨日と同じように天瀬も横に並んで歩き始めた。
「ねぇねぇ!活動って具体的に何やるんだろうね?」
「さ、さぁ?…部活のことなんてあんま調べてないから…」
実際、私は地球部について何も知らない。
私が多摩高に入った理由は実にズルくて、打算的なもの。
中学の頃から理系だった私が、大学で理工学部に入りたいと思うのはごく普通の流れだった。
しかし、理系科目と研究活動に夢中になっていた私は苦手な文系科目から逃げていた。まさに逃げていたと言うべきだろう。
中2の時の私は考えた末、大学受験をするよりも高校で附属高に入ってしまって、そのまま内部推薦で大学に行こうと思い立ったのだ。
この話を両親にしたのが中3の始めの頃。こんな甘い考えを受け入れてくれるかと心配していたが、それは杞憂だった。
両親、特にお母さんは食い気味に了承してくれた。
この時は、お母さんが私が描く未来像_つまり天文学者になりたい、という夢を認めてくれたものだと思っていた。
でも__
「あれー?めらちゃんどこ行くのー?」
ハッと顔を上げると、いつのまにか渡り廊下へ続く道を素通りしていた。危ない危ない。妙な回想なんかするもんじゃないね。
小走りで引き返し、天瀬の元へ急ぐ。
「ごめん…ちょっとボーッとしてて…」
「も〜めらちゃんはおっちょこちょいだねぇ〜」
まあそう言われてしまうのも仕方ないかもしれない。なんならもっと罵ってほしいくらいだ。「夢から逃げた軟弱者め」と。
そんな思考を遮るようにチン、とエレベーターの扉が開いた。
「行こ!!」
瞬間、天瀬が私の手を握ってエレベーターから引っ張り出した。不思議なことに、振り解く気は起きなかった。
引っ張られるまま地球部の部室の扉の前まで進む。
「こんちわー!!」
そう言ったのとほぼ同時に扉を開ける天瀬。そして「どぞー」と部屋の奥から聞こえる前に入室する天瀬。もう何もコメントしないでおこう。
棚の向こう側に出ると既に、三峯先輩がいた。
「おっ、2人とも早いねぇ〜感心感心。」
6限が終わってすぐに来た私たちより早いこの人が何を言ってるんだろう。
「入部届持ってきましたー!」
「あ、私も…」
いつの間にか手を離していた天瀬が鞄から入部届を出していたので、私も慌ててリュックからクリアファイルを出す。
「お〜…2人とも初日から持ってくるなんて偉いねぇ〜もしかして超やる気?」
「はい!!!」
「まぁ…」
私が何と言おうと、コイツの声でかき消されていただろう。
「せっかく持ってきてもらったところ悪いけど〜今日小暮先生いないんだよね〜とりあえず私が預かっておくよ〜」
と言うので、入部届を手渡す。
それと同時に後ろでドアがガチャリと鳴り、九条先輩が入ってきた。
「お疲れ〜って、あれ?2人とも早いな」
九条先輩は三峯先輩と同じような事を言いつつ、明らかに通学用じゃない大きな2つの鞄をドサッと机に置く。
「じゃあさっそく活動を始めようか。昨日もっと細かい活動内容を言ってから活動に入るって言ったけど、やっぱ実際にやった方がいいかと思ってね…よいしょっ」
「先輩…それは?」
やけに重そうな鞄を指差す。
「ふふふ…よくぞ聞いてくれました…」
九条先輩は、鞄上部のジッパーを開け、ゴソゴソと中身をまさぐる。
そして取り出されたのは…
「これは我が地球部が所有する、一眼レフカメラ。全部で6台。」
「「お〜」」
なんかドヤ顔で言ったので思わず拍手までしてしまった。
「2人にまず覚えてもらいたいのはカメラの使い方。最終的には文字通り目を瞑っても操作できるようにしてほしい。」
「わかりました!!」
ほんと、声だけはデカいな…
「なんで目を瞑る必要があるんですか?」
「説明しよう〜」
横から三峯先輩が割り込んできた。
「2人には今日から、夏・冬にやる遠征合宿に向けて普段から活動をしてもらうわけだけど〜」
「2人は実際に綺麗な夜空を見たことはあるかい?」
「綺麗な星空、と言うと…?」
九条先輩は腕組みをしてから。
「そうだな…光害がない状態の星空、って言った方がいいかな」
「…光害…?ってなんですか?」
天瀬の質問に三峯先輩が答える。
「光害は〜その名の通り光の害。東京の空って実は真っ暗じゃないの、知ってる〜?」
なるほど。
「都心部の看板や街明かりの所為で、夜本来の暗さにならない…ってことですか?」
「その通り。特に私達みたいな観測屋さんは光が嫌いなんだ。」
九条先輩は指を2本立てて。
「理由は主に2つ。1つ目は撮影中に光があると綺麗な写真にならない…これはわかるね?」
私と天瀬が頷いたのを確認すると九条先輩が続ける。
「2つ目は『暗順応』を邪魔しないようにするため。人間には暗順応っていう仕組みがあるんだ。2人も暗闇の中で、最初は何も見えないけど…目を瞑ったりしてたら段々見えてくるようになった経験、あるんじゃないかな?」
ああ、確かにあるな…あれ暗順応っていうのか。隣で天瀬も納得したような顔をして頷いている。
「人間の目は、ずっと暗いところにいると徐々に感度が上がって、暗さにある程度適応できるようになる。でも、適応してきた状態の目に明るい光を当ててしまうと、暗順応がリセットされてしまう。元の感度に完全に戻すには10分くらい必要なんだ。」
「同じ観測地に同業者さんがいたら尚更気をつけなきゃいけないわね〜」
「だから、観測地でライトを使わなくてもいいように目を瞑った状態でもカメラを使えるようになってほしいんだ。」
「わかりました!」
うんうん、と九条先輩は頷き
「じゃあさっそく練習していこうか。2人は一眼レフ使ったことある?」
「ないです!!」
そんな大きい声で言う必要あるか…?
「私はデジカメしか…」
「まあ、そうだろうね。大丈夫、使ったことある人の方が少ないから。」
まあそれはそうか。
九条先輩は机に置いてあった一眼レフを持ち上げ、紐らしき物を首にかける。
「これはCanonのEOSっていうシリーズの6D。もうだいぶ型落ちだけどまだまだ使える。」
「こっちも同じEOS kissシリーズのx7iっていう機種だよ〜」
比べて見ると三峯先輩が持っている…なんだっけ、x7iだっけ、の方が小さい。
「地球部では6Dが2台と、x7iも2台。そして…Rっていうシリーズが2台の合計6台を持っている。Rはあとで説明するとして…」
「まずは一番扱いやすいx7iから使ってみよっか〜」
三峯先輩は首にかけていたカメラのネックストラップを外し、鞄からもう一つのx7iを取り出して隣に並べた。
「はぁ〜い、これ。まずは2人とも触ってみようか〜」
「わぁ!いいんですか!」
「もちろん。沢山触ってみてほしい。」
じゃあ遠慮なく…
「あ、カメラ持つ時は必ず首にかけてね〜」
カメラボディを握る(多分持つために作られた部分)と、一部分がゴムでカバーされていて持ちやすい。見た目よりも結構ずっしりと重く、重厚感があった。
首にかかる負担も少なく、三峯先輩が言った通りこれが一番扱いやすいものなのだろう。
「なんかカメラ持ってるめらちゃんかっこいいー!!」
「あ、ありがと…」
そうかな…そうなのかも…
天瀬が笑顔で言ったことは全部本当のことに聞こえるから不思議だ。
「じゃあまずは電源をつけてレンズカバーを外す。…そうだな、とりあえず最初はシャッターを切ってみようか。」
九条先輩と三峯先輩の見よう見まねでレンズカバーを外し、電源らしきスイッチを押すと画面が明るくなり、よくわからない数値が沢山出てきた。
「…めらちゃん、これ何かわかるー?」
「さ、さぁ…?」
「そっかぁ」
横で天瀬が小声で聞いてきたが、わからないものはわからない。なんだろう「iso」?「F」?何のことかさっぱりだ。
「まずは基本的なボタンの位置から覚えてようか。」
九条先輩が自分のカメラを持ちながら解説を始める。
「まず、カメラはカメラボディとレンズに分けることができる。基本的に操作するのはボディの方だね。握った時に人差し指に当たるのがシャッターボタン。そのすぐ後ろにあるダイヤルが…まあ色々設定できるところだね。」
三峯先輩が続ける。
「一言に撮影するって言っても沢山設定しなきゃいけないことがあってぇ〜…」
天瀬と私のカメラを指差し、場所を示す。
「この左の〜文字がいっぱい書いてあるダイヤルがあるでしょ?これでモードが変えられるの〜今回は「M」に合わせてみて〜」
「Mだって!めらちゃんのMだね!」
「いやいや…「マニュアル」のMでしょ…多分…」
「あ〜マニュアルね〜なるほど〜なるほど…」
本当に分かってるんだろうか…?
「正解。オートに頼らない時はマニュアルに設定する。そして弄る数値はこんな感じ。」
九条先輩が部屋の隅にあったホワイトボードにキュッと「iso感度」「F値」「露出」の3つの単語を書く。
「まあ細かい数字覚えるよりも、実際にやってみた方がいいかな。」
「そうね〜じゃあ2人とも〜そのファインダーを覗いてシャッター切ってみて〜」
「はーい!」
言われるがまま、小さな窓を覗く。映るのは、当たり前だけど段ボールやらに囲まれた先輩2人の姿。そのままシャッターを押すと、少し遅れてカシャッという音が室内に響く。
「…ん?」
何か違和感を感じ、画面を確認しようと目を離すと横から
「めらちゃーん!こっち向いてー!」
「へ?」
条件反射で天瀬の方を向いてしまう。
しまった、と思う暇もなく天瀬がシャッターを切る。
「えへへ〜隙あり〜!」
まったく、こいつは。
気を取り直して撮影した写真を見ようと画面を見ると、そこに表示されていたのは真っ白な画面。
「あれー?なんか真っ白ー?!」
天瀬も同じようだ。
そして、2人の先輩はというと、…何か意味深に笑っていた。
次回も来週投稿予定です。
「#3:切り撮った世界」




