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星の鍵穴  作者: 丼丼
3/3

#3:切り撮った世界

 君が見てる世界。僕が見てる世界。

それはきっと同じだけど、きっとどこか決定的に違う。

 さあ_見せて、教えてほしい。君が見ている世界を。


 入学式までギリギリ持ちこたえていた桜がいよいよ散りゆく。今年は入学式まで咲いてたのを褒めるべきだろう。

 そんな中、天瀬と私はその桜よりも遥か高い場所。赤レンガ棟の6階、生物地学実験室の準備室兼「地球部」の部室にいた。


 そして、手元のカメラの画面には真っ白な画像しか表示されていない。天瀬も同じ状況らしかった。

 

 「ま、まさか…壊しちゃった…?」


 天瀬が若干青ざめた顔でこっちを見てくる。いや、そんな簡単に壊れないって…

 それと、笑いを堪えている九条先輩と三峯先輩を見れば壊れていないことは明白だというのに。

 というかアンタが壊したなら私も壊したということになるんだが?

 

 「ふっ…ふふ…いや、すまんすまん…反応が面白かったからつい…」

 「ごめんね〜大丈夫。壊れてるわけじゃないわよ〜」

 「…え?ほんとですか…?!あーよかったー!!!」


 九条先輩がオホンと咳払いをしてから続ける。


 「なんで真っ白になったと思う?」


 多分理由は…


 「露光が長すぎたから、ですか?」

 「へ?露光?」


 横で何か言ってる天瀬は置いといて…


 「う〜ん〜30点!」


 30点か…つまり全部で3要素あるのか…

 そこでさっき九条先輩がホワイトボードに書いた文字が目に入る。おそらくこれなんだろうけど、私には何かわからない。


 「ごめんね〜ちょっと意地悪しちゃった〜私たちがちょ〜っと設定弄っておいたの〜」

 

 まあそんなこったろうと思いましたよ。


 「じゃあ気を取り直して〜解説編スタ〜ト〜!お〜!」

 「おー!!」「…え?おー…」


 天瀬は三峯先輩につられて拳を空に突き出す。


 「写真を撮る時に設定することは〜大体「露光」「F値」「iso感度」の3つ〜。じゃあまずは黒沢ちゃんが言ってくれた露光について〜」


 この人まで私をちゃん呼びか…


 「露光っていうのは〜”カメラの中に光を取り込む時間”のこと〜そもそもカメラっていうのは〜光を焼き付けるところから始まった物で〜」

 「おい星乃、それ話すと長くなるから…」

 「あ☆そっか〜」


 なんかカメラの歴史から話そうとした三峯先輩を九条先輩が止める。


 「まあとにかく、カメラっていうのは光をどう取り込むかが重要になってくるんだ。」

 「な、なるほど…?」


 相変わらず天瀬は首を傾げている。


 「例えば〜今2人の露光時間は何秒に設定されてる〜?」


 画面を確認するが、いまいちどれが何を示しているのかわからないけど…


 「…2秒、ですか?」

 「正解〜♪よくわかったね〜」

 「まあ消去法ですけど…」


 よかった。合ってた。


 「つまり〜今2人のカメラは”2秒の間、シャッターを開いて光を取り込み続けますよ”っていう状態なの〜。夜ならまだしも昼間のこんな明るい室内で2秒も露光したらそりゃ真っ白にもなっちゃうよね〜」

 「めらちゃん…わかった?」

 「まあ大体…」


 天瀬が小声で聞いてきたので答えたが実際、私は「露光」というワードしか知らなかった。

 

 「ちなみに、夜空とか星を撮る時は…あー…場合にもよるけど、大体30秒露光くらいにする」

 「えー?!それって30秒ずっとシャッター開きっぱなし、ってことですか?!」

 「そうだよ〜星って実はカメラにとってはとっても暗いから30秒くらいにしないとダメなの〜。ちなみに30秒が露光の限界だと個人的に思ってて…なぜかと言うと〜」

 「おい星乃、それ話すと長くなるから…」

 「あ☆そっかそっか〜じゃあこの話はいずれ…」


 そんなコントを終わらせて…いや、三峯先輩のあの口調はあれだ、オタクなんだ。三峯先輩はカメラオタクなんだ。多分。


 「とにかく!室内だったら露光は1/100秒くらいで十分〜」


 三峯先輩が指でOKマークを作って言う。

 そんなこと言われてもどう操作すればいいかわかんないんですがねぇ…


 「次はF値だな。F値は“絞り”とも呼ばれている。感覚的に一番わかりやすいのは人間の瞳だな。」

 「澄ちゃ〜ん…先言わないでよ〜私が言おうと思ってたのに〜」

 「あ、ごめんごめんごめん。じゃあどうぞ〜」


 九条先輩がヒラヒラと手を振って解説から離脱。カメラ解説は三峯先輩の独壇場になった。


 「え〜っと、さっき澄ちゃんが言った瞳の話〜…レンズ見たらわかると思うんだけど、いっぱい円があるでしょ?」


 三峯先輩が持ち上げたレンズ(私たち2人が持っているのよりだいぶ大きい)を覗くと、確かに沢山の円が重なって、確かに人間の目のようにも見えた。

 

 「まあ…人間の目の方がはるかに優秀なんだけどね…これも今度話すよ〜。そ!れ!で!F値ってなんなの?って話だけど〜。簡単に言うと『光の入り口の大きさ』なんだよ。さっき澄ちゃんが言った瞳の虹彩と同じで、数字を小さくすればするほど、レンズの窓が大きく開いて、光がいっぱい入ってくるの!」


 三峯先輩は身振り手振りで、空中に大きな円を描いてみせる。


 「数字が小さくなると『明るく』なって、ピントが合う範囲が狭くなって後ろが『ボケる』。逆に数字を大きくすると窓を絞ることになって、『暗く』なるけど全体にピントが合う。風景写真とか集合写真、それから私たちが撮るような星景写真では、これをどうコントロールするかが鍵になるんだ」


 「えっとー…暗い所だと虹彩が開くみたいなやつですか?」


 天瀬が、人差し指と親指で丸を作りながら、覗き込むようなポーズをした。


「おっ、まさにそれ! 天瀬ちゃん冴えてるぅ〜!」


 三峯先輩は嬉しそうに頷く。九条先輩はそれを横目で見ながら、ホワイトボードにサラサラと追加の情報を書き加え『iso感度』の文字をマーカーで指す。


 「最後がこれ。iso感度だね〜。これは…ちょっと難しいけど〜入ってきた光を電気信号に変える時に、どれだけ『増幅』させるかっていう数値だね」

 「極端な話、F値と露光時間を固定していても、このISO感度を上げれば写真は明るくなる。ただ――」

 「ただ?」


 私が聞き返すと、人差し指を立てて”いかにも”なポーズをして言った。


 「メリットだけじゃない。無理やり光を増幅させる訳だから、上げすぎると画像に『ノイズ』が走る。ざらついた、汚い写真になっちゃうんだ。暗い星を撮る時は感度を上げたいけれど、上げすぎれば天体の細かな描写が失われる。露光、F値、iso感度。この三つのバランスを最適化するのが、我々観測屋の基本であり、永遠の課題なんだ」


 「……バランス探し、ってことですか」


 私の言葉に、九条先輩が小さく満足げに口角を上げた。


 「その通り。『妥協点を探る作業』とも言えるけど、それだと夢がないしね。」

 「じゃあ改めて、自由に撮ってみよう〜!」


 そこからは試行錯誤の時間だった。


  「設定いじってみた! めらちゃん、撮ってみようよ!」


 天瀬に促され、私はx7iを再び構える。

 さっきは2秒だった露光時間を、三峯先輩のアドバイスに従って1/100秒に設定。F値も一番明るい開放側に合わせ、ISO感度を調整する。


 被写体は、部室の棚に無造作に並べられた岩石の標本たち_積み上げられた「タカハシ」とロゴが入ったボロボロの段ボールや、プラスチックケース…この部屋全体。


 ファインダーを覗き、レンズのリングを回す。


『カシャッ』


 心地よいシャッター音。

 液晶パネルを確認すると、そこには、真っ白でも真っ暗でもない、肉眼で見た光景を少しだけ切り取ったような「写真」が映し出されていた。


 「あ、撮れた。……結構綺麗に映るもんなんですね」

 「いいじゃんいいじゃん! 見せて!」


 天瀬が隣から覗き込んでくる。


 「すごーい! ピントもピッタリだし、さすがめらちゃんだね」


「まあ、言われた通りに合わせただけだから」


 私は謙遜半分にそう言ったが、胸の奥で小さな達成感が弾けた。

 理詰めで、確実に。天文学を志した時から大切にしていた、「正しい手順を踏めば、正しい答えに辿り着く」という感覚。

 私の撮った写真は、まさに理論通りの正解だと思った。


 しかし、次に天瀬が自分の写真を見せてくれた時、私は思わず絶句した。


「私も、いい感じにできたかも!」


 陽菜のカメラの液晶画面。そこに映っていたのは、私と同じく部室の風景だった。

 だが、私のとは少し違った。

 夕暮れの陽光が差し込む準備室の窓辺を背にして、少し低い位置(床すれすれの角度)から撮ったその写真は、まるで眠っている古い生物が長い年月を経て石になったような、形容し難いものを纏っていた。


 少し変な言い方かもしれないが__私の写真が、ただそこにある机という「物体」の形や配置を正確に記録しただけの標本だとするなら。

 天瀬の写真は、窓から差し込んだ夕暮れ時の光が机の木目に反射する柔らかさや、埃っぽい室内の空気感そのものを掬い取ったような、ひどく情緒的なものに感じられた。

 同じ風景を切り取ったはずなのに、そこに立ち現れる意味合いが全く違う。一枚の絵の中に隠されていた別の形が、視点を変えた瞬間に全く違うものとして浮かび上がってくるような、そんな不可思議な感覚。


(……綺麗だ。)


 私が言葉を失っていると、後ろで一部始終を見ていた三峯先輩が、ふっと柔らかく笑った。


 「面白いよねぇ…二人とも、同じ部室にいて、同じカメラを持ってて、教えた事も同じはずなのに。全然違う世界が映るんだよ?」


 三峯先輩は、机に置いてある一眼レフのコレクションを愛おしそうに見つめた。その眼差しは、先ほどの賑やかさとは打って変わって、静かで、どこか遠い場所を見ているようだった。


「……あのさ。世の中にはね、どんなに言葉を尽くしても、誰にも伝わらない、理解されないこと、あると思うんだよ。君たちが今何を考えてて、どんな気持ちを抱えてるか。例え、それらしい表現で書けたとしても、それは本当の気持ちじゃない。もちろん私は超能力者じゃないから100%正解することなんてできない。感情の『真実』なんて、誰にも触れられない深淵みたいなものだからね…」


 三峯先輩の声は独り言のように低く、落ち着いていた。


「でも、カメラは……その人が見ている景色だけは、そのまま切り取って外に持ってくることができるの。この光の当たり具合がいいと思った、このアングルが切ないと思った。その個人的な、言葉にならない気持ちだけは、写真の中に、共有できる形で残せる。私はさ、そういうのが……人間が、世界のどこに価値を置いたかを見せてもらえるのが、たまらなく好きなんだよね。」


 そこまで一気に言って、三峯先輩はハッとしたように顔を赤くした。


 「……あ! な〜んて! 今のめちゃくちゃ恥ずかしいかも! 忘れて、忘れて今のはちょっとカッコつけただけだから〜!」


 三峯先輩が慌てて両手をぶんぶんと振る。 九条先輩が冷ややかな、けれど温もりのある溜め息を吐いた。


 「星乃、今のポエムはノートにでも書いておけよ。2人とも引いてるぞ?」

 「澄ちゃんだって内心は同意してるくせに〜!」


 部室が再び、喧騒に包まれる。


 けれど、三峯先輩が言ったことは、私の心に張り付いた。

 かつて夢見た世界に、私はどんな価値を置こうとしていたんだろうか。母を落胆させた、あるいは自分の将来を守ろうとして母が突き放した、あの夢。

 

 窓の外では、いつの間にか太陽が沈み、赤から濃紺への薄暮の空に変わっていた。


 「……お、そろそろ下校時刻だ。」


 チャイムが響く。その後、帰宅を促すアナウンスが流れた。 (確かこの声は_入学式でも聞いた、確か学年主任の先生だったはず。)

 カメラを片付けた私たちは部室を後にし、私たちはすっかり薄暗い赤レンガ棟から出る。


 校門までの桜並木。風が吹くたびに花びらが舞い、夜の気配がそこかしこに漂っている。


 「今日はありがとね、めらちゃん! カメラって案外難しいけど、でも面白かったー!」


 天瀬はいつものようにニコニコしながら、駅へ向かう道すがら歩幅を合わせてくる。彼女は私から一切の言葉を奪ったが、その笑顔が今の私の重荷にならないのが、自分でも不思議だった。


 「……うん、そうだね。次回は望遠鏡実習って言ってたし、そっちも楽しみ。」

 「うん!」


 乗り換えの駅で、ブンブンとちぎれんばかりに手を振る彼女と別れ、私は自宅のある街へと向かった。もう18時半か…。


 家に着くと、玄関には私の帰宅を歓迎する声はない。 

 共働きの両親は、だいたい21時前後にならないと帰ってこない。遅いと22時を過ぎることもある。


 私は一人、電気をつけ、自分の部屋にリュックを置いた。 着替えてからキッチンに向かい、夕飯の支度を始める。


 今日の献立は何にしよう……カレーと味噌汁でいいか。

 冷蔵庫の中を確認し、タマネギとじゃがいも、ニンジンを取り出す。包丁がまな板を叩くトントンという規則的な音が、空っぽの家に響く。


 コンロに火をつけ、味噌汁の出汁を取る。湯気が上がる。

 煮込んでいる間に、キッチンのカウンターに今日の数学Ⅰの教科書を広げた。今日の授業は初回だったからガイダンスだったけれど、予習するのは中学からの癖だ。二次関数…まあそこまで難しくない。


 ふと、夕方に聞いた三峯先輩の声が蘇った。 『誰にも伝わらない心のこと。どんなに言葉を尽くしても、理解されないこと。』


(……私、お母さんにちゃんと言ったことあったっけ)


 テキストから顔を上げ、考える。


 中3の始め。母が父に、「天文学者なんてあんな不安定な職業やめた方がいいわよ…。ただの趣味にしたほうがこの子の幸せのためよ」と話していたのを、扉の陰で盗み聞きしてしまった時の、あの焼け付くような、冷たい衝撃。


 「あ、あっぶね」


 かき混ぜないと焦げついてしまう。


 言葉にしようとした瞬間、いつも私の喉は拒絶するように閉じてしまう。

 言葉だけでぶつかったところで、私は返り討ちにあうだろう。


 「…………今はまだ、だめだ。」


 味噌汁を器に注ぐ。独り言が、湯気に紛れて消えた。

 自分でも自覚している通り、今の私の知識や実力は、母を説き伏せられるほどの強固な「事実」に基づいたものではない。


 今の私が「天文学をやりたい」と言っても、それは中学生の頃からの幼い逃避、甘えた夢にしか見えないはずだ。


 だったら。


(……この地球部で、結果を出してから言おう)


 もし、この部活で。

 誰にでも納得させられるような成果__例えば学会発表とか、カメラのコンテストとか。何でもいい、目に見える形の「証」を手に入れたなら。


 その時、初めて私は自分に「自信」を持てるはずだと思った。

 根拠のない憧れではなく、自分の力で掴み取った世界の端っこを見せられる時、母に、私の夢は私のものだとはっきり告げよう。


 それがいつになるかはわからない。1年後かもしれないし、2年後、この部活が終わる時かもしれない。でも、目標を定めることは、観測の基本だ。


 「……ごちそうさまでした」

 

 手早くカレーと味噌汁を食べ終わる。味は至って普通。いつも通りだ。


 明日になれば、また賑やかすぎる太陽のような友人と、カメラオタクな先輩、メイド服が妙に似合う部長がいる、あの窮屈で、どこまでも広い空を抱えた部室に行く。


 自室に戻るとやはりカレンダーの中の、相互作用銀河の目がこちらを見ている。

 気まぐれに窓を開けてみる。

 多摩の空は街灯りに遮られ、ほんの僅かな一番星だけが、それでも確かな光をこちらへと届けていた。

 


遅れちゃった☆

次回も再来週更新予定です。

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