5話-交渉
「あれぇ……誰かと思えば佐藤じゃん」
ぼくらの目の前に現れた少女はゆらり、と俯いていた顔を上げた。その視界にぼくを映し出せば、今目の前に立っているのが誰かわかったのかより一層楽しそうに笑う。
「その名前はもうとっくに使ってないよ。どうやら、情報のアップデートも出来ていないほど昔の個体みたいだね」
「アップデー、ト……? あは、なにそれぇ」
「初期か。学習機能はつけておいた方がいいと思うよ。AIはアップデートしないとろくに作動しないんだから」
見ているこっちが不安になるような緩慢な動きで、彼女はぼくたちに一歩ずつ歩み寄る。どうやら話を聞く気もなければ対話を試みる気もないらしい。まあ、さすがにそれは想定済みだ。
管理不具合事象。そう名付けられた彼女は端的に言えば、ぼくたちが調査していたバグの正体であり、このNoAを脅かさんとする脅威。電脳都市探偵倶楽部が運営から依頼される案件の実に六割はこの管理不具合事象によるものが多い。というより、電探の発足自体この案件に対応するためのものだ。
閑話休題。彼女たちはバグとしてNoAに不具合を引き起こすために何者かによって生み出された。そう、つまり、NoAが最も危惧している人的被害による産物だ。自然的に発生した不具合ではなく、誰かが意図的に引き起こした不具合。NoAの不祥事としてこれ以上のものは後にも先にも出てきやしないだろう。
不具合というデータに人格を付与することで、規則性を持たせながらも本人の自由意志によって引き起こされるバグ。前代未聞すぎる。とはいえ、ぼくたちもこうしてこの管理不具合事象――通称ゴーストと遭遇するのは初めてではないし、対処法もわかっている。
バグは修正すればいい。ただし、目の前のバグは修正されたものとコードが違う箇所が複数ある。それを視覚して、修正しないといけない。ただし。
「今回のはやけに抗戦的ですね!」
「人格も初期型っぽいからね。初期型ほど知能に偏りがある傾向」
「冷静に分析できるのはさすが石井さんですけ、どっ! っていうかカルハスくんまだなんですか!?」
ゴーストたちも修正を恐れて抵抗してくる。簡単にいうとファンタジーエリアでしか使えないような魔法を行使してでもぼくたちを排除しようとする。抗戦的な人格を付与されている個体なら攻撃性は二段、三段と跳ね上がる。それに対抗するにはぼくたちもファンタジーエリアのアバターデータを使うしかないわけだけど、向こうと違ってこっちは一利用者としての制限がついている。ファンタジーエリアのアバターデータを他のエリアで使用してもそれは外見のみしか反映されないという制限。日常を侵食するファンタジーはあってはならないからだ。だからこそ、今のぼくたちは逃げ一辺倒。少なくとも運営の許可もしくは特例が発令されない限り、この溜まり場では何もできない。このエリアもファンタジーエリアに属しているけれど、設定上ここに魔法は存在しない。だからここで魔法なんてものは使えない。必要ないから仕方ない。
そんな状況を打破できるのが今ここにいないカルハスくんだ。彼は非合法的な手段でアバターを改造しているから、こんな状況で唯一ゴーストに対抗できる手段を持っている。もちろんぼくらも同じ手段を用いることは可能だけど今回はぼくもナツメちゃんも既にユーザーデータに手を加えてしまっている。この状態で追加で手を加えるのはあまり褒められたものではない。いくら運営の許諾を得ているとはいえ、改造に改造を重ねるとユーザーデータの破損を引き起こしかねない。その場合、短くても一週間、長ければ数ヶ月はデータが戻ってこない可能性が十二分にある。だからこそ、なるべく早くカルハスくんには来てほしいわけだが。
「さすがに単位がかかってるからそう簡単には……」
「かーっ! だから常日頃からちゃんとしとけって言ってんですよ!」
「ぼくも大学のデータバンクにアクセスはできないしなぁ……」
「リアさんならできるんじゃないですか!?」
「さすがのワタシにも不可能かな。頑張ってるかい、二人とも」
路地裏に身を隠すように逃げ込めば、聞き慣れた声が頭上から降ってくる。案の定屋根の上からこちらを見ろしているのは我らがギルドマスター、リアさんだった。
軽やかな動作でぼくらの元へ降りてきたリアさんはマップを開きながら楽しそうに笑っている。この笑顔は想定外の事態が起こってどう遊んでやろうかって顔だ。正直な話、リアさんが笑顔以外を浮かべている姿を見たのは短くはない付き合いの中で片手で数え切れる程度しかない。
「絶賛大ピンチですよ」
「だろうね。ナツメちゃん、追加で囮する気はあるかい?」
「えー……。給料増やしてくれるなら乗ります」
「じゃあ石井くんの取り分を一割ナツメちゃんに分配しようか」
「おい」
「やったー! がんばりまーす!」
自分の懐を痛めることなく交渉しやがった。いつものことだけど。
リアさんがナツメちゃんにマップの情報を共有してこの後の動きについて話し合っているのを横目にぼくはカルハスくんにリアルタイム実況をしながら交渉を持ち掛ける。
『ゴースト発生。初期型で手に負えない。至急出動求』
『言うて今から行ってももうすぐ特例許可出るやん』
『絶対とは言い切れないだろ。単位どうにかできないか聞いてみるから』
『誰に』
その問いかけにカルハスくんの単位をどうにかできそうな人物がいないか脳内でリストアップしていく。検索、検索、ヒット数十五件。その中からこの状況に適した人間を再検索。ヒット数。
『遥さん』
『絶対どうにかなったわ、すぐ行くさかい待っとって』
『りょ』
チャットツールを閉じてリアさんにカルハスくんがすぐにこっちに来ることを伝えると、リアさんはこれまで以上に笑みを深くした。どうやらナツメちゃんを囮にした上でカルハスくんも上手く使うつもりらしい。まあカルハスくんが到着するまでの時間稼ぎという意味ではナツメちゃんを囮にすることはほぼ必須条件ともいえるから仕方ないか。
「さてさて皆の衆。さくっとゴースト退治といこうじゃないか」
「おー!」
「おー……」
とはいえ、一筋縄でいかないんだろうな。
一抹の不安と一緒にため息を吐いた。




