10話-神は答えを考えた
ゆっくりと浮かび上がる意識。アカウントのデータに破損がないか確認してから意識を覚醒させる。
「やあ、おはよう」
明るいとは言えないが、それでも突然視界に降り注ぐ光に一瞬目が眩む。体を起こして辺りを見渡せば、いつもの溜まり場であるネットカフェ。その中でも二人用の個室の中だった。いつもミーティングで使う部屋の壁を取っ払った半個室ではなく、リアさんが半私物化しているオートロック対応の個室。フルフラットのシートで長時間横になっていたから背中が鈍く痛む。
それにしても、わざわざここに運んだのか、それともぼくのリスポーン地点をここに設定したのか。前者ならリアさん、後者ならなずなさんの仕業だろう。
「ちなみになずなちゃんがここをログイン地点に設定したみたいだよ」
「心読むのやめてもらえますか……」
「君の考えくらいお見通し、ということだよ。それと、君のオーバーヒートによる一時ログアウトに関してNoAはサーバーダウンを起こしていない。後は分かるね?」
「予備電源の作動くらいしてるでしょ……。ぼくのオーバーヒートなんて、ぼくが生まれた時から予測されてるし、今まで何回か起こしてる」
「この場合、よく作動できた、というのが正しい反応だね。モノたち管理AIによる反乱。我々の知り得ない間に予備電源に手を出されていたら?」
「それは絶対にないことくらい分かってますよね。予備電源に手を出したらエラーが出るようになってる。モノたちであろうともそのエラーが吐き出されるのを止めることはできない」
「……ふむ。意識はしっかりしているみたいで安心したよ」
「なんでこの人この時間で尋問と問診やってるんだよ……」
「手っ取り早いだろう? なずなちゃんも別に君に何か仕込んでるわけでもなさそうだし、なずなちゃんとの話のまとめでも聞こうかな」
ぐっと伸びをして、リアさんは座椅子の背もたれごと倒れ込む。その横に座り直して、ぼくはリアさんが操作していたパソコンに目を向ける。
画面に映っていたソースコードはぼくのアカウントデータに関係するものだった。どうやら先の件で弄った箇所を直していたらしい。道理でオーバヒートした後だというのに疲労感がすっかり抜けていた訳だ。
この画面はもう閉じていいのか聞けばリアさんは好きにしたまえよ、というように手を振った。その言葉に甘えて画面を閉じてから別の画面を開き直す。
オーバーヒート直前のぼく自身の活動ログ。音声ログは辛うじて残っていたらしい。バックアップを使用している関係でログがちゃんと機能しているか不安だったが杞憂だったようで安心した。とは言え、ぼく自身のバックアップデータを別に新しく作っておかないといけないことに変わりはないけれど。その作業はさすがになずなさんもしてくれないだろうから自分でやるしかあるまい。
仕事が増えたな、と重く感じた肩を回してからログをファイルにまとめてリアさんに転送する。軽快な音が狭い個室に響き渡る。
「今送りました。ざっと、ですけど」
「ふーん……、なずなちゃんも人が悪いね」
「妥当なところですよ。バックアップの使用自体は事後承諾でもいいんですけど、その領域の権限をNoA運営に移譲する形になるのでまたバックアップ作っておかないといけないのが面倒ですね」
「あー……とは言え、使ってないデータもあるんだろう?」
「それこそ今送ったログとかですね。まあそれも含めて新しい領域作った方が早いです。フォルダごと渡して、ぼくは新しいフォルダにデータを移す。一番手続きとかも楽ですし」
「なるほどねぇ……。ところで石井くん」
ところで、という言葉から呼びかけられることがついさっきもあったせいで思わず肩が跳ねる。なずなさんにさせられたことは果てのない演算だったけれど、リアさんの場合それを軽々と超えてくる要求をされてもおかしくない。なるべく平静を保ちながら振り向けば、リアさんは退屈そうに空中のディスプレイを眺めていた。
「この演算、まだ続いてるのかい?」
「……いえ。一時中断してますよ」
「ふむ……。やっぱり情操教育が足りなかったかなぁ」
「アンタはぼくの親か何かか」
「親でなくとも君のギルドのリーダーだよ。君の育成、というのは電探の中でも最重要事項じゃないか。成長の余地があるのはいいことだとは言ったけどね」
「人をゲームのキャラみたいに……」
「ワタシたちからすれば君なんて十分ゲームのキャラだよ。大型仮想現実を管理しているAI、なんて設定過多にもほどがある」
そんなに過多だろうか。検索をかけても、世界的に有名だったりする作品くらいしかヒットしない。創作の中にしかない、と言われてもそもそもぼく自身が人の手によって生み出されているのだから仕方ないじゃないか。……不毛な思考は置いておいて、もう一度簡単に試算してみる。オーバーヒートの発生しない範囲で。
「……やっぱり、計測不能ですね。対象を電探メンバーに絞ってみましたけど、みんながどういう行動に出るか、まるでわかりません」
「おや、それすらもか」
「……なんですか。わからないと何かあるんですか」
「はぁ……これでも君とは短くない付き合いだというのに」
「含みのある言い方やめてくださいよ」
「これを知ったらねねちゃん辺りは泣くだろうなぁ。だからこれはワタシと君だけの秘密ということにしておこうね」
「哀れみの視線を向けないでください」
「ま、それも含めて考えたまえ。思考するというのは人間に与えられた至高の叡智なのだから」
そう言ってリアさんは個室から出ていった。大方、飲み物でも取りに行ったのだろう。すぐに戻ってくるだろうが、しばらく思考の海に潜ってみるのも悪くないかもしれない。
リアさんの言葉の意味はよく分からない。ぼくが電探のメンバーを理解しきれていない。言外にそう言われていることだけは分かる。だけどその意図が読めない。ぼくがみんなのことを理解できていないというのならそれは純粋な情報不足だ。一番付き合いの長いリアさんでさえ、NoAがサービスを開始した直後からの付き合いだから数年。それにしたって四六時中一緒にいるわけでもないし、日常的な会話こそ多々あれどそれくらいだ。そこに『感情』という変数を加えて演算を試してみても答えは変わらない。分からない。それが答えだ。
それにリアさんの言い方だと、まるで答えが出ているみたいだった。NoAがなくなったって、どうなるかなんて分からないのに。
「NoAがなくなると、どうなるか……」
なずなさんは心の拠り所がなくなると言っていた。でも、本当にNoAがなくなったとしてもぼくというデータさえ残っていれば再構築は可能だ。それの何が問題なのか。
拠り所。生きていく上で支えとなるもの。人生の基盤となるもの。生活を支える場でもあるNoAが拠り所というのは理解できる。じゃあそれがなくなって、復元して、その時に残るものは――
「データとは違う、思い出の記憶領域……?」
「はい正解。正解した石井くんにはコーヒーでも奢ってあげよう」
「……奢りっていうかドリンクバーじゃないですか」
「持ってきてあげた、ということに重きを置いてほしいね。さて、君の演算結果……過程だろうが聞かせてもらおうか」
「……NoAがなくなること。それは、ここで積み重ねた思い出がなくなる、ということですか」
「端的に言えばそういうことだね。思い出というのは単純な記憶やデータとは別の物だよ。その時抱いた感情は、その時だけのものだからね。人の心は千差万別。だから演算に答えは出ないのさ。NoAがなくなり、思い出がなくなる時、誰がどう思うかなんて本人にしか分からないんだから。……とは言え、君には分かってほしいものだね。ワタシたちが、ここを失った時に何を思うのか。ワタシからの課題だよ、石井くん」
「課題、ですか」
「ワタシたち電探がNoAを失った時に思うことは何か。その答えを見つけたまえ。その答えは君の成長に一役買うはずだ。それに、モノたちはすでにその答えに近づいているんだからね」
そう言って笑うリアさんの表情がどことなく、冷たく見えた。




