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女伯爵の華麗なる領地育成  作者: ryo-takagi
領地編
11/11

三年目・四

 シーラを見送った後。少し一人になりたくてもう一度、庭に出た。


 傾いた日が辺り一面を橙色に染めていた。

 屋敷から離れたガゼボに腰を下ろして、庭を眺めながら改めてさっきのシーラの話を思い返していた。

 

 本当ならジーンは三年で領地に戻ってくるはずだった。それが八年になったのは、お父様が私の気持ちを知っていたことと、何の関係もないのだろうか?

 もしあったとしたら……私は、ジーンに取り返しのつかないことをしてしまった。

 

 思考は唐突に中断させられる。私が『それ』に気付いたのは、ほんの偶然だった。


「誰かいるの?」


 近くで人の気配を感じて、鋭い口調で誰何した。返事はない。でも確信していた。この屋敷の者ではない誰かが、近くにいる。


「出てこなければ人を呼ぶわ」


 本当は確かめる前に誰かを呼んだほうがよかったのだろう。そうしなかったのは、隠れている者が私に害意はないと思ったからだ。

 害意があるなら私に気付かれる前に事に及んでいるはず。たぶん相手の方が先に私に気付いていたのだろうから。


「なぜおわかりに?」


 奥の繁みから姿を現したのは身軽ないでたちの若い男だった。両手には何も持っておらず、目立った武装はない。年は二十代半ばくらい。茶色の髪に茶色の瞳。街中にいれば目立たない服装に目立たない地味な風貌。

 もちろん見覚えはなかった。


「風の向きが変わったとたん、庭に漂う花の香りとは違う香りがしたのよ。この屋敷では覚えのない、知らない香りがね」


 これが違う場所なら気付かなかった。でも自分が生まれ育った家の庭で、使用人も私が当主となって以降、本当に限られた人しかいなくなっていたから。わずかに漂う覚えのない香りに違和感を覚えた。


「はぁ、しまったな。色々気を付けては、いたんですけどね。ほんの一瞬で気付かれるとは。やっぱりただのお嬢様じゃないですね」


 軽く頭をかいてそうぼやいた彼に、全く焦る様子はない。私を甘く見ているのか、それとも……私なんかに焦る必要がないほどの経験と実力があるのか。


「あなたは何者?」

「怪しい者ではないですよ」


 無断で侵入し、名乗らない時点で十分怪しい。

 当家は従兄殿の件からジーンの希望もあり、警護の騎士はそれなりの手練れをそろえている。その目をかいくぐって、ここまで侵入してきたのだ。

 目の前の男も相応の腕があると考えてよいだろう。今は私に害を加えるつもりはないらしく、距離を保ったまま観察するように私を見ているが……


 正攻法で攻めても落とせる気がしない。相手がごまかせない、何か明快な問いを。そうだ、もしかしたら。


「ダリルやアルマで私と筆頭執事のことを調べていたのは、あなた?」

「難しい質問ですね」

「どうして? 是か否で答えられるでしょう?」

「確かに俺と俺の仲間は、ある方の依頼であなたのことを調べていました。でもあなたと筆頭執事のことを調べている者は、また別にいるんですよ。だからあなたが言うそのダリルとアルマにいたヤツが、俺たちの仲間かどうかは、わからない。まぁ俺の仲間なら、俺みたいに見つかるような失敗はしないでしょうがね」

「別にいるって、どういうこと?」


 近づこうとすると、それを察した男は私と距離を取る。


「これ以上は勘弁してください、怒られますからね。これからは見つからないよう気を付けます。では」


 あっという間に元いた繁みに姿を隠した男を、慌てて追いかける。


「待って! あなたの依頼主って誰?」

「じきにわかりますよ」


 確かにそう聞こえたと思ったのに。私が繁みの陰をのぞき込んだ時には、その姿はもうどこにもなかった。辺りを探してみても、もう痕跡すら感じられない。

 

 これなら私に誰何された時、逃げることもできただろう。なのに彼は姿を現した。なぜ? 疑問は残るが、彼の依頼主については、さっきの会話からなんとなく想像がついた。


 彼は言っていた。『あなた』を調べていた、と。そもそも『あの方』が、私が前に想像した通りなら、ジーンを調べる必要なんてない。『あの方』はジーンのことはよくご存知のはずだし、知りたいのは私の領主としての資質なのだろうから。


 さっきの男のような人物を、簡単に使える『あの方』

 じきにわかる、というのは恐らく半年後。私が領主として相応しいか、最終的な判断が下される時。

 

 あの男の依頼主は恐らく、王太子殿下。


 そうなるともう一組。私とジーンを調べているというのは、一体誰? 見た人の印象では、そちらも確か王都からきたそれなりの立場の者らしいという話だったが。


「ご主人様」


 低い声で呼ばれ振り向くと少し離れてジーンが立っていた。


「日も暮れてきました。そろそろ屋敷にお戻りを」


 あの男がいなくなってから、ずいぶん長く考え込んでいたらしい。 

 いつの間にかすっかり日も落ちて肌寒くなっていた。肩を震わせる私に歩み寄ると、ジーンは用意していたショールを羽織らせる。


「ありがとう」


 さっきの男の話をしておかなければならないのだろう。でも今はシーラの話がまだ頭の中で整理できていなくて、ジーンとゆっくり向き合って話をする気になれない。


「戻りましょうか」


 それだけ言うと屋敷に向かって歩き出す。少しの沈黙の後、隣に並んだジーンが、ためらいがちに口を開いた。


「さきほどの茶会での話ですが、ご主人様は新たな学びの場に女性も、とお考えだったのですか?」


 さすがジーンだ。奥方や令嬢には伝わらなかった真意を、ちゃんとわかってくれている。


「ええ、そうよ」


 まっすぐ前を向いたまま、そう答える。 


「先日お話しした時は、そのようなことはおっしゃっていませんでしたが」

「そうだった? まだ漠然と考えていただけだから」

「なぜそうお考えになったのか、理由をお聞きしてもよろしいですか?」


また領主としての資質を試されている? ならばちゃんと答えなければ。意識をむりやり仕事に向けた。


「ユージンも知っている通り、私は決して優秀な生徒ではなかった。それでも教育の機会を与えてもらったおかげで、なんとか領主の務めを果たせるまでになれたわ。女性でも男性と同じ仕事をこなせるものもいる。そしてそんな優秀な人材が育てられれば、私やユージンの助けにもなってもらえるでしょう? だから……あっ!」


 意識を頭に集中させすぎて、足元が疎かになっていた。何かにつまづき大きくバランスを崩してしまう。転ぶ!

 反射的に固く目を閉じてしまったが、体が地面に転がることはなかった。


「お怪我はありませんか?」


 背中に回った大きな手。頬に当たるのは、見慣れた黒のジャケット。息が耳に触れるほど近い。 


 まるで抱きしめられるようにジーンに支えられていると自覚した時、顔が火を噴いたように熱くなった。

 胸が壊れそうなほど早鐘を打つ。偶然の事故とはいえ、この距離は近すぎる。


「ありがとう、大丈夫よ」


 顔を伏せたまま軽くジーンの胸を押し返しても反応がない。さっきの私の声、聞こえなかった? もう一度、今度はより強い力で離れようとしても、やはりジーンはぴくりとも動かなかった。

 互いの体温が伝わる距離は、心まで伝わってしまいそうで。焦ってさっきより大きな声でジーンに呼びかけようとするより先に、ジーンの声が耳元で響いた。


「ご主人様」


 私の背を支える大きな手に力が籠ったような気がした。

 

「私はもう、ご主人様にとって」

「スタイン殿、いらっしゃますか?」


 ジーンが何か言いかけたのと、屋敷の方から誰かの声が飛んできたのは、ほぼ同時だった。

 温もりはすぐに私から離れた。


「ご主人様は見つかったお連れする」

「了解しました。皆にも伝えます」


 恐らく警護の騎士だったのだろう。声の主が、遠ざかっていく気配がする。思い切って顔を上げると、そこにはいつもの筆頭執事のジーンがいた。


 夢から覚めたように、体の熱が引く。転びそうになったのを、支えられただけ。抱きしめられた気がしたのは私の勘違いか。そうよね、ジーンがそんなことするはずない。


「さっきは何を言いかけたの?」

「……茶会でも話題に上っていた例の方の件ですが、調査にもうしばらくお時間をいただきたく存じます」

「それはもちろん」


 エミリアを当屋敷に置くためにシーラたちから出された二つ目の条件――


 クアーク商会の新事業への協力のため、私はある人物の調査をジーンにお願いしている。その方は国外の方なので、ジーンの王都時代の人脈を駆使しても時間がかかることは元より承知している。

 でもさっきの流れは、そんな話ではないはずだ。


「それで、本当は何を言おうとしたの? ごまかされると余計に気になるわ」


 重ねて促すと、ジーンは少しの沈黙の後、ようやく口を開いた。

  

「秋にはご主人様の家督相続が正式に認められます。その時は少し、まとめてお休みを取られてはいかがでしょうか? ご主人様は近頃、働きすぎに思えます」


 そんな話でもなかったような。首を傾げながらも、私を心配しての話なので素直にお礼を言っておく。

 

「ありがとう。でも大丈夫よ。お休みの件は、落ち着いたら考えるわ」

「本当なら今すぐ休んでいただきたいのですが」

「それは無理よ。今はやるべきことがたくさんあるもの」

「承知しています。ですから」


 ジーンは躊躇うように言葉を切り、そのまま黙り込んでしまう。

 さやさやと吹く風が木々を揺らし、ジーンの漆黒の髪を揺らす。

 次の言葉を待つ間の沈黙が重い。今日のジーンはおかしい。

  

「続きは屋敷で聞くわ。戻りましょう。皆が心配する」


 自分から話を振ったくせに苦しくなって、強引に話を切り上げる。屋敷に歩き出そうとする私の背中に、ジーンの声が飛んだ。


「お休みを取られる時は、完全に仕事から離れられる場所……シビル湖の別荘に滞在されるのも、良いかと存じます」


 思わず振り返ってしまい、またジーンと視線がぶつかる。

 まっすぐ向けられた漆黒の瞳からは、何の感情も読み取れない。

 

 あなたはどういうつもりで、その地の名を口にしたの? 

 お父様とお母様の思い出がたくさん詰まった場所。

 そして……『陽だまりの日々』最後の場所。

 幸せな記憶しかないあの場所に、いまさら一人で行けるわけない。


 あなたがそれを、わからないわけないでしょう? それとも今日集まった奥方たちのように、結婚して、夫となる人と行けばいいとでも言うつもり?


 いけない。ジーンの何気ない一言で、こんなにも簡単に心乱され、感情をぶつけてしまいそうになる。諦めきれない、この想いのせいで。

 ジーンには何の責任もない。悪いのは私だ。はっきり拒まれたくせに、今も想いを断ち切れずにいる。もしかしたらこの一方的な恋心のせいで……


 ジーンは、マリーの最期に立ち会えなかったのかもしれないのに。


「ありがとう。私が休みを取るなら、ユージンにも休みをとってもらわないといけないわね」

「私はいいのです。ご主人様をお支えする以上の喜びは、ありませんから。とにかくお体には気を付けてください。無理はなさらぬように」


 筆頭執事としての気遣いの言葉も今は苦しい。頷いて、今度こそ屋敷に向かって歩き始めた。


 ただ想い続けるだけ。それ以上は望まない。そう言い訳してきたけれど、隠し切れないこの想いは周りに気付かれ、遠くない未来、またジーンに迷惑をかけてしまうかもしれない。

 

 もう二度と、同じ過ちは繰り返すまいと思っていたのに。


『ディー、大人になるって、そんなに悪いことじゃない。大人になれば僕は、ずっとディーの側にいられる。ディーを助けるためにね』


 ジーン、あなたはあの時そう言ってくれたけれど、やっぱり私は大人になんてなりたくなかった。

 優しいあなたと、ずっとあの『陽だまりの日々』の中にいたかったのよ。


 自分の気持ちにすら気付いていなかった、愚かな少女のままで。




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