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第4章:最後の境界線

自殺者救済組織「自救」の男との接触は、夜の、車の少ないパーキングエリアで行われた。

男は、国が運営するジサスの裏で、いかに多くの命が「システム」として処理されているかを語り、共に戦おうとさいに手を差し延べた。

だが、さいはその手を握らなかった。組織としての大きな動きよりも、自分の目の前にある、今にも消えそうな個人の命を汲み取りたい。それが、さいの譲れない一線だった。

自救と別れたその帰り道。

夜の帳が下りた街を、さいとなみは歩いていた。

さいのスマホの画面を、なみがじっと見つめている。なみの指先はスマートフォンの画面に映る、何かの謎解きアプリの文字列をなぞっていた。「星は夜を欺く」とか「3番目の影を追え」とか、そんな文字が見える。

「なみ、また謎解きか。それ解けそうなんか?」

さいが関西のなまりで聞くと、なみは急にスマホをポケットにしまい、顔を上げた。

空気が、一瞬で変わる。

(落ちる瞬間を見逃さないように)

なみの視線の先。

少し離れた場所にある、薄暗い街灯に照らされた公園。

そのベンチに、ひとりの少年と、ひとりの少女が並んで座っていた。

ハルと結衣だった。

ふたりの周りには、あの夜の電車で見かけた男や健一、蓮と同じ、独特の「世界から浮き上がった空気」が、濃密に渦巻いていた。ふたりが持つ、自提者としてのタイムリミットが、すぐそこまで迫っていることをなみの感覚が告げていた。

「……あの子たち、もう限界や」

なみが呟く。その声は、かつてないほど張り詰めていた。

さいは深く息を吸い込み、隣に立つなみの小さな肩をそっと見つめた。健一を救えなかった。蓮を救えなかった。その強烈な後悔と無力感が、さいの胸の奥で鋭く痛む。

(今度こそ、絶対に消えさせへん)

さいはコルセットを巻いた腰の痛みを堪えながら、一歩を踏み出した。

「なみ、行こう」

ふたりは静かに歩を進め、公園のベンチに座るハルと結衣の前へと立った。

ハルと結衣が、驚いたように顔を上げる。ふたりの手には、冷めかけた缶コーヒーと、コーンポタージュの缶が握られていた。

「夜分に、ごめんな」

さいができる限り穏やかな声で語りかける。

ハルは警戒するように眉をひそめ、結衣をかばうように少し身を前に乗り出した。

「なんですか、あんたたち」

「君らの持ってるその空気、僕らには分かるんよ。……ジサスに行こうとしとるやろ」

さいのストレートな言葉に、ハルと結衣の身体がびくりと強張った。お互いにジサスに通う自提者であることを知り、共感し、恋心を抱きながらも、お互いの死の決意を邪魔しないために、何も言い出せずにいたふたり。

「ほっといてください。俺たちは、これでいいって納得してる。どうせ、俺たちの代わりなんていくらでもいるし、こんな世界で生きている意味なんてない、死んで誰かの役に立った方がマシなんです」

ハルが自嘲気味に笑う。その言葉を聞いたさいの胸の奥の傷口から、血が流れるような痛みが走る。

さいはハルの目を真っ直ぐに見つめ、声を絞り出した。

「そんなわけないやろ」

その声には、ただ優しいだけではない、さいの強い信念がこもっていた。

「死んで誰かの役に立つために、今の自分を捨てるような真似は絶対にしたらアカン。君らは、今を生きてる自分の為の選択をするべきや」

さいの悲痛な叫びのような言葉が、夜の公園に響き渡る。

結衣は両手でコンポタの缶をきつく握りしめ、ボロボロと涙をこぼし始めた。本当は、死にたくなんてない。友達に無視され、居場所をなくして、ただ逃げたかっただけ。何より、隣にいるハルと一緒に、もっと生きていたかった。

ハルもまた、唇を噛み締め、うつむいた。

そこへ、なみが一歩、前に出た。

なみはすべてを見透かしたような目で、結衣とハルを交互に見つめた。

指示を出すように、静かに、けれど決定的な重さを持って言った。

「……無視はよくない」

だから、

「何年も先の話しじゃなく明日の話しをしよう」

その一言一言が、友達から無視され続けた結衣の心に、そして家族から存在を無視され続けてきたハルの心の最深部に、深く、深く突き刺さった。

「世界が君らを無視しても、私は君らを絶対に無視せんよ。君らが生きるなら、私とさいも、ずっとここにいるけん、明日何をしたいか一緒に考えよう」

なみの福岡なまりの言葉が、冷え切ったふたりの心を、コーンポタージュの熱のようにじんわりと温めていく。

ハルは隣で泣いている結衣の手を、ぎゅっと握りしめた。

結衣もその手を、壊れそうなほど強く握り返す。

お互いが生きていてほしい。一緒に、この苦しい世界を歩いていきたい。

ふたりの胸の内にあった本物の恋心が、自提という偽りの納得を完全に打ち破った瞬間だった。

「……俺、結衣と一緒に生きたいです」

ハルが涙を拭い、顔を上げた。その瞳からは、世界から浮き上がったあの独特の「死の空気」が、綺麗に消え去っていた。

さいは、そんなふたりの姿を見て、溢れそうになる涙を堪えながら、静かに、深く頷いた。ふたりの命が、最後の境界線を超えて、こちら側へと繋ぎ止められた。


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