第2章:不器用な選択肢
自動ドアが開くたび、冷たい空気と一緒に消毒液の匂いが鼻をくすぐる。
「自提サービスセンター」――通称、ジサス。
そこは、自ら命を絶つ代わりに臓器を提供する「自提」の手続きや、その後の処理を行うための無機質な施設だった。
高校2年生の結衣(ゆい・17歳)は、友達関係に完全に疲れ果て、うつむきながらそのロビーを歩いていた。
その時、すぐ横を一人の少年がすれ違っていった。
どこか世界から浮き上がったような、独特の虚無的な雰囲気。
結衣は思わず振り返った。
それが、家族関係に苦しむ同い年のハル(はる・17歳)との、最初のすれ違いだった。
*
その後も、通学路の駅前や、賑やかな交差点で、二人は幾度となく奇妙にすれ違った。
お互いに言葉を交わしたことはない。
名前も知らない。
けれど結衣は、夜の公園のベンチに、あの少年――ハルがぽつんと座っている姿を、何度も見かけていた。
彼はいつも暗闇の中で、世界のすべてを拒絶するような背中をして座っていた。
しかし、ある夜は違った。
今度は結衣の方が、学校のグループから完全に無視され、孤立してしまった孤独感に耐えかねていた。
いつもの公園のベンチ。膝を抱え、今にも消えてしまいそうなほど激しく落ち込んでいた。
その姿を、今度はハルが見かけることになる。
ハルは、いつも遠くから自分を見ていた彼女の異変に気づき、近くの自動販売機へと走った。
カサリ、と落ち葉を踏む音がして、結衣が顔を上げる。
そこには、あのベンチの少年――ハルが立っていた。
彼の両手には、買ったばかりの缶コーヒーと、コーンポタージュの缶が握られている。
「……どっちがいい?」
ハルはぶっきらぼうに、二つの缶を結衣に差し出してきた。
結衣はかすれた声で、小さく首を振る。
「どっちも嫌」
「しいて言うなら、どっち?」
ハルは引かなかった。食い下がるハルに、結衣は少し怪訝そうな目を向ける。
「……なんで、その二つを買ったの?」
ハルは少し視線を落とし、ぽつりぽつりと話し始めた。
「昔さ……俺が家に帰れなくて、この公園に一人でいたんだ。その時に、近所のおじさんが俺に気付いてくれてさ。この二つを出して、選ばせてくれたんだよ」
ハルの言葉に、結衣は胸を突かれた。
彼が抱える家族の悩みの深さが、その短い言葉から静かに伝わってきたからだ。
「へえ……」
結衣はハルの横顔を見つめた。
「それで、君はどっちにしたの?」
「俺? 俺は味なんてよくわからなかったけど……缶にコーンの絵があったから、コンポタにした」
ハルのその話を聞いて、結衣は少しだけ表情を緩め、ハルの手元を見た。
「……じゃあ、私はコンポタ」
結衣がそう言ってコーンポタージュの缶を手に取ると、ハルの手元には缶コーヒーが残った。
ハルは手の中の缶コーヒーを見つめ、カチリとプルタブを開けて、初めてそれを口にする。
「うわ……苦っ」
眉をひそめて顔をしかめたハルは、結衣を見て少しだけ笑顔になり、ぽつりと言った。
「初めて飲んだけど……これ、めちゃくちゃ苦いな。昔、コンポタを選んで大正解だったわ」
ハルの苦笑いにつられるように、結衣の凍りついていた心が、ほんの少しだけ解けていくのを感じた。
温かい缶を両手で包み込みながら、結衣の口元にも小さな笑みがこぼれる。
その夜をきっかけに、二人は夜の公園のベンチで、お互いのことを少しずつ話すようになった。
学校でのこと。
家でのこと。
放置され、否定され、誰からも無視されてきたこれまでのこと。
お互いがジサスに通う「自提者」であるということ。
「君も、自提なんだね」
「うん。でも、これで誰かが助かるなら、それでいいかなって」
同じ絶望を抱え、同じ「自提」という選択をしたからこそ、二人は誰よりも深く共感し合えた。
夜の冷たい風の中で、温かい缶を握りしめながら話す時間は、いつしか二人にとって、世界で一番愛おしい時間になっていく。
(生きて、この人とずっと話していたい)
胸の中に芽生えた確かな恋心。
しかし、二人はそれを口にすることができなかった。
お互いが「もうすぐ死ぬことを決めている自提者」であるがゆえに、この思いを切り出すことは、相手の決意を揺るがす我が儘のように思えてしまう。
共感できるからこそ、言えない。
そんな切なさが、夜の公園に静かに積もっていった。




