33.持ち込まれた希望
ロキ君が出てくると喋るか欠伸してるか寝てるかのどれかな気がしてきました。
今日もロキ君は元気です
医務室の扉をゆっくりと誰かが開けた。その影は音もなく部屋の中に入り込んでくると面会謝絶となっているクローの枕元へと立った。
人の気配を敏感に感じ取ったのか、寝ていたはずのクローがゆっくり目を開けた。
「やぁ、ロキ。元気にしてた?」
「まあまあだよ、クロー……なにやられてんのさ」
「ははっ……厳しいなぁ」
痛々しい傷を庇うようにしてクローは笑った。それを見てロキは無言でただ立ち尽くしていた。
何かを言うでもなく何をするでもなくただロキはクローの顔を見つめていた。
しばしの静寂。
その檻を破ったのはクローだった。
「ねえ、ロキ。俺は、どうだった?」
唐突な質問にロキは首を傾げた。
「なにが?」
「俺は、生きていても、よかった?」
「当たり前だろ。そうじゃなきゃ僕もルーファも……ボスも君を拾ってないよ」
クローの言葉にロキは間を置かずに返す。
その声は微かに震えていた。
「そっか……そうだよなぁ……それが聞けたなら、俺は幸せだなぁ……」
ヘラリと笑うクローを見つめながらロキはぼそりと「ゆるさないよ」と吐き捨てた。
それを見てもなお、クローはヘラリと笑い、ベットサイドに置いてあるチェストに目を向けた。
そこには着ていた血に塗れたジャケットが丁寧に置いてあった。
「ねえロキ。俺のジャケットの内ポケット、昔から、隠したいものを縫い付けていたあの場所に、メモリーカードがあるんだ。それを、上手く使ってほしいな」
クローはまたヘラリと笑う。その笑う顔は傷にまみれ、とても痛々しい。
ロキはその言葉にただただ首を横に振った。
「クロー、駄目だよ。まだ僕は君に勝ってない」
「ねえ、ロキ。いや、69。ありがとう、俺を連れだしてくれて、俺を、一緒に連れていってくれて」
突然の番号にロキは目を見開き、言葉を紡ぐことを止めた。
69。それは、かつて自分がいた研究所での認識番号だったからだ。ロキはどうにか言葉を紡ごうと口をパクパクと動かすが、声は一向に形にはなってくれなかった。
だんだん息が浅く、早くなる。
その姿を見てクローはゆっくりと手を伸ばし、ロキの手を掴んだ。
弱々しくもしっかりと掴まれた手をロキは同じように握り返し、目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
「クロー、まだだよ。まだこれからも君はここにいるんだ。まだいっぱい外の世界を見ないといけないんだ」
ようやく形になった言葉をクローに返す。クローは傷が痛むのも気にせず笑いかけ、掴んでいたロキの手をしっかりと握りなおす。
「69、この俺が、死ぬ気で手に入れてきた情報だ。有効活用しないと、許さない、からな?」
「クロー……イヨ、死んじゃだめだよ。まだ僕は君といっぱい話していたい」
イヨという名前にクローは目を見開いた。彼もかつて同じ研究所にいた被検体の一人だったのだ。
クローは次第に懐かしそうに目を細めると、包帯まみれになってしまった右手でロキの頭を撫でる。
「イヨ……懐かしい名前だな。ねえ、69。お前の番号から名前を貰ったりするような、単純な名付けだったのに、喜んじゃうような俺を、君はどう思った?」
「イヨ、単純じゃないよ。あの場で、あの場所で僕らは名前がなかった。そんな僕らが仮にとはいえ名前を付けられた。それがどれだけ嬉しかったか、君にもわかるだろ?」
研究所ではみな、名前なんてなかった。ただ物のように扱われ、呼べば来る使い勝手のいい動く肉人形のようにしか思われていなかった。あの場所で、虚無の中で生活を続けていた被験体たちにとって簡単にでも名前が付いた、ただそれだけでどれだけ嬉しかったか。
クローはわかっていると言わんばかりにゆっくりと頷き、ロキの頭を撫でた。
「わかるさ。だって俺たちはみんな名前がなかったんだから……なあ、ロック。わかるだろう?」
ロックと呼ばれたロキも同じように目を見開き、次第に懐かしそうに目を細めながら握る手に力を込めた。クローも同じように握り返してくる。
「……懐かしい、名前だね。わかったよ、イヨ。君が手に入れた情報は、僕が責任をもって使う」
「ありがとう、ロック。俺の私物は自由に使っていいからな?」
「そんなに荷物ないくせに、よく言うよ」
クローは基本的に屋敷街での活動が多い。そのため私室には最低限寝るためのベッドとスーツをかけておくためのクローゼットくらいしかないはずだ。
ひとしきりクスクスと笑ったあとクローは軽く息を吐き出すと真剣な眼差しでロキを見つめた。
それに気づいたロキも笑いかけながら返事を返せばクローはゆっくりと瞬きをすると同じようにゆっくりと口を開いた。
「ゆっくり、寝たいんだ。いいかな……?」
クローはそう言うとまたさきほどと同じように笑いかけた。その顔は穏やかで、全てを受け入れているようにも見えた。
ロキは少しだけ口を閉ざし、俯いたがすぐに顔を上げゆっくり頷いた。
「……わかったよ。ゆっくり寝な、イヨ」
ロキの言葉を聞き嬉しそうに微笑むとクローはロキの手をゆるりと放し、まっすぐ天井を見つめた。
また、しばしの静寂が訪れる。
部屋の中には医務室に備え付けられている時計のカチコチという音だけが妙に響いていた。そんな静寂の中、ふいにクローがぼそりと「いやだな」と呟いた。
何が?と返せばまっすぐ天井に向けられていた漆黒の瞳がゆっくりと傾き、ロキを映した。
「ロキ、俺、苦しいのは、いやだなぁ……」
その言葉にロキはゆっくりと右手を伸ばし、クローの頭を撫でた。頭も数針縫っていたはずだから傷口に触れないように髪を撫でるように。
何度か頭を撫でながらロキは微笑みながら頷いた。
「知ってるよクロー。もう、苦しいのは僕も嫌だもの……」
そう告げればクローも安心したように笑い、ゆっくりと目を閉じた。
「よかった、ロックがいるなら、もう安心だ……」
ゆっくりと撫でる手は止めず、開いている手でスウェットのポケットを探り中から小さな小瓶を取り出すと栓代わりのコルクをゆっくりと外した。
一度撫でるのを止め、その小瓶をすぐそばのチェストの上に置くとロキはゆっくりと立ち上がった。
「イヨ、向こうでミツヨ達によろしく伝えてね」
「……怒られる、だろうなぁ」
「うん、怒られるだろうね」
互いにくすくすと笑う。同じ場所で育っただけあってきっとこんな反応するんだろうな、と容易に想像できたからだ。ほぅ、と息を吐き出すとクローは懐かしがるような目で天井を見つめた。
「22、34、59、66……ずいぶん待たせちまったな……」
「大丈夫だよ、みんな優しいから。きっと怒らないでいてくれるよ」
そうだといいなぁ、と呟くクローにロキはそうだよ、と言葉を返した。
創造でしかないが、きっとこうだろうと二人で想像を膨らませる。
ニーニは兄貴風吹かせてしょうがないなぁって笑ってくれて、
ミツヨはホント貴方は駄目ね、って呆れた顔を見せてくれるし、
イツクは無表情ながらもそばに来てくれるだろうし、
ムムは……きっと泣いちゃうだろうけど、それでも最後には許してくれる。優しい子たちだよ。と。
しばらく話続けているとクローがゆっくり息を吐き出した。時計を見れば話し始めてもう結構時間が経っていたようだった。
ロキはそれに気づくとハッとし、クローの布団を数度叩いた。
「ほら、もう疲れただろ?喋ってないで寝なよ」
そう言えばクローも同じことを考えていたのだろう。ゆっくりと頷くとロキのことを見つめた。
「そうだなぁ……そうするよ……お休み、ロキ」
「……おやすみ、クロー」
言葉を返し、ロキは最期にもう一度クローの頭を数度撫でた。クローはそれを拒むことなく受け入れると心地よさそうにゆっくりと目を閉じた。
しばらく撫で続け、ゆっくりとした呼吸がクローから聞こえ始めたところでロキは撫でることを止め、枕元に置いてあったクローのジャケットを手にすると音を立てぬように静かに医務室を後にした。
「お休み、イヨ。あとは……僕に任せて」
様々な野草の香りが漂う扉が閉まる直前に一言だけ、そう言い残して。
* * *
ロキは情報処理室の扉を荒々しく開けるとすぐに自身専用のPCの前についた。
手早く起動をはじめ、残されていたメモリーカードをPCと同期させる。
ここに戻るまでの道中、クローのジャケットに縫い付けられていた隠しポケットを探しだしそこに隠されていたメモリーカードをすでに手にしていた。
席につくと同時にPCと同期させ、中を確認すればそれは複雑に暗号化された何らかの情報だった。暗号化されたデータの内部を確認し、ロキは画面の前で笑った。
「へぇ、すごい暗号だね。これが解けないと中が見られないし仮に違う組織の人間の手に渡ったとしても時間経過とともに徐々にここのパソコンに向かって情報が送られるようになってる……さすがイヨ……」
暗号化されたものはその法則性を知らないと解くことが難しい。これは簡単な暗号ではない。幼少期、研究所にいたころに作ったものだ。これを解けるのはロキとクロー、そしてルーファだけだろう。
デスクの上に置いてある紙をすべて床に落とし、キーボードの上に置いてあった髪紐を使って普段放置しっぱなしの髪をすべて集め、後ろで縛る。情報は魚と一緒だ。すぐに鮮度が落ちる。
鮮度の良いうちに、情報が新しいうちにすべての裏を取りまとめなければいけない。
「クローが戻ってきたのは今朝。あの状態まで追い詰められたうえ歩いてきたのなら最低でも三日は経っているはず……ここからは、時間との勝負、だね」
軽く首を回し、指を動かす。
キーボードに手を置き、大きく深呼吸。
――大丈夫、やれる。
ロキは目を見開くと素早くキーボードを打ちはじめ、暗号化されているデータの解析を始めた。
全てはバートンと、身命を賭してこの情報を運んだクローに報いるために。
ロキがキーボードをたたき始めて数時間が立った。暗号は思った以上に複雑化されており、解読に大分時間がかかっていた。
キーボードをたたき、メモをし、そのメモをまた床に投げ捨てることを繰り返す。それをせっせとロキの部下の一人、レオン・ランバートが拾い集めては暗号を解読するためのマクロを組み進めれば、部屋の中には複数人がキーボードを叩く音だけが響いていた。
そんな情報処理室の扉を誰かが荒々しく開けた。バアンと大きな音を立てたそれはロキ以外の人間の行動を止めるには十分だった。
「ロキ、あんた、なにしたの!!」
やってきたのはルーファだった。床に置いてある書類を一切気にすることなくずかずかと足を進めロキの横に立った。その顔は怒りからか真っ赤に染まっていた。
ロキはルーファが横に来たにもかかわらずただ黙ってキーボードを叩き続けていた。
「ロキ、アンタなにしてんのよ。なんであの薬をクローの枕元に置いたのよ!!」
「ル、ルーファ様、いまロキは集中モード入っちゃってて話聞こえてません……」
申し訳なさそうに告げるレオンをルーファは睨み付けて黙らせると再びロキのほうに向きを直す。
聞こえようが聞こえまいが言いたいことを言わないと気が済まないといった表情でロキに鋭い目を向けた。
「――クローの容体が急変したわ」
その言葉に一瞬だけロキの指の動きが鈍った。ルーファはさらに言葉を続ける。
「医務室入ってすぐわかったわ。あまりにも、あまりにも甘い香りが残ってたから。ねえ、ロキ。なんで?なんでなのよ!」
ルーファの叫びにロキはピタリと動きを止めるとただ一言
「それが望みだったから」
そう言ってまたキーボードを叩き始めた。
ルーファはしばらく何かを言いたそうに口を開いたり閉じたりを繰り返していたが、黙り込みそのまま情報処理室を出ていってしまった。
「ロキさん、いいんですか?」
「……ルーファなら意味わかってくれてる。と、思う」
レオンの問いかけにロキはボソリと返しながらまた同じようにキーボードを叩き続けた。
そしてその日の夜、クロー・ヴェルハウンドの訃報が屋敷全体に伝えられた。




