32.やってきた悪夢
時間はアベルがルーファの元を訪れる少し前に戻る。
門番の仕事に勤しんでいたザックは体を伸ばしながら大きく欠伸をした……ら軽く肩を叩かれた。
「何欠伸してんのよ」
「だってさぁ、レインもネインも興奮して寝かせてくれねえんだもん」
共に門番として立っていたレイ・ロットにため息をつかれた。女の身でありながらエイラと共に前線部隊に配属されているレイは本来ならば今日は休息日だ。だが、仕事へ向かう途中のザックを見てあまりにも眠そうな姿に同情し、話し相手として共に門番をやってくれていた。
再度欠伸をしたザックを見てレイは笑いを零した。
「パール兄弟はテンション上がると止まらないからねぇ」
「だろだろ?俺悪くないだろ?」
「それとこれとは話は別!」
だって、と言い訳をするもレイは先を分かっていたかのように言葉を返してきた。
前日は休息日のパール兄弟にあわせて遅くまでと好みの女について語りあかしていたせいか、やはり眠気が酷い。
だがこの場で寝れば自身の上司であるバルドルから鉄拳制裁を喰らうのは目に見えているしなにより、目の前にはレイがいる。バルドルに鉄拳制裁を喰らう前にレイに鉄拳制裁を喰らうだろう。
眠たい。されど寝れない。そんなジレンマに陥りながらザックは大きくため息をついた。
そんな時だった。
ため息をつくと同時に息を吸い込めば微かに鉄の匂いがした。
俯いていた顔を上げ、周囲に目を凝らせば同じように鉄の匂いに気が付いていたのかレイも自身の武器に手をかけ、周囲に目を凝らしていた
街のどこかで誰かがケガをしてその匂いがこちらに流れてきているならばいい。だが、もしこの匂いがこちらに、屋敷に向かってきているのならば……ザックは万が一を考えレイに声をかけた。
「レイ、お前は急いでパール兄弟を起こしてきてくれ」
「は?ザック何言ってんの。一人でいるより……」
「もし敵襲なら二人じゃ押さえられないし、敵襲じゃなかったとしたら人手が必要になる。だろ?」
ザックの戦闘スタイルは自身の武器であるマグナムとクレイモアに合わせた対多人数戦を得意とする戦法だ。下手に人がいれば巻き込んでしまう可能性もあるしなにより、レイを巻き込みたくないとザックは思ってしまった。
しばらく無言でいたレイだったがザックに引く気がないとわかるとため息をつき、自身の握りこぶしをザックの胸に当てた。
「万が一があると思うけど、何も言わないよ?」
「良いから行け」
ザックの返答を受け、レイは屋敷の中へ駆け出した。
パール兄弟は二階の端にある部屋にいる。身軽なレイならば往復するのにさほど時間はかかるまい。
閉まった扉の音を背中で聞きながらザックは徐々に強くなっていく鉄の匂いに顔をしかめた。
あまりにも匂いが強すぎる。こんなに鉄の匂いが強いならばすでに出血量は致死量を超えているのではないか?もしくは、それほどまでに誰かを手にかけたか。
ごくりと生唾を飲んだ。もし後者だったらはたしてこの場を守り切れるのだろうかと弱気にもなってしまう。
「……こんなこと言ったら、レイに笑われるな」
胸に手を当て、深く息をする。目を閉じてゆっくりと開けばその姿が見えた。
ふらふらと歩く姿は背が高い。男のようだ。男が近づいてくるたびに鉄の、血の匂いが強くなっていった。
胸元にしまい込んでいるマグナムに手を伸ばしながらザックは男に声をかけた。
「ここはバートンファミリーの屋敷。それを知ってのことか!名を名乗れ!」
男はその言葉が聞こえていないのかふらふらとした足取りでこちらに近づいてくる。
ザックは胸元にしまい込んでいるマグナムに指をかけた。
その時だった。
「ざ……く……やく……」
男が微かに声を上げた。その声は聞き覚えのあるものだった。
「ま、さか……」
ふらりと男のほうへ一歩足を進める。そんなことあるわけないという思いがザックの頭を占めた。
男はなおもふらふらとした足取りでザックに向かって近づいてくる。同じようにザックも一歩、また一歩と歩を進める。
「まさか、そんな……!」
再度声を上げるとザックは男の元へ走り出した。男は自身に気づいてくれたとわかったのかふっと微笑むとガクリと崩れ落ちた。
その身体をすんでのところでザックが受け止める。ザックのスーツが男の血で濡れた。
「クローさん、クローさん!生きてますよね!返事してください!」
体を揺さぶらないようにして声をかける。
クロー・ヴェルハウンド。
ロキ直属の部下であり、ここ最近は任務のため屋敷を離れていた男である。
ザックやパール兄弟たちに戦闘技術をたたき込んだ師であり、ザックのあこがれの人物であった。
何度も声をかければうっすらとクローの瞼が上がった。その目はすでに真っ赤に染まっていた。
「やぁ、ザック。ひさしぶり、だね?」
「クローさん、何があったんですか!何が……あんたをこんなにしたのは何ですか!」
「ちょっと、ヘマしてね。ボスは、いるかな?」
弱々しく笑うクローにザックは顔をしかめた。今はボスに会うよりも傷を癒してほしかった。
「そんなことよりあんたの傷を治すほうが先だろう!!」
そう叫びながら目に見える出血部位を持っていたハンカチで押さえる。
だが、傷は深く到底この程度で出血が止まるようには見えなかった。
「くそ、くそっ!」
学がない自分には今の現状できることがない。その悔しさから声を荒げていると背後の扉が強い音とともに開いた。急いできたのだろう、正装とは言えないとてもラフな恰好のパール兄弟が屋敷を飛び出してきたのだ。
二人ともザックの姿を確認しホッとするも、すぐに血相を変えてクローの名を叫んだ。
慌てだす兄を宥め、ネインが室内への誘導を行う。それに従いザックとレインがクローを抱えてエントランス部へと運び込む。
エントランスに入るがそこにネインもレイの姿もない。きっとレイは様々な部署へ走っているのだろう。そういう気がまわるやつだ。
先にエントランスの中に入っていたネインはリネン室からシーツを取ってきていたらしく、すぐに地面に二、三枚重ねて敷くとそこにクローを寝かせるように指示を出す。
クローを寝かせると動揺しっぱなしのレインが急に声を上げた。
「そ、そうだ、ネイン、お、おれ、ルーファさんを呼んで……」
「待てレイン!お前ら応急処置の知識あるだろ?クローさんを頼む!」
走り出そうとしたレインを呼び止め、ザックはネインの静止も聞かずに走り出した。
「嘘だろ!?ちょ、ザック!!」
叫ぶレインの声は走り去っていったザックには聞こえなかったようだ。
一切振り返ることもなくザックは走り去っていってしまった。
「うそだろ、そんな、応急処置って言ったって、どうしたら……」
レインは応急処置が苦手だ。曲芸師として活動していた時応急処置を間違えて使い物にならなくなった同業者を見てから応急処置という行為自体が苦手になっていた。
見てわかる程度に狼狽えている兄に向かって弟が来ていたジャケットを脱いで丸めると思いっきり投げつけた。急な身内からの攻撃に目をぱちくりしていたレインに向かってネインは叫ぶ。
「兄さんしっかりして!ここまで出血してると絶対に輸血が必要だ。兄さんはクローさんと同じ血液型の……いや、医療班のコーヴェルジュさんとメルマロンさんを呼んできて!絶対にファルタナ様が連れて来いっていうはずだ!」
「こーう゛ぇるじゅさんと、めるまろんさん?」
「イルメナさんとマルタさん!!急いで!!一緒にヴェルハウンドさんのカルテ!!」
「りょ、了解!!」
大慌てて駆け出した兄を確認するとネインはすぐにクローへと目を向けた。
出血がひどすぎる。仮に処置が間に合っても血が足りない可能性が大いにあるほどだった。
「ヴェルハウンドさん、最低限の止血をします。熱いでしょうが、耐えてください」
「だい、じょうぶ。思いっきり、やれ」
ネインはクローの言葉を聞き、頷くと普段から持ち歩いている小さなカバンからマッチとオイルを、そして腰に刺していたダガーナイフを取り出した。
* * *
エントランスは静寂に包まれていた。
ぐちぐちと何かをいじくる音とジュッという焼く音だけがエントランスに響いた。
野外活動用セットのランプとナイフを使い、傷口を焼いて止血していたのだ。
「ヴェルハウンドさん、もうすぐ最低限の止血は終わるから!ヴェルハウンドさん、声出して!」
「いき、てるから、早く止血、よろしく、な?」
「そう、その調子だよヴェルハウンドさん!すぐにファルタナ様も来てくれるから」
新しいシーツをナイフで裂き、心臓部に近い所を縛る。これ以上の出血を抑えるためにも強制的に流れを止めるしかない。
「ヴェルハウンドさん、感覚がなくなりそうだと思ったら早めに言って。すぐに外すから」
「大丈夫、だよ。報告するまでは、死ねない、から」
ヘラリと笑ったクローにネインは表情を歪めた。笑い方があまりにも何かを予感している様に見えてしまったからだ。
「ヴェルハウンドさん、弱気になっちゃだめだ。生きて俺たちにまたいろいろ教えてくれるんだろ?俺、まだヴェルハウンドさんから一本取れてない。取れるまで死なれちゃ困るんだよ!」
「そうよ、死なれちゃ私も困るわ」
ひらりとすぐ横に白衣が舞う。いつの間にかザックに連れられてルーファがやって来ていたようだった。
「ネイン、報告」
「はい。現在、レイン・パールに医療班のコーヴェルジュさんとメルマロンさんを呼びに行かせています。ヴェルハウンドさんのカルテも同時に持ってくるように言っているのでお二人ならば理解してくれるかと。また、深い傷は患部露出の後、心臓に近い所ですべて縛って仮止血してあります。軽く切ったり大きな血管を通っていない傷は私が手を出せる範囲で処置をし、傷口を焼いて止血しています」
「了解。それだけ聞ければ十分よ。ザック、持ってきたカバンをここに。ネインは私の助手に回りなさい」
「はい!」
てきぱきとクローの状態を確認し、ルーファは傷口の処置をしていく。体に深く刺さっていた弾丸もすべて的確に摘出していく。処置を始めてすぐレインが呼びに行っていたイルメナとマルタが合流し、すぐに三人態勢でクローの処置が始まった。
三人が揃ってからはすばやく、一時間もしないうちにすべての処置が終わり、クローは医療班の手によって医務室へと移動させられた。ルーファ曰く、少しでも処置が遅ければ危ない状態だったらしい。それでも、血を流しすぎたことに変わりはなく生き残れるかは半々だとルーファは語った。
全ての処置を終え、洗面所で血糊を落としているルーファの元へアベルが姿を見せた。
邪魔をしないように遠くからすべての様子を見ていたのだろう。寝不足も祟って憔悴しきった顔をしている。
「ルーファ、クローは……」
「順調、と言いたいけれど、きっと……」
「そうか……自室に戻る。何かあったら呼んでくれ」
アベルはそう言うとそのまま踵を返し、洗面所を出ていった。
ルーファは流れる水もそのままにアベルが去って行ってもなおその方向を見つめ続けた。
「……きっと、クローは彼に会えば満足するわ。だって、そういう子だもの」
ルーファの呟きは水と共に虚無の中に消えて行った。
独り言
まだボイドラの序盤も序盤だったりする……




