31.悪夢を散らすために
悪夢はまだ、始まったばかり
擬音であらわすならばトテトテが的確だろうか。ルーファは一人、とてとてと廊下を歩いていた。
一人よりも身長が低い分細々と足を動かす様はバートンに属する者からは可愛らしいと称されていた。もちろん、そう言ってルーファのことを侮っていた人間も多くいたがそのほとんどが自身が侮っていた人間に助けられることとなるなんて話は閑話休題。
ルーファは自身の仕事場である医務室へと向かっていた。
先ほどまで定期的にタトゥーを入れたがるエイラの精神鑑定(物理)を行っていたためかルーファは若干疲労感を感じていた。
「全く、無駄に屋敷を広くするんじゃないわよ……」
アザゼルであるエイラの部屋は普段、出張が多いため使わないからと三階に、そして医務室はいつ何があってもいいようにと立ち寄りやすい一階に作られていた。
ルーファにとって、一階から三階という距離は苦痛である。
いくら身体は小さく10代と同じくらいだとは言え、精神的にはすでに高齢の域に達している。
いつまでも子供のようにはしゃげると思ったら大間違いだ。
ぶつくさと文句を吐き出しながら階段を下り切るとすぐに医務室の前に人影があることに気が付いた。
小柄ではあるが女性ではない。
誰か面会の約束があっただろうか?そう考えながらルーファは医務室のほうへ向かうとすぐに来客が誰なのか理解できた。
「あら、ボス。今日は何の御用で?」
声をかければ医務室の前にいた人物、アベルがこちらを振り返った。
あからさまに狼狽えた様子を見せたことからあまり人に見られたくなかったらしい。
「よぉ、ルーファ。ちょっといいか?」
周囲を確認しながらそう言うアベルにルーファは素早く医務室の鍵を開け、中に案内した。
扉を開ければ二つ並んだベットの一つはカーテンが閉まっており、誰かが寝ているようだった。
そう言えばクロナが体調が悪いと寝に来ていたな、と思い出し寝ているのを起こさないようにしようと物音を立てないようにゆっくりと医務室の中へ身を滑らせた。医務室の中に一歩足を踏み入れれば独特な薬品の香りが鼻につく。
「ボス、適当に座って。飲み物は……ホットミルクでいいかしら?」
「……おう、頼む」
「あらあら、重傷ね……」
から返事を返すアベルにルーファも困ったように笑みを返した。
なるべくリラックスできるものを用意しようとルーファは隠してあったお高いはちみつを取り出すとホットミルクの中に少しだけ入れた。
もうずいぶん前からアベルは不眠で悩まされている。
理由はわからない。夢を見ていた気がするとはいつも本人から聞かされるが、それがどういったものなのか一体何が原因なのかはルーファにも未だわかっていなかった。
アベル本人が不眠以外特に気にしていないというのもあるが、医者としてルーファはどうしても理由が気になってしまっていた。
ルーファはコーヒーとホットミルクをテーブルの上に置くと、アベルの対面のソファに座った。
「ねぇ、ボス。理由って思い当たらないの?」
「前も言っただろ。特に理由が見つからねえから困ってるんじゃねえか」
「それはそうだけど……」
ルーファは黙ったままコーヒーカップを見つめた。
人間は簡単に壊れる。怪我をしても病気をしても食事をしなくても、寝なくても。
それを理解しているからこそルーファは不安で仕方がなかった。
――いつか、アベルが死んでしまうのではないか。
そう思ってしまう。
そうしないように自分がいるというのに。
「ルーファ」
「えt!?あ、な、なにかしら?」
「いつもの頼むわ。さすがに寝たい」
目頭を押さえながらそう言うアベルにルーファは少し首を傾げながら口を開いた。
「……ちなみに今何日目?」
「……三日目」
「嘘はいけないわよ、ボス?」
そう言えばアベルはしばらく黙った後、「二週間」と答えた。
「はぁ!?二週間って……!もっと早く来なさいよ!!」
「しょうがねえだろ!ユダもカルマも仕事から離してくれねえんだよ!」
「仕事ため込むからでしょうが!!」
「うっ……だって、書類とか、めんどくさい……」
口をとがらせ、そっぽを向きながらブツブツと文句を言うアベルを見ながらルーファは再度頭を抱えた。
どうしてこうもうちのボスは仕事と名がつくものが嫌いなのか。
思わずため息が零れた。
ルーファはゆっくりと立ち上がるとデスクの奥にある棚から複数の錠剤を取り出すと種類ごとに分け、袋にしまった。
「はいこれ、いつものよ。しっかり三食食事をとって飲むこと。いいわね?」
薬を渡すとアベルはその場で数え始め、しばらくすると首を傾げた。
「……なんか、足んなくねぇ?」
「いつも胃が荒れるーって言って無駄に薬増やしてるからよ。きちんと食事してから薬飲めば胃は荒れないように調合しなおしてるから安心しなさい」
「……わかった」
「その返事分かってないでしょ?」
「わ、解ってるって!」
ほんとかなぁ、とルーファはニヤニヤすると子供のように頬を膨らますアベルを見て微笑ましそうな目を向けた。
アベルのことは子供のころから知っている。彼の幼い頃を知っている人間からすればアベルはまだまだ子供なのだ。ルーファは変わったようで変わっていないその姿を見て少し、安心した。
先ほど入れたコーヒーを少し口に含むとルーファはふと書類のことを思い出した。
以前、バルドルの部下から届いた薬品使用許可を求める書類。その中に普段は使わない薬品が数個入っていることを思い出したのだ。あれは、睡眠薬の類ではなかったか?
「そう言えばボス、聞きたいことがあるんだけど」
「なんかあったのか?」
「だいぶ前なんだけど……」
途中まで口を開いたルーファが急に口を閉じ鋭い目で扉の外を見つめる。
よく聞けばどたどたという走る足音と共に強い匂いが近づいてくる。
血の、鉄の匂いだ。
「足音に重量感がある、小柄な人間じゃない。つまり大柄な男性、けどこの足音はバルドルのものじゃない……ボス、万が一を考えて下がって」
「ああ……表も騒がしいな、トラグス……いや、他の連中のほうが現実味があるか」
ルーファはアベルを自身が守れる間合いの中にいれると警戒を緩めぬまま自身の手首に武器となる専用のワイヤー射出機を巻き付けた。それと同時にいつでも射出できるようにストッパーを外す。
足音が近づき、目の前で止まった。
足音の主は律儀にノックしたかと思うと返事を待たずに「失礼します!」と声をかけ扉を開けた。
足音の主の姿はよく知ったものだった。
「失礼します!!ファルタナ様いらっしゃいますか!」
「ザック、くん?え、どうしたのそんな、血塗れじゃない!」
扉を開けたのはバルドルの部下、ザックレー・カルトランドだった。
最近買い換えたはずのスーツは血に塗れ、使い古したかのように汚れている。
「ボスもここにおいででしたか、よかった……ファルタナ様!クローが、クローが重傷で帰ってきた!すぐに来てほしい!!」
「なんですって!?」
「なんだって!?」
ザックの言葉に二人はそろえて声を上げた。
クロー・ヴェルハウンド。ロキ直属の部下であり、ここ最近は任務のため屋敷を離れていた男である。
結構な実力者であり、武器のない素手での戦いならばアザゼルに次ぐ実力の持ち主だった。
その実力者が血塗れで戻ってきたなどと信じられなかった。
「ザックレー、詳しく話せ」
「詳しくはしっかりと報告します!まだ息があるんだ!ファルタナ様、急いで!」
声を荒げるアベルとザックを止めるようにルーファが声を上げた。
「ボス、今はクローを生かすために動くわ。いいわね?」
「わかった。ルーファ頼むぞ」
アベルの言葉にルーファはニヤリと笑うと話をしながらまとめていたカバンをザックに向かって投げつける。ザックは慌てながらも落とすことばくカバンを受け取った。
「了解!!ザック、その荷物と私を担いで急いで向かいなさい。向こうについたら医療班のイルメナとマルタを連れてきて!」
「すでにパール兄弟に頼んでます!ネインならそこまで頭が回るはずです!」
「わかったわ、呼ぶように指示飛んでなかったらぶっ飛ばすわよ!」
ルーファは手慣れたようにザックの肩に飛び乗るとすぐに合図を出し、ザックを走らせる。
アベルもルーファが持ってこいと言わんばかりに置いて行った残りのカバンを手に後を追い始めた。
「一体、何が起こったんだ……!」
まだこれは、始まりでしかなかった。




