第八話:勘違いの逆輸入と、飯盒とゴブリンの協定
勇者は引きつった顔のまま、握りしめた剣を地面に落とした。
硬い岩肌に金属がぶつかる鋭い音が、狭い洞窟の壁に何度も反響する。
冷え切った空気が、その音だけで切り裂かれたかのようだった。
「お、おい……何なんだ、あれは」
魔法使いの青年が、小刻みに震える指先をこちらへ向けた。
彼の背後では、鎧の隙間から赤い血を滲ませた戦士が、息も絶え絶えに横たわっている。
浅い呼吸を繰り返すたびに、胸当てが小さく上下した。
彼らの目には、私がゴブリンの軍勢を背後に従える、何か邪悪な存在に見えているのだろう。
私のすぐ後ろでは、緑色の肌をした不気味な生き物たちが、一列に並んでいる。
その口元は白く汚れ、一匹残らず目を血走らせていた。
手には、ちぎれた鰹節の破片がいくつか付着している。
彼らの視線は、私の手元にあるアルマイト製の四角い容器に釘付けだった。
「怪我がひどいですね。動かないでください」
私は腰のベルトから飯盒を外し、ゆっくりと地面に置いた。
金属が擦れるかすかな音に反応して、先頭の大きなゴブリンが素早く動く。
無理もない。
私の後ろには、おにぎりを口いっぱいに頬張ったゴブリンたちが、目を血走らせて整列しているのだから。
「ギギッ!」
一匹のゴブリンが素早く動き、私の代わりに蓋を開ける。その従順な態度を見て、勇者たちが一斉に息を呑んだ。
「ひぃっ……! 魔物を手懐ける高位の召喚術師か!?」
「違いますよ、ただの料理人です」
私は苦笑しながら、飯盒の中に残ったおにぎりを取り出した。まだ微かに温かい。
鰹節の香りが、血生臭い空気の漂う空間に広がっていく。
勇者の鼻裂がぴくりと動いた。
三日間の絶望と飢えは、彼らの理性を限界まで削っていたはずだ。
「それを……どうするつもりだ。俺たちを呪う薬か?」
「ただのご飯です。お腹が空いているでしょう」
私は一歩踏み出し、勇者の目の前に白い三角を差し出した。
勇者は警戒の目を崩さなかったが、おにぎりから漂う出汁の香りに、生唾を飲み込む音が聞こえた。
「だ、騙されんぞ……」
「毒は入っていません。ほら、この子たちもこんなに元気ですし」
後ろを振り返ると、リーダー格のゴブリンが「早く食え」と言わんばかりに、自分の胸をドンドンと叩いていた。
その目は、早く次の米を炊けと私を急かしているようでもある。
勇者は覚悟を決めたように目を閉じ、おにぎりを受け取った。
そして、泥のついた手でそれを口へと運ぶ。
「――っ!?」
一口齧った瞬間、勇者の目が大きく見開かれた。
「何だ、この旨味は……! それに、この中心にある赤いものは……!」
「梅干しです」
酸っぱさに顔を歪めながらも、勇者は猛烈な勢いで残りを口に押し込み始めた。
噛むたびに、彼の青白かった顔に赤みが戻っていく。
「おい、嘘だろ……。傷が、癒えていく……?」
寝そべっていた戦士が、信じられないといった声を漏らした。
勇者の体から、微かに白い光が立ち上っている。
ただの塩分とクエン酸の補給なのだが、極限状態の肉体には、それがどんな回復魔法よりも劇的に作用したらしい。
「す、凄い……。魔力が満ちてくる……」
魔法使いも、残されたもう一つのおにぎりを奪い合うようにして食べ始めた。
ゴブリンたちは、その様子をじっと見つめていた。
一触即発の空気が、おにぎりという奇妙な媒介によって、急速に弛緩していく。
「さあ、動けるようになったら、ここを出ましょう」
私は立ち上がり、ゴブリンたちに向き直った。
「みんな、この人たちを出口まで運ぶのを手伝って」
ゴブリンたちは不満げに「ギギ」と鳴いたが、私が飯盒を叩いて「戻ったらまた作りますから」と言うと、一斉に背筋を伸ばした。
彼らは負傷した戦士を、まるで高級な荷物を扱うように慎重に担ぎ上げる。
「本当に……俺たちを助けてくれるのか?」
勇者がまだ信じられないという風に私を見た。
「もちろんです。お弁当は、みんなで食べるから美味しいんですよ」
私は微笑み、暗い洞窟の先にある出口の光を目指して歩き出した。




