第七話:白羽の矢と、ピクニックの終わりの大惨事(後編)
カチャカチャと小気味よい音を立てて、私は手際よく『飯盒』でお米を炊き上げた。
薄暗い洞窟の中に、ふっくらとしたお米の甘い香りが優しく広がっていく。
「ギギッ……!?」
「ガウ……!」
さっきまで殺気立っていたゴブリンたちが、まるで実家の母の料理を待つ子供のように、大鍋、じゃなくて飯盒の周りに身を乗り出してきた。
緑色の鼻をヒクヒクさせて、完全に匂いに釣られている。
「はい、ちょっと待ってね。今、凄く美味しいのを作ってあげるから」
私は炊き立ての熱々のご飯を手に取り、じいちゃん直伝の『鰹節』をこれでもかとまぶした。
そして、その中央に、我が家秘蔵の真っ赤な『梅干し』をそっと仕込む。
きゅっ、きゅっ、と手際よく三角に結べば、ルリ特製おにぎりの完成だ。
「はい、どうぞ! よく噛んで食べてね!」
私は差し出した皿の上に、コロンと白い塊を置いた。
ゴブリンたちは一瞬、見たこともない『おにぎり』に警戒の色を見せたが、空腹には勝てなかったらしい。
一番大柄なリーダー格のゴブリンが、恐る恐るそれを掴み、バクリと大きな口で葬り去った。
「…………ギギ?」
最初は、お米の甘みと鰹節の旨味に、呆然とした顔を浮かべていた。
しかし、その牙が、中央の『梅干し』に達した、その瞬間――。
「ギ、ギギギギィィィィィッッッ!!!???」
ゴブリンのリーダーは、全身をビクンと硬直させ、ガタガタと激しく震え出した。
(ひゃいっ!? やっぱり怒らせちゃった!?)
私が慌てて後ずさりする中、ゴブリンは両手で自分の顔を覆い、酸っぱさのあまり目を限界まで見開いて、ボロボロと涙を流し始めた。
「ギガァァァッ! ギギ、ギウゥゥ……ッ!!」
周囲のゴブリンたちが「兄貴が毒殺された!?」と色めき立つ。
だが、違った。
リーダーの体から、目に見えるほどの凄まじい緑色の魔力オーラが、ドガバキィィン! と爆発的に噴き出したのだ。
「ギ……ギギッ!!(な、なんだこの強烈な酸味と塩気は……っ!? 口の中に唾液と魔力が怒涛の濁流となって溢れ出し、旅の飢えと疲労が一瞬で吹き飛んでいく……!)」
(※ただのクエン酸効果と塩分補給です)
「ギガッ……!(それだけではない! この中央の血のように赤い果実は、戦士の闘志を限界突破させ、細胞を強制覚醒させる『狂戦士の秘薬』か! スプーン、じゃなくて手が、手が止まらん!)」
リーダーは狂ったようにおにぎりを貪り食うと、真っ赤な顔で天を仰ぎ、雄叫びを上げた。
「ギギィィィーッッッ!!!(もっと、もっとあの赤い秘薬を寄こせぇぇ!)」
十匹以上のゴブリンたちが、一斉に私にすがりつき、物乞いをするように両手を激しく突き出してきた。
その瞳には、私への敵意など微塵もなく、ただ『神の果実』を渇望する狂信者の光が宿っている。
(う、上手くいった……のかな? でも、ただで あげるのは もったいないよね)
ここで、私は歩いて三日間の疲れで麻痺した頭をフル回転させ、腰に手を当てて胸を張った。
「もっと食べたい!? いいですよ! でも、交換条件です!」
「ギギッ!?(条件だと!?)」
「この奥に、動けなくなっている人間のパーティーがいるはずです。その人たちに手出しをしないで、私と一緒に無事にここから逃がすと約束してください! そうしたら、このおにぎりをみんなの分、お腹いっぱい作ってあげます!」
ゴブリンたちは一瞬、信じられないものを見る目で私を凝視した。
「ギギ……(あの奥の瀕死の人間どもと、この至高の魔力バフ食材が引き換えだと……!? 奴らはただの硬い肉、だがこれは国を揺るがす神の果実!)」
「ギガッ!(交渉成立だ! むしろこっちが得をしすぎて申し訳ないレベルだ!)」
ブンブンと激しく首を縦に振るゴブリンたち。
こうして、前代未聞の「おにぎり休戦協定」が、一瞬で結ばれたのだった。
「よし、みんな並んで! 順番に作っていくからね!」
それから一時間後。
洞窟の最奥、冷たい地面に倒れ伏し、「もうダメだ、ここで全滅か……」と涙を流して絶望していた高ランク勇者パーティーの前に、奇妙な足音が近づいてきた。
ペタペタという軽い足音。
そして、それを囲むように、地響きを立てて進軍する無数のゴブリンの足音。
「くそっ、ここまで群れに囲まれては、万事休すか……!」
勇者が最後の力を振り絞って剣を構えた、その時。
暗闇から現れたのは――大量のゴブリンの群れを従え、腰に飯盒をぶら下げた、一人の薄汚れたエプロン姿の少女だった。
「お待たせしましたー! お弁当持ってきましたよー!」
「ゴ、ゴブリンを完全に支配下に置いた、最強の黒幕……だと……!?」
救われたはずの勇者たちが、そのあまりに規格外(?)な光景に、恐怖でガタガタと震え上がるのを、私は「怪我で震えてるんだ、可哀想に」と、ただただ微笑ましく見つめるのだった。




