第十四話 峠の麓と、森の拾い物
ルリは馬車の揺れに身を任せながら、今夜の献立に思考を巡らせていた。
商隊はいつしか、昼なお薄暗い深い森の中を進んでいる。
「ちょっと、止めて下さい」
木々の隙間に“ある物”を見つけたルリは、すかさず御者へ声をかけた。
「いいもの見つけたんで、取って来ます!」
ルリの言葉に従い、彼女の乗る馬車がその場に停まる。
それからしばらくして、ルリは何か大きな塊を抱えるようにして戻ってきた。
「ありがとうございます。よいしょ……」
持ってきたものを後方の荷台へと積み込むと、ルリは御者に礼を述べていつもの指定席へと腰を下ろした。
気づけば、商隊の他の馬車は遥か先を進んでしまっている。
「少し飛ばすよ」
御者はルリにそう告げるなり、手綱を握り直して馬に鞭を振るった。
ここまで全体の行程自体はいたって順調に推移している。
翌日には、この旅の最難所とされる『パラス峠』越えが控えていた。
この日の野営地は、その峠の入り口に設定されている。
辺りは岩や小石がゴロゴロと転がる、草木もまばらな乾燥した土地だった。
その岩壁の一角に、ぽっかりと口を開ける洞窟がある。
内部は広い空間になっており、かつてここを通ったであろう旅人たちが残した、いくつもの野営の跡が刻まれていた。
隊長のペドロは洞窟の入り口に立ち、少し遅れてくるルリの馬車をじっと待っていた。
「どうした、遅れんなよ……」
誰に聞かせるでもなくそう呟きながら、ペドロは過酷な峠越えを前に、隊列が乱れぬよう静かに神経をとがらせていた。
馬の手入れを終えた老剣士たちは、残りの時間を思い思いに過ごしていた。
ルリはさっそく夕食の準備に取りかかろうと、馬車から調理道具を引っ張り出し、洞窟の中へと運び込もうとする。
彼らの前を通りかかったルリが、親しげに声をかける。
「すぐにご飯の用意をしますからね」
二人の老剣士は、言葉の代わりに揃って片手を上げ、期待を込めた笑みを返した。
しかし、そのうちの一人が洞窟を見て顔を引きつらせる。
「……隊長」
「なんだ?」
「まさかとは思うが」
老剣士の視線の先。
ルリは鍋や七輪を抱えて洞窟へ向かっていた。
一瞬の沈黙。
次の瞬間
「ルリちゃーーん!!」
ペドロは全力で駆け出した。
「ルリちゃん! 洞窟の中は煙が籠もるから! 調理は外で、絶対に外でやってくれ!」
必死の形相で懇願するペドロに対し、ルリは「おや?」と小首を傾げ、ほんの少し間を置いて考え込んだ。
そして、何事もなかったかのようににっこりと微笑む。
「そうですね。じゃあ、外で作ります」
言うなり、ルリは洞窟の入り口近くの地面に、ゴトゴトと道具を並べ始めた。
(昼間のクサヤを、あんな密閉空間で焼かれてたまるか……!)
ペドロは、商隊の全滅という最悪の事態を間一髪で回避できたことに、胸の内で深く、深く安堵の息を漏らすのだった。
山の日暮れは、驚くほど速い。
つい先ほどまで赤く染まっていた空は一瞬にして闇に呑まれ、夜の帳が下りていく。
洞窟の入り口近くでは、七輪に乗せられた鍋がグツグツと心地よい音を立てて煮えていた。
やがて、その湯気とともに素朴な香りが、洞窟の内部へとゆっくり流れ込んでいく。
クンクンと鼻を鳴らし、その匂いを嗅いだ男たちは、一様にホッと胸をなでおろした。
(強烈な“あの薫り”じゃない……!)
安全だと確信した瞬間、張り詰めていた緊張が解け、全員の腹が急激に鳴り響き始める。
その頃、洞窟の中央では、大きな地図を囲んで明日の予定の確認が行われていた。
最難所であるパラス峠をどう超えるか、真剣な議論が交わされているところへ、入り口からルリがひょっこりと顔を出した。
「お待たせしました、出来ましたよ!」
「いやー、やっと食える!」
「おい、まずは地図を片付けろ。場所を空けるんだ」
ルリの声に、男たちは現金なもので、慌てて地図を巻き取り始める。
洞窟内は一気に、夕食を待ち侘びる賑やかな空気へと塗り替えられた。
ルリは一人分ずつ、丁寧に料理を洞窟内へと運び入れる。
「今夜は、煮ジャガとご飯です!」
配られた器を見て、一同は顔を見合わせた。
ただのジャガイモだった。
肉もない。
魚もない。
変な色もしていない。
湯気も普通。
匂いも普通。
見れば見るほど普通だった。
沈黙。
そして。
「……食べていいのか?」
「多分な」
「罠じゃないよな?」
「ジャガイモだぞ」
ペドロが一口食べる。
「うまい……普通にうまい」
「え? ジャガイモですよ?」
不思議そうな顔をするルリ。
一同は思わず顔を見合わせた。
「良かった……!」
「生きて帰れる!」
「鼻が無事だ!」
「今日は眠れそうだ……」
そこに盛り付けられていたのは、ニ個のジャガイモを湯で茹で上げただけという、究極にシンプルな代物だった。
ルリの実力は、本来この程度である。
正直なところ、期待外れ感は否めない。ご馳走を期待していた男たちの肩が、わずかに落とされる。
しかし――誰からともなく、小さく苦笑いが漏れた。
豪華さには程遠いが、何よりも「安全」で、安心して口に運べる料理だ。
パラス峠を前にした最後の夜、商隊の面々は、その素朴な温かさに深く感謝しながら、静かにスプーンを動かし始めるのだった。
男たちがそれぞれの器を綺麗に空け、満足げに息をついていたその時だった。
彼らの食事風景を満足そうに眺めていたルリが、不敵な笑みを浮かべた。
「へへへっ、今夜はなんと、デザートもありまーす!」
ルリは得意満面になって、重大発表を告げる。
「とっても美味しいフルーツです! あと、私が前におじいさんから聞いた、とっておきの隠し味もプラスしておきました!」
そう言い残すと、ルリは弾むような足取りで一度洞窟の外へ出た。
そして、大皿に山盛りにされた野イチゴとブルーベリーを恭しく運び込んできた。
しかし、皿がテーブルに置かれた瞬間、商隊一同の視線は一箇所に釘付けになった。
全員の気になる点が、見事なまでに一致したのだ。
(……えっ、何かかかってるぞ、あれ)
先ほどのクサヤの一件もあり、食事の前の安全確認は、すでに彼らにとって絶対の教訓となっていた。
ずらりと男たちの前に並べられた大皿。
彼らは揃って顔を近づけ、その「隠し味」の正体を確かめようとした。
――そして次の瞬間、一同の顔からサーッと血の気が引いていった。
果実の赤と青を覆うように、異様なまでに濃厚な、見たこともない色合いの蜜がたっぷりと回しかけられていたのだ。
隊長のペドロが、引きつった笑みを浮かべながらルリに尋ねる。
「ル、ルリちゃん……この、フルーツの『上』にかかってるのは、一体なにごとかな?」
ルリは満面の笑みで即答した。
「あっ、それね! ハチミツですよ。死んだおじいさんから、ハチミツの栄養価は最高だって聞いていたから、たっぷりとかけておきました!」
ペドロの額に、嫌な汗がにじみ出る。
「……それって、何のハチミツだい?」
「知らないです……。けど、すっごく美味しそうなハチミツですよ」
悪びれもせず答えるルリに、ペドロは嫌な予感を抱きながらさらに踏み込んだ。
「もしかして……さっき森で取ってきたっていう、大きな物って……」
「そうです!」
「その……蜂の巣、ちょっと見せてくれないか?」
「はーい、いいですよー」
ルリは軽い調子で承諾すると、馬車の荷台へと蜂の巣を取りに走った。
そして、すぐに両手で抱えて戻ってくる。
ルリが差し出したその巨大な蜂の巣を一目見た瞬間、ペドロの目は限界まで見開かれた。
ルリが差し出した巨大な蜂の巣。
ペドロは一瞬固まった。
次の瞬間。
巣の表面に刻まれた、拳ほどもある六角形の巣穴が目に入る。
そして、その奥に残された黒と黄色の巨大な体毛。
間違いない。
キングミツバチの巣だった。
彼はすぐさま振り返り、洞窟内に響き渡る声で怒号を発した。
「全員、直ぐに出立だ! 荷物をまとめろ、支度を急げッ!!」
「ええっ!?」
あまりの急転直下に、ルリは小首を傾げて目を丸くする。
そんなルリの肩を掴み、ペドロは血相を変えて説明を始めた。
「ルリちゃん、『キングミツバチ』って、知ってるか!?」
「えっと……何回教えてもらっても、私、覚えきれなくって……」
「キングミツバチはね、凄く獰猛で、人をも襲うめちゃくちゃ怖いハチなんだよ!」
獰猛、という言葉に、ルリは昔ハチに激しく刺された痛い過去を思い出し、ぶるりと身震いした。
しかし、ペドロの警告はそれだけで終わらなかった。
「それとね……この蜜は『ジャイアントベア』の大好物なんだ! あいつらは、このハチミツの匂いを、なんと三キロ先からでも嗅ぎ分けると言われてるんだよ!」
「えっ……! た、大変っ!!」
パラス峠の入り口に、ルリの悲鳴がこだまする。
乾燥した夜の風に乗って、甘い匂いが闇の奥へと拡散していく中、商隊は狂ったような速さで夜逃げの準備を始めるのだった。
「頼むから来るな……」
ペドロの祈りである。




