第十一話 風が止まった夜、干物を焼いただけなのに
冒頭の鐘が鳴り響くギルドのロビーで、ルリは手渡された依頼書をじっと見つめていた。
新たな指令は、隣国の王都へと向かう商隊への随行。
そして、彼らの旅路を支える料理人としての腕を振るうことだ。
今回の商隊の顔ぶれは、経験豊富な隊長のペドロ。彼を筆頭に、旅の安全を守る年老いた二人のベテラン護衛剣士。
そして、品物を売りさばくために同行する三人の商人たち。
総勢六人の男たちの胃袋が、これからの旅の間、ルリの双肩に預けられることになる。ルリに割り当てられた定位置は、一番後ろを進む荷馬車だった。
「よし、まずは何よりも食材の確保ね!」
ルリは気合を入れ直すと、支給された予算の入った革袋をしっかりと握り締め、活気あふれる朝市へと足を向けた。
翌朝の市場は、昇ったばかりの太陽の光を浴びて、すでに多くの人々で賑わっていた。
ルリは馬車を引く御者にも手伝ってもらいながら、まずは日持ちのする根菜類や、旅の定番である干し肉、そして各種の調味料を次々と買い求めていく。
カボチャやジャガイモ、玉ねぎといった重量のある野菜が、一番後ろの馬車の荷台へと次々に積み込まれていった。
「次は、何か少し変わった食材でもあればいいんだけど……」
市場の奥へと進み、魚屋の店先へと立ち寄る。
そこには、氷の上に並べられた見るからに新鮮な魚たちがキラキラと輝いていた。
しかし、これからの長い道中を考えれば、生の魚は足が早すぎて旅には到底向かない。
「やっぱり、お魚は無理かぁ……」
ルリが諦め半分で視線を巡らせたその時、ふと隅の棚に積まれている、一風変わった干し魚が目に留まった。
独特の褐色を帯びたその干物は、不思議な存在感を放っている。
その瞬間、恰幅の良い魚屋の店主が、威勢のいい声を響かせた。
「へいらっしゃい! お嬢ちゃん、良いところに目をつけたね! 今日は極上の『クサヤ』が入荷してるよ! 匂いは強烈だけど、味は天下一品、食べたら誰もがやみつきになること間違いなしさ!」
客寄せの声を浴びながら、ルリはまじまじとその干物を見つめた。
(クサヤ……? クサヤって、一体なにかしら?)
これまでに聞いたことのない名前に、ルリの頭の中には小さな疑問符が浮かぶ。
しかし、提示された価格を見て彼女の目は輝いた。
(うそ、この量でこのお値段? 買い出しの予算を考えたら……完全に買いだわ!)
限られた予算の中で、これほど安価に、しかも日持ちのする貴重な魚のタンパク源が手に入るのは幸運でしかない。
ルリは迷うことなく、少し多めの量を買い求め、厳重に包んでもらって荷馬車へと積み込んだ。
全ての買い出しを終え、ようやく宿の部屋へと戻ってきたルリは、どっと押し寄せてきた疲労感に襲われていた。
朝市の熱気と人混みに揉まれ、重い荷物の手配をこなした身体は、自分が思っている以上に消耗していたらしい。
「ふあぁ……」
思わず口から大きなアクビが漏れる。
部屋の窓から差し込む午後の柔らかな光が、さらに眠気を誘う。
急激に瞼が重くなり、立っているのもやっとの心地だった。
「もうダメ……ちょっとだけ、おやすみなさい……」
ルリは吸い寄せられるようにベッドへと飛び込むと、柔らかな枕に顔を埋めた。
心地よい布団の温もりに包まれながら、彼女は瞬く間に深い眠りへと落ちていった。
翌朝、爽やかな青空が広がる中、商隊は予定通りギルドの前に全員が集合していた。
隊長ペドロの鋭い号令とともに、数台の馬車がゆっくりと動き出す。
頑強な大門をくぐり抜け、一行は目的の地である隣国の王都を目指して、堂々たる出発を果たした。
ルリの指定席は、一番後ろの荷馬車だ。
彼女は御者台の上、御者のすぐ横の特等席に腰掛けていた。
流れる景色は、見慣れた街並みから、次第に瑞々しい緑が広がる街道へと変わっていく。
しかし、ルリは鳥の声が聴こえなくなった事には、気づかないでいた。
心地よい風がルリの髪を揺らし、馬車の規則正しい揺れが妙に心地よい。
「ふふん、ふふ~ん♪」
これからの旅への期待感から、ルリの口からは自然と軽快な鼻歌がこぼれ落ちていた。
御者もその楽しげな様子につられたのか、優しく微笑んでいる。
実に幸先の良い、楽しい旅の始まりだった。
けど、そのとき御者が一瞬だけ首をかしげる。
「……今日は、やけに静かだな」
しかし、別段それ以上は気にしない。
馬車は順調に進み、太陽が西の山並みに傾きかける頃、商隊は本日の予定地に到着した。
その日の野営地は、透き通った水がさらさらと流れる、美しい小川のそばに決定した。
「よし、ルリ! さっそく飯の支度を頼むぞ!」
ペドロ隊長の声が響く。
老剣士たちも、長旅の疲れを癒やす美味い食事を心待ちにしているようだ。
ルリは「任せてください!」と元気よく返事をすると、馬車の後ろから朝市で仕入れた食材を取り出しにかかった。
小川の水でパチパチと薪が燃える音が響き始める中、ルリの料理人としての本格的な挑戦が、いよいよ幕を開けようとしていた。




