第9話
レオルドが部屋を出て行った後も、私はしばらく動けなかった。
「……ずる」
ぽつりと呟く。
国を救え、ならまだ断れた。
責任が重いから無理です、と。
でも。
“居てくれるだけで助かる”は駄目だ。
そういう言い方をされると、逃げづらい。
「……ブラック企業の上司よりタチ悪いかもしれない」
本人に言ったら絶対困った顔をするだろうけど。
私はベッドへ倒れ込み、枕へ顔を埋めた。
部屋の中は涼しい。
外は暑いはずなのに、空気が快適だった。
「……ほんと意味分かんないな、この能力」
暖房。
冷房。
空気調整。
まるでエアコンみたいだ。
「いや、流石にそんな訳……」
だが一つだけ分かることがある。
この世界には、こういう力は存在しない。
だから秘密にされている。
もし知られれば、“奇跡”として崇められるか、“異物”として恐れられるかのどちらかだ。
「どっちも嫌だなぁ……」
私はベッドへ座り込み、ぼんやりスマホを触る。
圏外表示。
残り二十六%。
充電が減るたび、現代との繋がりが切れていく気がした。
「……帰れるのかな」
小さく呟く。
返事はない。
その時。
こんこん、と控えめなノックが響いた。
「はい」
入ってきたのは、今朝の若い侍女だった。
「失礼します」
両手に布を抱えている。
「お召し替えをお持ちしました」
「あ、ありがとうございます」
差し出されたのは、白い薄布の衣服だった。
ゆったりした作りで、風通しが良さそうだ。
「昼間用です」
「昼間用?」
「この辺りは日中かなり暑くなりますので」
なるほど。
昼と夜で服装を変える前提なのか。
確かに、夜の寒さと今の暑さでは別世界レベルだ。
「……砂漠って大変なんだなぁ」
侍女は少し困ったように笑った。
「慣れれば平気です」
いや、絶対大変だと思う。
私は服を受け取りながら、ふと違和感に気づいた。
「……あれ」
「?」
「ちょっと湿ってます?」
侍女が気まずそうに目を逸らした。
「申し訳ありません。完全には乾ききらなくて……」
私は布に触れる。
確かに少し湿り気が残っていた。
でも、この気温なら外に干せば乾きそうなのに。
「外干ししないんですか?」
「砂がつくんです」
「あー……」
窓の外を見る。
乾いた風が吹くたび、細かな砂が舞っていた。
これでは確かに洗濯物が汚れる。
「なので、基本的には室内干しなのですが……」
侍女はそこで言葉を濁した。
「薪代も高く、夜も火を長く焚けませんので」
なるほど。
乾燥した土地。
昼は暑い、でも夜は寒い。
その上、砂が舞う。
思った以上に生活難易度が高い。
「……洗濯、大変そう」
「水も貴重ですから」
「うわ」
現代日本では考えたこともなかった。
洗濯機へ放り込めば終わる世界だったから。
「……」
私は無意識に、湿った布を見つめる。
その時だった。
ふわり、と。
乾いた風が布へ流れた。
「……え?」
侍女が目を見開く。
布の湿気が、少しだけ消えていた。
「っ」
私は慌てて手を離す。
今の。
意識してない。
「……聖女様?」
「い、いや、違うんです。今のは、その」
言い訳が出てこない。
でも侍女は恐れるどころか、呆然と布を見ていた。
「温かい……」
「……」
「まるで、陽だまりみたい」
その呟きに、私は少しだけ息を止めた。
昨日までなら、“便利”としか思わなかったかもしれない。
でも。
この国では違う。
暖かいこと。
乾くこと。
快適であること。
それ自体が、生活を支える力なんだ。
「……」
私は黙ったまま、自分の手を見る。
まだ確信はない。
でも。
この能力は、これだけではない気がした。




