ダイジェスト2
窓の外では風の音が続いていた。
ごう、と低く唸るような音が石壁を叩いては遠ざかる。
砂嵐。
朝から城の中が慌ただしかったのも、その準備のためだったらしい。日除け布を片付け、戸を閉め、飛ばされそうな物を中へ運び込む。
度々ある事だからと、リゼはそう言っていた。
私は寝台に腰掛けたまま、小さく息を吐く。
結局、今日は何も出来なかった。
外に出る事はないし、試作箱の様子を見に行く事も出来ない。だからこうして部屋にいる。
考えてみれば、そんな日は珍しくなかった。
何かをしているようで、実際には何もしていない。
試作箱だってそうだ。
思い出した事を口にしたのは私でも形にしたのは違う。
試験をしているのもフェルド主導だし使い方を考えているのも職人達で、私はその様子を見ていただけ。
それなのに、気付けば皆の輪の中に入れてもらえてる事が不思議だった。
まだ何も成し遂げていない。
成果らしい成果も無い。
本当に役に立つかどうかも分からない。
それなのに誰も何も言わない。
追い出される気配もない。
急かされる事もない。
出来なければ出来ないで構わない。
レオルドはそう言っていた。
今でも少し信じられない。
信じたいとは思う。
でも、そう簡単には信じ切れない。
ずっとそうだった。
役に立たなければ意味がない。
成果を出せなければ価値がない。
失敗すれば責められる。
出来ることが当たり前。
そんな考え方が身体のどこかに染み付いている。
本当にここにいていいんだろうか、と。
行く宛なんてないのに、そう思う。
強い風が窓を揺らす。
私は膝を抱えながら、ぼんやりと夜を見る。
最近は少し慣れた。
暑さ、寒さ。全く違う食事や硬いベッド。
城での暮らし、見知らぬ人達と話す事にも。
それでも時々、向こうの世界を思い出す。
いつでも買える飲み物。
夜のコンビニ。仕事帰りに買った安いお弁当。
狭いアパートの一室。蛍光灯の明かり。
窓から見えるのは見慣れた道路。
恋しい、と思う。
戻りたい、ではなく。
もっと曖昧な感覚だった。
もちろん帰れるのであれば帰りたい。
それよりも懐かしい。恋しい。
そんな感情に近い。
だから少し、元の世界に戻りたいとは思う。
でも、その先を考えると妙な気持ちになった。
戻る。
戻るってどこへだろう。
会社じゃない。
もう辞めている。
友人もいない。
気軽に連絡を取る相手なんて思い浮かばない。
残っているのはアパートくらいだ。
家具もほとんど無い部屋。
仕事から帰って寝るだけの場所。
本当に、あそこへ戻りたいのだろうか。
考えてみても答えは出なかった。
向こうで生きてきた時間の方がずっと長いはずなのに、不思議なくらい先が思い浮かばない。
そういえば、こちらへ来てどれくらい経ったのだろう。
一ヶ月。まだ二ヶ月も経っていないはずだ。
それなのに妙に遠く感じる。
向こうにいた頃は一ヶ月なんてあっという間だったのに、こちらでは色々な事があった。
城で暮らし始めて、街を見て回った。
あまり考える事もなくなった能力を検証して。
たくさん話して、考えて、試作箱を作った。
職人達と話して、市場で薬草を見たりもした。
気付けば毎日のように誰かと話していた。
それも不思議だった。
食堂に行けば挨拶をされる。
廊下ですれ違えば声を掛けられる。
深い付き合いがある訳ではない。
皆気を遣っているのだろうか。
それでも普通に接してくれている。
最初は理由があるのだと思っていた。
王様の客人だから。何か特別だから。
他にも何かあるのかと思った。
でも何も無かった。
翌日も。その次の日も。今まで何も無い。
普通の会話だけだった。
未だによく分からない。
何も出来ないような人間と、普通に話す事なんてあるんだろうか、と思う。
そんな考え方の方がおかしいのかもしれない。
でも私にとっては、それが当たり前だった。
学校にいた頃からそうだった気がする。
上手く集団の中で馴染めなかった。
何を求められているのか分からなかったし、何を話せばいいのかも分からなかった。
勝手に期待されては勝手に落胆される。
だから少しずつ離れていった。
気付けば一人でいる時間の方が長くなっていた。
会社に入ってからも似たようなものだった。
機嫌を窺い、失敗しないよう気を付ける毎日。
誰かと仲良くなる余裕なんて無かったし、下手に仲良くなったりして、もう目立ちたくなかった。
余計な事は言わない。
怒られないようにする。
なるべく波風を立てない。
いつの間にか、そんなことばかり考えていた。
だからだろうか。
容姿の事を聞かれた時は思った以上に怖かった。
何でもない質問だったと思う。
日に焼けていない。
城勤めなのか。
それだけで、問い詰められた訳でもない。
ましてや責められた訳でもない。
それなのに胸がざわついた。
知られたくない。
踏み込まれたくない。
傷つきたくない。
そんな気持ちが先に出た。
向こうにいた頃もそう。
過去を聞かれるのが嫌だった。
休日の過ごし方を聞かれるのが嫌だった。
家族の話なんて聞きたくもなかった。
上手く答えられないから。
答えたくない事ばかりだったから。
思い返してみると、ずっと避けていた気がする。
学校の事。仕事の事。家族の事も。
そこまで考えたところで、ふと光景が頭を過ぎる。
薬草の匂い。
人の声。
並んだ袋。
荷車。
そして親子。
薬草の知識はほとんど覚えていないのに。
どの店に何が並んでいたのかも曖昧なのに。
親子で言い合っていた姿をしっかりと思い出した。
少し羨ましかったのかもしれない。
いや。
羨ましいというより、眩しかったのだと思う。
ああいう光景を最後に見たのはいつだったか。
家族と最後にまともに話したのは。
思い出せない訳じゃない。
思い出さないようにしていただけだ。
本当は何度か連絡しようと思った事もあった。
でも何を話せばいいのか分からなかった。
元気だと言えば嘘になる。
頑張っているとも言えない。
だから後回しにした。
気付けば、それが当たり前になっていた。
それなのに今になって思い出す。
家族は今どうしているのだろう。
突然いなくなった私を探しただろうか。
心配しただろうか。
怒っているだろうか。
分からない。考えても答えは出ない。
風がまた窓を鳴らした。膝に額を預ける。
とても不思議な気持ちだった。
元の世界へ戻りたいと思う。
向こうの景色が恋しい。
それなのに最近考えていたのは、この国の事。
試作の事。
薬草の事。
市場の事。
働く人達の事。
一緒に頑張る人達の事。
思い返してみると、たくさんの事が頭に浮かぶ。
この国は助けを求めている国だと思っていた。
寒暖差が厳しくて、食料や水が足りない。
保存が効かなくて流通も難しい。
だから困っている。
そういう人達なのだと思っていた。でも違った。
市場には人がいた。
働いて。
買い物をして。
値段を見ている人もいたし、
品質を見ている人もいた。
皆、誰かと話していた。
生活は厳しいのかもしれない。
問題だって沢山あるのだろう。
それでも皆、普通に生きていた。
明日の商売、明日の仕事の話をして。
当たり前のように明日の事を考えていた。
そんな事ばかりが、印象に残っている。
そうか、と小さく思う。
この国の人達は、ただ困っている人達じゃない。
ここで暮らしている人達なんだ。
それは向こうの世界でも当たり前の事だったはずなのに、何故か少しだけ新鮮だった。
私はまだ、この世界の事をほとんど知らない。
この国の事も全部知っているわけじゃない。
その外も。この世界で生きている人達の事も。
自分がこれからどうしたいのかもわからない。
ただ一つ分かるのは、考える時間が増えたという事だった。以前とは少しだけ違う、そんな時間。
それが良い事なのか悪い事なのかも分からない。
でも取り敢えずは、それでいい気がする。
窓の外では相変わらず風の音が続いていた。
ごう、と低い音が遠くで鳴る。
砂嵐はまだ、止む気配を見せなかった。




