第29話
正午の鐘が鳴り終わる頃には、机の上に並んでいた器も一度端へ寄せられていた。
代わりに運ばれてきたのは、薄い平焼きのパンと小さな器、それから香草の入った豆の煮込みだった。
「……落ち着く匂い」
思わずそんな言葉が漏れる。
香辛料の強い料理にはまだ慣れ切っていないが、温かい豆の匂いは少し気持ちを緩めてくれた。
「香草を減らしておりますので」
器を並べながらリゼが静かに言う。
「あ、気を遣わせてしまってすみません」
「無理をして食べられなくなる方が困りますから」
相変わらず淡々としている。
けれど以前より、その言葉へ少しだけ温度を感じられるようになっていた。
向かい側では、フェルドが書き記していた紙をまとめている。
「記録は後で整理します」
「そんな細かく書いてるんですね……」
「後から見返せなくなりますから」
彼は当然のように返した。
私はパンを小さく千切りながら、机の端へ置かれた薬草袋を見る。
ほんの少し冷えるだけで、半日変わるかもしれない。
薬草袋を見ながら、私は小さく息を吐いた。
「運ぶ間だけでも、少し冷えてれば違うんですか?」
気付けばそう尋ねていた。
レオルドが器を置きながら頷く。
「物によるな。特に傷みやすいものほど影響は大きい」
「薬草もそうですし、果実類もですね」
フェルドが続ける。
「乾燥保存出来る物は比較的安定していますが、水分を含むものは暑季が厳しい」
「……保管じゃなくて、運ぶ方の問題も大きいんだ」
「むしろ移動中の方が難しい場合もあります」
私は小さく黙り込む。
運ぶ間、少しだけでも保てれば違うのかもしれない。
夏場の買い物帰り、白い袋へ入れられていた冷たい飲み物をぼんやり思い出す。
「……あ」
三人の視線がこちらへ向いた。
「何か思い出しましたか?」
「いや、ちゃんとした事じゃないんですけど」
私は少し眉を寄せる。
「昔、買い物した時に……冷たい物を包む袋、みたいなのがあった気がして」
「袋?」
「はい。なんか……中が冷たくなりにくいやつというか」
説明している自分でも曖昧だった。
保冷バッグ。
クーラーボックス。
言葉は浮かぶ。
でも構造までは分からない。
「濡れた布とかも使ってた気がします」
「水で冷やすのではなく、“保つ”訳ですか」
フェルドが静かに呟く。
「……たぶん?」
自信はない。
ただ、
冷やすだけじゃなく、
冷えた状態を長く残そうとしていた気がする。
「面白いですね」
フェルドはそう言って、水差しへ巻かれた白布を見る。
「既存の蒸発冷却と組み合わせられるかもしれません」
「ですが、水の消費は考えねばなりませんよ」
リゼが言う。
「長距離輸送なら尚更です」
「ええ。そこが問題です」
フェルドはすぐ頷いたが、その視線は既に机の上の水差しや布へ向いていた。
「まずは小さい物から試すべきでしょうね」
紙へ何かを書き足す。
「運搬用の小型容器。薬草程度の量なら材料も抑えられる」
「いきなり大規模には出来んからな」
レオルドが低く言う。
「失敗前提で試せる範囲から始めるべきだ」
机の上では、フェルドの筆が止まる事なく紙を埋めていく。
薬草の量。
布へ含ませる水。
容器の大きさ。
まだ形にもなっていない話ばかりだったが、それでも執務机の上には、少しずつ次の試行が積み上がり始めていた。




