第26話
「周囲への影響、ですか……」
私は机の上の浅い器を見る。
正直、言われてもよく分からないが…
器の中へ張られた水面が静かに揺れ始める。
私はそこから手を離し、小さく息を吐く。
頭の奥がぼんやり重い。
長く何かへ集中した後みたいな、妙な疲れ方だった。
「大丈夫ですか?」
後ろからリゼが声を掛けてくる。
「……ちょっと疲れただけです」
そう答えながら椅子へ背を預ける。
机の向こうでは、フェルドが壺へ触れたまま考え込んでいた。
「確かに、周囲にも影響は出ていますね」
「思ったより広がっているな」
レオルドが低く呟く。
私はぼんやりと二人を見る。
正直、自分では何をしたのか全然分からない。
ただ冷たいものを想像して、
触れていただけだ。
「……でも、本当に少しですよ」
「その“少し”が問題なのです」
フェルドが顔を上げる。
「この国では、熱を下げる手段そのものが限られている」
彼は机の上へ置かれていた壺を軽く叩いた。
「薬草にしても、保存は常に課題です」
「そんなに傷むんですか?」
「暑季後半は特に」
フェルドは静かな声で続ける。
「地下保管。
湿布。
夜間移動。
風塔付近への配置。
既に様々な工夫はされています」
「……ですよね」
少し安心する。
もし私が思いつく程度のことを、
誰も考えていなかったなら逆に変だ。
「ですが、それでも限界はあります」
「運ぶ間に駄目になることもあるからな」
レオルドが言った。
「遠方の集落ほど厳しい」
私は器を見る。
少し冷えた水。
本当に僅かな変化。
この国ではその小さな差が積み重なるのだろう。
「……」
頭の中へ、ぼんやり昔の記憶が浮かぶ。
冷蔵庫ではない。もっと曖昧なもの。
テレビ。夏。どこかの特集。
「……あ」
三人の視線がこちらへ向く。
「何か思い出しましたか?」
「いや、思い出したっていうか……」
私は眉を寄せる。
ちゃんとした知識じゃない。
曖昧すぎる。
「昔、テレビで見たことある気がして」
「テレビ」
レオルドがまだ慣れない単語を繰り返す。
「えっと……向こうの、風景が見れる道具です」
「……相変わらず意味が分からんな」
「私もそう思います」
思わず苦笑する。
説明している自分でも、
文明差が大きすぎて変な感じだった。
「それで、何を見たのです?」
フェルドが促す。
「確か……壺、だったと思います」
「壺?」
「水を使って、中を冷やす……みたいな」
言いながら、自分でも曖昧だと思う。
「でも詳しくは全然覚えてないです。
なんか、二重になってたような……」
フェルドが僅かに目を細めた。
「二重の構造、ですか」
「すみません、本当にうろ覚えで」
「いえ」
フェルドはすぐ否定した。
「ですが、その発想自体は興味深い」
彼は机の上の壺へ視線を落とす。
「水で冷やすこと自体は既にあります。
ですが、“容器構造そのもの”を変える発想は少ない」
「……そうなんですか?」
「この国では、水は貴重ですから」
レオルドが答える。
「まず“どう減らさないか”を考える」
「あ……」
言われて気付く。
日本みたいに大量の水を使える前提じゃない。
だから発想自体が変わる。
「でも、もし少ない水でも冷えるなら」
気付けばそう口にしていた。
「運ぶ間だけでも使えるかもしれないな」
レオルドの言葉にフェルドが静かに頷く。
「試す価値はありますね」
「すぐ作れるものなのか?」
「形だけなら可能でしょう」
そう言ってフェルドは水差しを持ち上げる。
「ただし、本当に効果があるかは別問題です」
「……まぁ、ですよね」
私は小さく笑った。
結局、また“試してみる”に戻る。
でもこの国へ来た頃よりは少し違う。
何も分からないままよりずっと良かった。




