第25話
翌日の昼過ぎ。
執務室へ入った瞬間、私は思わず目を瞬かせた。
「……増えてる」
机の上。
前まで広げられていた地図の横へ、見慣れないものがいくつも並べられていた。
大きさの違う器。
布。
蓋付きの小さな壺。
浅い皿。
そして、水の入った杯。
実験室、というほど大袈裟ではない。
けれど、
普段の執務室とは少し違う空気だった。
「準備していたんですか?」
私が尋ねると、レオルドは椅子へ腰掛けたまま肩を竦めた。
「準備というほどではない」
「ですが、何も比較せずに試しても判断できませんからね」
フェルドが静かに続ける。
机の上へ置かれた器へ視線を向けながら、私は小さく息を吐いた。
「なんか、本当に実験みたいですね……」
「実験ですよ」
あっさり返される。
後ろではリゼが静かに水差しを整えていた。
相変わらず、
この部屋にいるのは私達四人だけらしい。
「まずは単純な確認から行います」
フェルドが杯を二つ並べる。
「同じ水を用意し、片方へ触れて頂く」
「……それだけですか?」
「ええ」
「もっとこう……難しいことするのかと」
「貴女に専門知識がない以上、複雑にしても意味がありません」
「うっ」
正論だった。
私は少し気まずくなりながら椅子へ座る。
確かに私は、
理屈なんてほとんど分かっていない。
前の世界でも普通に働いていただけだ。
研究者でもないし、
頭が良い訳でもない。
それでも今、
この場で期待されているのは知識ではなく“現象”なのだろう。
「緊張しているか?」
レオルドがこちらを見る。
「……まぁ、少し」
「別に失敗しても構わん」
「そう言われると逆に緊張するんですけど」
思わずそう返すと、
レオルドが小さく笑った。
ほんの少しだけ、
部屋の空気が和らぐ。
フェルドが二つの杯へ順番に触れ、確認する。
「温度差はありませんね」
その後、片方を私の前へ置いた。
「では、お願いします」
「……はい」
私はゆっくりと杯へ手を伸ばす。
少し冷たい水。
昨日と同じ感覚だった。
冷たい飲み物。
夏。
氷。
頭の中へ、
曖昧な記憶を浮かべる。
コンビニの冷蔵棚。
仕事帰りに買ったペットボトル。
汗をかいた後に飲んだ炭酸水。
「……」
指先へ意識を集中する。
けれど、
昨日みたいにすぐ変化が起きる訳ではなかった。
沈黙が落ちる。
私は少し焦り始める。
やっぱり偶然だったのだろうか。
変に期待させてしまっただけだったのかもしれない。
「……あの、やっぱり」
駄目かもしれない。
そう言いかけた瞬間だった。
「待ってください」
フェルドが静かに口を開く。
彼は私の前の杯へ触れ、
少しだけ目を細めた。
「……僅かですが、下がっていますね」
「本当か?」
レオルドも身を乗り出す。
私は反射的に自分の杯へ触れ直した。
「あ……」
昨日ほどではない。
でも確かに、
少しだけ冷たい。
本当に、本当に少しだけ。
気のせいと言われたら迷う程度。
それでも。
「成功、なんですか……?」
「少なくとも偶然では片付けにくくなったな」
レオルドが低く呟く。
私は自分の手を見る。
嬉しい、というより先に、
現実感の薄さが来ていた。
自分が何をしたのか、
自分でもよく分からない。
「……これ、どういう仕組みなんでしょう」
「それを今から考えるのですよ」
フェルドが淡々と言う。
「……丸投げだ」
「専門家ではない者同士ですからね」
珍しく少しだけ冗談めいた口調だった。
私は思わず小さく笑ってしまう。
その時だった。
後ろで控えていたリゼが、
そっと別の器を机へ置く。
「こちらは、水を張った器になります」
「……?」
「もし冷たく出来るのであれば、水だけではなく周囲にも影響が出るのか確認を」
「なるほど」
フェルドが頷く。
私は器を見つめながら、小さく息を吐いた。
本当に少しずつだ。
何が出来るのかも、
何が起きているのかも分からない。
それでも。
昨日までよりは、
一歩だけ前へ進んでいる気がした。




