ダイジェスト
夜の城は静かだった。
廊下へ灯された明かりが石壁を淡く照らし、遠くで見張りの足音が小さく響いている。
与えられた部屋の寝台へ腰掛けたまま、私はぼんやりと窓の外を見ていた。
砂色の街並み。
昼間は熱を溜め込んでいた石造りの建物も、今は月明かりの下で静かに沈んでいる。
「……眠れない」
ぽつりと呟く。
この世界へ来てから、
どれくらい経ったのだろう。
最初は、そんなことを考える余裕すらなかった。
見覚えのない全く知らない場所。
聞き慣れないのになぜか分かる言葉。
経験した事のない焼けるような暑さ。
身体は重く、喉はずっと渇いていて、
何をするにも酷く疲れていた気がする。
事態が飲み込めないまま、気付けば城へ運ばれ、
私はそのまま保護されることになった。
今だからなんとなく状況を理解しているけど、周りから見たらきっと、支離滅裂だったんじゃないかと思う。
「……変な話」
自分でもそう思う。
元の世界では、
誰かに助けられることなんてほとんどなかった。
朝から夜まで働いて、
帰れば倒れるように眠る。
また起きて、また働く。
そんな毎日で、会社の空気は重かった。
上司の機嫌を窺って、
失敗しないよう神経を擦り減らして、
陰口には聞こえないふりをして。
出来なければ責められる。
出来ても当たり前。
ずっとそんな場所にいた。
だから。
レオルド達の態度は、
最初、逆に怖かった。
王様のレオルド。
宰相のフェルド。
侍女のリゼ。
救って欲しいと言っていたけど。
皆、妙なくらい落ち着いていて、
無理に何かを聞き出そうとはしなかった。
警戒されていない訳ではない。
でも、問い詰めるような空気もなかった。
「……本当に変な人達」
小さく笑う。
私は、この国の暮らしを少しずつ知っていった。
暑さが厳しいこと。
水が貴重なこと。
食べ物が足りないこと。
たくさんの、いろいろな工夫を重ねていること。
昔どこかで見たような工夫もあった。
テレビだったか、学校だったか忘れたけれど。
その程度の曖昧な知識しかない私。
ただこの世界にはないものを少し、知ってるだけ。
「……冷蔵庫、とか」
何気なく口にした言葉。
レオルド達は真剣に聞いていた。
食べ物を冷やして保存する箱。
日本では当たり前だったもの。
コンビニで買った冷たいお茶も。
夏に飲んだ安い炭酸水も。
向こうでは、特別でも何でもなかった。
なのに、この世界では違う。
少し水を冷たく保つだけでも、意味がある。
だからだろうか。
あの時、自分の意思で水へ触れた瞬間のことを、
今でもはっきり覚えている。
「……」
無意識に、自分の指先を見る。
冷たい水を想像しただけだった。
それだけで触れていた杯の温度が少し変わった。
気のせいかと思った。
でも、フェルドも同じように冷たさを感じていた。
説明のつかない現象。
この世界には存在しないもの。
だから、
軽々しく広めるべきではないとレオルドは言った。
もし奇跡として扱われれば、
私自身が危うくなる可能性があるから、と。
「……まぁ、そうなるよね」
小さく息を吐く。
自分でも分かる。
理由の分からない力なんて、
怖がられて当然だ。
しかも、
役に立つものなら尚更。
欲しがる人間もいる。
利用しようとする人間だっている。
だから、
まずは少人数だけで確かめることになった。
本当に起きたことなのか。
偶然なのか。
もう一度再現できるのか。
それだけでも分かればいい、と。
「……」
膝を抱えたまま、
ゆっくりと視線を落とす。
不安はまだ消えていない。
帰れるのかも分からない。
自分に何が出来るのかも分からない。
大きなことなんて出来ないと思う。
私は普通の人間だ。
学校やテレビで見た程度の知識しかない。
理屈を説明できる訳でもない。
それでも。
もし、
ほんの少しだけでも。
この国の役に立てるなら。
暑さを和らげたり。
食べ物を傷みにくくしたり。
誰かの負担を減らせるなら。
それは、
悪いことじゃないのかもしれない。
ふと、
レオルドの言葉を思い出す。
『出来なければ出来ないでいいさ』
あの言葉は、
今でも少し不思議だった。
結果を出せなければ価値がない。
ずっと、
そう思って生きてきたから。
でも。
出来なくても構わないと、
あの人達は本気で言っていた。
「……変なの」
もう一度、小さく呟く。
怖さはまだ残っている。
けれど。
少なくともここには、
失敗した人間を笑う人はいない。
そう思えたことが。
今の私には、
少しだけ救いだった。




