第24話
執務室に乾いた風が静かに吹き込んでいた。
窓際の薄布が揺れ、その度に地図が微かに音を鳴らす。
金属の重し。
並べられた杯。
白い布の巻かれた水差し。
そのどれもが先ほどまでと変わらないはずなのに、部屋の空気だけが少し違って感じられた。
「……」
私は自分の手を見る。
さっき起きたことを、まだ上手く理解できてはいない。
今回も偶然だったのかもしれない。
でも、フェルドも冷たくなったと言っていた。
「春乃」
レオルドが低い声で口を開く。
「先ほどのことだが、城内でも口外は控える」
私は反射的に顔を上げた。
「え……」
「確証がない以上、軽々しく広める話ではない」
レオルドはそう言い、机の上の杯へ視線を落とした。
「それに、仮に本当に貴女の力だとしても」
一瞬、言葉が止まる。
「簡単に知られていいものではない」
その真剣な眼差しに、私は小さく息を呑んだ。
フェルドが静かに続ける。
「神話と結び付ける者が現れる可能性があります」
「神話……」
「美しい異人の女性。加えて説明のつかない現象」
淡々とした口調だった。
けれど、その内容は軽くない。
「奇跡として扱われれば、貴女自身の立場も危うくなるでしょう」
私は無意識に指先を握る。
この世界へ来てから、
まだ城の外すらほとんど知らない。
なのに、自分だけが勝手に話題になる光景は簡単に想像できた。
知らない人達。
向けられる視線。
勝手な期待。
胸の奥が少し重くなる。
「……別に、そんな凄いことじゃないと思うんです」
思わずそう零していた。
「冷たくなったって言っても、本当に少しでしたし」
「問題は規模ではありません」
フェルドは静かに言った。
「この国に存在しない現象であることです」
私は言葉に詰まる。
元の世界なら、
冷たい水なんて珍しくも何ともなかった。
でも、ここでは違う。
レオルドが椅子へ深く背を預け、小さく息を吐く。
「だからこそ、まずは確かめる必要がある」
「確かめる……」
「偶然なのか。
再び起きるのか。
それだけでも分かれば十分だ」
私は黙って水差しを見る。
巻かれた白い布はまだ湿っていて、乾いた風が吹く度に少しだけ揺れていた。
「……でも、どうやって」
「大掛かりなことはしません」
フェルドが言う。
「この部屋で、少人数のみで行います」
「私達だけで?」
「ええ」
リゼも後ろで静かに頷いた。
「人目は避けた方が良いでしょう」
私は小さく俯く。
正直、不安だった。
自分に何が起きているのか分からない。
出来る保証もない。
それでも。
「……もし、何も起きなくなったら?」
気付けば、そんな言葉が漏れていた。
レオルドは少しだけ目を細める。
「なら、それで終わりだ」
「元々こちらが勝手に願ってしまっただけだからな」
「……」
「無理に何かを背負う必要はない」
「出来なければ出来ないでいいさ」
あまりにも自然に返された言葉に、私は返事を失う。
嘘を言っているような雰囲気はなかった。
出来なければ駄目だと言われることには慣れていた。
でも、
出来なくても構わないと言われる事には慣れない。
沈黙が落ちる。
窓の外から吹き込む風だけが、静かに布を揺らし音を奏でていた。
私はその音を聞きながら、ゆっくりと息を吐く。
「……分かりました」
小さく頷く。
不安で怯えているだけよりはいい。
机の上の水差しを見る。
あの冷たさが本物だったのか。
どこまで自分の意思で起こせるのか。
怖さは消えていないけれど。
少なくともここには、
失敗した人間を笑う人はいないと思うから。




