第16話
王宮へ戻る頃には、朝とは空気の質が変わっていた。
吹き抜ける風が熱を含み始めていて、肩へ巻いた布越しでも肌がじわりと汗ばむ。朝は慌ただしく動いていた人の姿も減り、城下へ続く道は少し静かになっていた。
「昼になると、皆あまり外へ出なくなります」
隣を歩くリゼが、前を見たまま口を開く。
「必要な仕事以外は、日が傾くまで控える者が多いですね」
確かに。
さっきまで響いていた荷車の音も減っている。
遠くで布が揺れる音だけが、乾いた風へ混ざっていた。
私は肩へ巻いた布を少し引き寄せる。
最初は暑そうだと思っていたけれど、実際に歩いてみると、直射日光を遮るだけでかなり違った。頭へ直接熱が落ちてこないだけで、身体の疲れ方が変わる。
日本にいた頃は、夏でもここまで肌を隠すことなんてなかった気がする。
……いや。
そもそも、外を長時間歩くこと自体ほとんど無かった。
会社。
電車。
オフィス。
冷房の効いた場所を移動していただけだ。
だから逆に、外気そのものを意識したことがなかったのかもしれない。
その時、強い風が通り抜けた。
乾いた砂が足元を流れ、私は反射的に目を細める。
「っ……」
「大丈夫ですか?」
「ちょっと砂が……」
リゼは慣れた様子で、自分の布を軽く口元へ寄せた。
「風が強い時は、顔も隠した方が楽ですよ」
そう言いながら、自然な動きで春乃の肩布を少し持ち上げる。
「この辺りを」
「あ、ありがとうございます」
布一枚なのに、息のしやすさが違った。
砂漠の国というと、もっと過酷で、不便な場所を想像していたけれど、この国の人たちはちゃんと環境へ合わせて暮らしていた。
道の端へ並ぶ日陰も、風の塔も、布の使い方も、多分ずっと積み重ねてきたものなのだろう。
そのまま歩いていると、通りの端へ大きな陶器が並んでいるのが見えた。
人の腰ほどもある壺だ。
上には布が掛けられていて、何人かが列を作っている。
「あれは?」
「共同の水場ですね。地下水を引いています」
リゼの説明を聞きながら眺めていると、小さな子供が水袋を抱えたままよろけた。
慌てて近くの女性が支える。
水を零さないように。
かなり反射的な動きだった。
その様子に、私は少しだけ視線を止める。
水って、ここまで気を遣うものなんだな。
日本にいた頃は、水道を捻れば当たり前に出てきた。
冷たい水も、お湯も。
使いすぎて怒られることはあっても、“零したら困る”なんて感覚はほとんど無かった気がする。
その時、王宮の方から鐘の音が響いた。
低く、ゆっくりした音だった。
「昼の合図です」
リゼが空を見上げる。
太陽はかなり高い位置まで昇っていて、石壁へ近付くだけで熱が返ってくるようだった。
「……レオルドさん、今も仕事してるんですかね」
ふと口から零れる。
リゼは少しだけ困ったように笑った。
「おそらく」
「休まないんですか?」
「昔から、あまりご自身を優先されない方ですので」
……やっぱり。
私は朝食の机を思い出す。
端へ寄せられていた書類。
食事中でも完全には仕事を切り替えられていなかった。
不意に、会社帰りのオフィスが頭へ浮かぶ。
白い照明。
誰も喋らないフロア。
デスクへ突っ伏したまま眠っている人。
コンビニの袋。
冷えすぎた空気。
モニターの光が痛い。
明日も仕事。
また仕事。
「春乃様?」
リゼの声で、はっと意識が戻る。
「あ……すみません」
「お疲れでしたら、少し休まれますか?」
「いえ、大丈夫です」
私は軽く首を振る。
頭の中には、思い出したオフィスの空気だけが妙に残っていた。




