5話 アイリスside
「あれは、私がまだ二年生だった頃の話…」
どこかの辺境の村で行われた鑑定の儀で[勇者]が現れたと、国中は大騒ぎだった。
新聞や魔導放送は連日その話題だったし、学園にいた私は参加できなかったけれど、城下町では王城に向かう[勇者]を迎える大規模なパレードまで行われていたくらいよ。
魔獣の被害も増え始めていたから、まるで人々からは救世主のように見えたのでしょうね。
「えー…今日、あなた達に作ってもらうのは毒消しのポーションです。
材料と手順は黒板に書いてあるので、その通りに作るように。
今回は全ての手順を一人で作ること。
気をつけるポイントは前回も伝えたように、火加減です。
それでは各自始めてください。」
ヒール草、赤スライムの粘液
青芋虫、蜘蛛蠍のミソ
手順はわかる。黒板に書いてあるもの。
赤スライムの粘液でヒール草を煮詰めている間に青芋虫を輪切りにして入れる。
そして色が変わり始めたところで蜘蛛蠍のお腹を割ってその部分に僅かにあるミソ部分のペーストをほんの少し入れればいいって。
でも問題はそこじゃない。
そういう問題ですらない。
薬学の教室はひどい匂いだった。
そして私の前にはウネウネと蠢くまだ生きてる新鮮な青芋虫と、フサフサした六本の足に8個の目玉、尻尾は蠍になっている気持ち悪い生き物の死骸が一つ。
もう、その場にいるだけで泣きそうだった。
前回はペアでの製薬だったから、同じ青寮で騎士科に所属していた友人のキース・アルベルタルに芋虫を輪切りにしたり、蜘蛛蠍をぱかんと割る作業をやってもらったけれど、今回は頼めない。
でも私は虫や爬虫類を触ることはおろか、見ることすらも嫌だった。
こんなものを飲むくらいなら毒で死んだほうがはるかにマシだと思うくらいには。
「アイリス・ウィンドン」
「ひっ…」
「君はこの教室になにをしに来ているのでしょうか?
先ほどから手が止まっているようですが、まさかこんな小さな虫が怖いとでも?」
「は、はい…」
「そうですか。しかし、泣いたって誰も助けてくれませんよ。さっさと刻みなさい。」
当時の薬学の先生はスパルタで有名だった。
背後に立たれたと思ったら無理やり包丁を握らされて、まな板には青芋虫が置かれた。
早くしないと逃げるぞと耳元で言われたけれど、本当に私は気持ち悪くて、できなくて…
そんな時に、助けてくれた生徒がいた。
「先生、薬が出来上がったので席の方で確認してもらえますか?」
「む…グレイシーか、いいでしょう。」
たったそれだけ。
その言葉で教室の空気が変わったのよ。
きっと優しいセドリックからしたらいつも通り困っている人に手を差し伸べただけなのよね。
覚えてもいないと思うわ。
でも、そのおかげで先生の拘束が緩んで、カランカランと包丁が私の手から落ちた。
そんな私を先生は鼻で笑っていたけれど、それ以上何かを言われることもなかったわ。
周囲の心配そうな視線を受けながら震える足でなんとか立ちあがろうとした時、その場に残っていたセドリックがそっと手を差し伸べてくれたの。
「…大丈夫かい?
手伝うよ、たぶんもう先生も何も言わないだろうから」
「あ…ありがとう…」
手を差し出す姿は絵本の王子様みたいだった。
それに、私には触れもしない芋虫を一瞬で輪切りにして、躊躇なく蜘蛛蠍の脳天をかち割る姿はまるでヒーローみたいに見えたわ。
横顔がすごくかっこよくて、一瞬で虜になった。
セドリックはその頃からとても人気者で、いつも彼の周りには人がいたし、気軽にはとても話しかけられない雰囲気だった。
憧れてはいたけれど友人になるなんて考えたこともなかったのよ。
でも、私はそれでよかったの。
そもそも寮が違うから会う機会も少ないけれど、もし、廊下ですれ違えたらその日一日がとてもいい日になる気がしたし、たまの合同授業で隣の席になれたら心臓が痛くなるほどに緊張した。
中庭や食堂でセドリックが友人と楽しそうに過ごしているのを見かけたら私も嬉しかったから。
そうやって遠くから眺めるだけの日々は、私達が四年生で、勇者アレンの入学の年になるまで続いていったの。
「僕そんなことしてた?全く覚えてない…」
「だと思ったわ」
「ねぇねぇ、母さんはその頃から父さんが好きだったってこと?」
「うーん…恋というよりはファンだったのよ。
ザックが勇者アレンに憧れるのと一緒でね。
恋人になりたいかと聞かれたらNOだったわ。」
「え!?」
「え?何を驚いてるの?
セドリックだって私のことそんな目で見てなかったでしょ?」
「それはそうだけど、何かショックで…」
「母さん、父さんのことはほっといて続き早く話してよ。」
「そうね…」
アレンが入学して、学園は毎日騒がしかったわ
アレンが高位の従魔を使役しただとか、魔獣討伐で実績を作っただとか。
最速で冒険者ギルドのBランク冒険者になったとかね。
[勇者]として素晴らしいとは思うけど、私にとっては同じ寮のただの後輩だった。
たまに話すことはあっても、挨拶や社交辞令がほとんどだったからかしらね。
噂の真偽にはあまり興味がなくて、私はいつも通りに過ごしていたの。
ある夏の日、親友のアンナ・オキシーがキースと一緒に従魔の様子を見に行ってしまったから暇だったのよ。
私は従魔を持っていなかったからね。
だから、歴史学の課題に取り組むために一人で図書室へ向かった。
テスト期間を控えているというのもあってその日はかなり混んでいたのをはっきり覚えてる。
それでもいくつか席は空いてたから適当に座って課題をしていたわ。
「ここ、空いてる?」
「えぇ、どうぞ…」
参考書と睨めっこしながら、必死に課題に取り組んでいたら頭上からそんな声が聞こえて、ノートから顔を上げることもなく、反射で返事をしていた。
私の返事を受けてから向かいの席に静かに座った人に自然と視線を向けて私は固まった。
セドリック・グレイシー。
私の憧れている王子様でヒーローだったから。
目があったら、セドリックは柔らかく微笑んでくれた。
「ありがとう、空いてなくて困ってたんだ」
「…………。」
「おーい?」
「っ…き、気にしないで…」
私は相席を許したことに対する感謝だと理解するまで数秒かかった。
だって、本当に素敵で。
長いまつ毛も、サラリとした茶髪も、涼しげな目元も、薄い唇も。
授業で隣に座ったり隣に立つことは本当に稀にだけどあった。
でも隣の時にジロジロ見ることはできないでしょう?
だからすぐ目の前で彼のことをしっかりと見たのは薬学の時に助けてもらったとき以来だった。
意識した途端に心臓がドキドキし始めて、今の私は変じゃない?とかこんなことなら化粧の一つや二つしてくればよかった…なんて色々考えていたけど、とにかく取り繕うのに必死だった。
「…やらないの?課題」
「え…あ…ごめんなさい…」
指摘されるまでずっとセドリックを見ていたことに気づかなくて、本当に恥ずかしかった。
誤魔化せるわけもないんだけど、意味もなく髪の毛先を手繰り寄せて枝毛を探しています、みたいな平気な顔をしてみたりしてね。
課題の続きをしようと、もう一度参考書へ向き直ったけれど、こんな状況じゃ内容なんて入ってくるわけがない。
そこに文字があるのはわかるのに、まるで文字がふわふわ浮いてるみたいだった。
「……どうしたの?どこかわからないとか?
僕でよかったら教えるけど…
君、同じ学年だろ?」
「…私を知ってるの?」
「たまに授業で一緒になるじゃないか。
魔法科のアイリス・ウィンドンだろ?
僕は…」
「セドリック…セドリック・グレイシーよね。
騎士科の、知ってるわ。…………有名人だもの」
「そう?それでわからないところは…」
「大丈夫。用事を思い出したからもう行くわ」
「え?」
セドリックが私の名前を知っていてくれたこともそうだけど、あまりにも普通に話しかけてくるものだからもう限界で、私は逃げるように図書室を後にした。
感じ悪く見えたかもしれない。
こんな機会二度とないかもしれないって気づいて寮に戻ってからはアンナに泣きついたわ。
「どうしたらいいの!?」って。
今更どうしようもないのに、夜通しずっとね。
でも仕方ないじゃない。
あまりにもセドリックが素敵で、近くて、ドキドキして心臓が飛び出そうだったんだもの。
その時はそれで終わりだと本当に思った。
たまたま、偶然、席が空いてなかっただけ。
必死に言い聞かせていたのに、まさか、その数日後にもう一度図書室でセドリックが前に座るとは思わないじゃない?
「やぁ、アイリス」
「っえ!?」
「…もしかして驚かせた?ごめん」
「だ、大丈夫。どうしたの、セドリック?」
「ここ座っていい?」
「え……」
「え?ダメ?」
「ダメじゃないけど…ど、どうぞ?」
テスト期間も明けたし図書室は空いていたのに私の前には再びセドリックが座った。
なんでわざわざここに座るの?
素敵!かっこいい!字が綺麗!
顔が熱い、恥ずかしい、どうかバレませんように。
私はもう大パニックよ。
けれど散々アンナに泣きついた後だったからか、初めての時よりは少しだけ冷静でいられた。
私はなるべく意識しないように気をつけながら参考書に視線を移すことができた。
そして、ただ黙って課題に取り組む。
私の目の前にセドリックがいる。
話せなくても、すぐ近くに。
例え彼の一時の気まぐれだったとしても、こんなに幸せな時間はないって思うようにしたらものすごく課題が捗ったわ。
でも、それは一時の気まぐれじゃなかった。
何を考えていたのかはわからなかったけど、図書室で会うたびにセドリックが私の前に座るようになったのよ。




