35話 セドリックside
進軍前の最後の休暇。
騎士達はそれぞれ、家族と食事をしたり、恋人と過ごしたり、友人と騒いだりと大切な人との時間を過ごしていたみたいだった。
その中で心の底から楽しめた人はどれくらい居ただろう。
騎士になったからって覚悟が決まるわけじゃない。
死ぬのが怖いって泣いた人も居たと思うし、逆に応援されて勇気をもらった人も居たかもしれない。
騎士は国のため、民のために命を消費する高潔な仕事だなんて聞こえはいいけど、本当にそんな志を持つ人間なんてほとんどいない。
名誉な死なんてないんだ。
死んでいいわけがないだろう。
どんな騎士にも大切な人がいる、家族がいる、この先の未来がある。
僕に与えられた最後の休日、死ぬ前に誰と過ごしたいかを考えたら、自身を育ててくれた両親より、アイリスがよかった。
迷うことなんてなかったよ。
この休日がアイリスと過ごす最後の時間になるかもしれない。
そう思ったらさ、少しでもアイリスの心に残るようにしたいと思って、アイリスが喜んでくれそうなことを思いつく限り、全部やったんだ。
「この公園!セドリック、私が来たいって言ってたの覚えててくれたのね!」
「当たり前じゃないか」
「その理由は?私がここに来たかった理由」
「え?いや…それはわからないけど…」
「だと思った。
私がここに来たかった理由は、あそこにある鐘をカップルで鳴らすとずっと一緒に居られるんだって聞いたからよ。」
アイリスが指を指したところにはカップルの行列があった。
ハートの形の鐘、明らかに作り物っぽい装飾。
どことなくピンク色の空気を放つ列に並ぶのは正直恥ずかしいし、そもそもそんなジンクスだってなんの保証もないだろう?
「信じてないって顔ね」
「…流石にあれは…」
「……私も普段ならきっと信じないわ。
でも、こんなご時世、いつ隣にいる大切な人と離れてしまうかもわからない。
…なんでもいいのよ、なんでも。
ただ、この不安な気持ちを何かに縋ってどうにかしたいだけなの…」
「…アイリス」
「…ごめんなさい、でもこの公園はあの鐘のおかげで色々売店も出てるからきっと楽しいわ」
「鐘、鳴らしに行こう?」
「え、でも…嫌じゃないの?
ああいうのは得意じゃないでしょう?」
「それは…まぁ、否定はしないけど、そんな可愛いお願いを聞かないのは彼氏としての度量を試されてる気がする。」
「ふふっ…何よそれ」
恥ずかしかったけど二人並んでちゃんと鐘は鳴らしたよ。
だからこれでずっと一緒に居られるって訳じゃない。
でもアイリスがすごく嬉しそうにするから僕はその笑顔も、髪を耳にかける仕草も一つ一つを目に焼き付けるようにした。
それからカフェに行ってアイリスが食べたかったもの凄く甘くてバカみたいに大きなケーキを食べて、ショッピングでは結婚指輪とは違う、ペアリングを買った。
…正直ペアリングは複雑だったよ?
このあと、渡す予定があったからね。
でも、お揃いの指を何度も見てさ、アイリスがあまりにも幸せそうな顔をするから、こんなことならもっと早く買ってあげればよかったって思った。
そうして時間は過ぎていく。止まってはくれない。本当はもっとたくさんあった。
まだまだやりたいこと、伝えたいこと、話したいこと。
でも幸せな時間というのは本当にあっという間に過ぎていってしまうんだよ。
予約してたレストラン。
そこもまたアイリスが食べてみたいと言ってたパスタが有名なお店だった。
白ワインで乾杯をして、静かな時間が流れた。
お互い何を喋るわけでもない、ただ店内のジャズがゆったりとした空間を作っていたよ。
そこで一呼吸置いてから僕が進軍に参加することを伝えた。
笑顔だったはずのアイリスは途端に表情を凍らせて静かに涙を溢した。
以前引き止められた手を振り払ったからか、決して引き止めるようなことは言われなかった。
でも、アイリスは言葉を言わない代わりに、血が出るまで唇を噛み締めて、耳を塞いで、小さくなって、まるで子供みたいに嫌々って首を振るんだ。
そんな表情をさせてしまう自分が情けなかったけど、彼女の心配が痛いほどに伝わってくるから少しだけ嬉しくもあった。
僕は次の進軍で死ぬかもしれない。
もう会えないかもしれない。
そんな気持ちで結婚してほしいだなんて無責任だ。伝えるべきじゃない。
頭ではわかってたけど、伝えずにはいられなかった。
だって、そうすればアイリスの中に僕はずっと居られると思った。
たとえ僕が死んでも思い出に残るだろうって。
考えたくはないけど、アイリスが前を向いて新しい恋をしても、僕はきっと消えないはずだ。
狡い言い方だったと思う。
プロポーズの返事を先延ばしにしてもらったのだって万一にでも断られたくなかったからだ。
でもそれくらい、情けないくらい怖くて、アイリスを僕の元に引き留めておきたかったんだ。
それからまもなく、シンフォニア王国を出立した。
王都から魔族達の住む場所へは北上していくんだけど、抜けていく街や村では人々の表情がとても暗かったんだ。
その目にはまるで期待も希望もなかった。
一度目の進軍であれだけボロボロになった。
二度目は一度目の半分も兵士がいない。
それに今回は若い新兵も多く混ざってる。
何をしにいくんだよって思ったんだろうね。
でも、魔王軍は決して止まってくれないから、僕達は期待されなくても、応援されなくても前に進むしかなかった。
北の山、一度目の戦場になった場所にはね、人々の生きていた痕跡が、回収しきれないまま残っていたよ。
踏み潰された誰かの鎧。
変に黒くなった地面。
抉れた木や、地面に開いた穴。
それだけで激しい戦闘の光景が目に浮かぶようだった。
山を登るにつれて、少しずつ景色が変わっていくのを楽しむ余裕なんてない。
まずあったのは落石だ。
魔王は力持ちの魔獣に命令して大岩をゴロゴロ上から落としてくるんだよね。
すぐに戦闘態勢に入ったけど、岩にあっさり潰された人がいた。
恐怖に耐えきれず逃げ出す途中で泣きながら崖の下に落ちていった人もいた。
僕は運良く最初の落石に巻き込まれることはなかったけど、次に小さな魔獣達が雪崩れ込んできた。
ゴブリンやコボルト。
一匹一匹の力は大したことがないのかもしれない。
でも、奴らの繁殖力は凄まじく、数が異常だった。
斬っても次がいる。
腕を振り上げたら足元に噛みつかれる。
現場は一気に混乱した。
ただのスタンピードじゃない。
統率の取れた魔獣達の攻撃だった。
たくさんのゴブリンにのし掛かられて圧死した兵士がいた。
スライムに顔を覆われて窒息した兵士がいた。
群がるコボルトを追い払うために闇雲に振られた味方の剣で腕を失った兵士もいた。
そして、その混乱が収まるより先に今度は大型の魔獣がやってきた。
グリズリーやオオトカゲ、大型ではないけどファウンドの群れなんかもいた。
僕はとにかく目の前にいる魔獣を斬った。
少しでも手を休めたらあっという間に囲まれてしまうから。
どれだけの味方が死んだのかな、いつのまにか隣にいた人は居なくなってたし、僕にもわからない。
それくらい戦場は混乱してたよ。
喉が渇いた。毎日何度も素振りをして来たはずの剣が重くて仕方ない。
どこかで一息つかなければ呼吸もままならない。
僕はそれこそ死ぬ気で魔獣を斬り捨てながら前に少しずつ進んだ。
休める場所を探して。
その途中には、キースもいたんだ。
その顔は苦悶に歪んでいたよ。
手や足に残る咬み傷。
腹には抉るような大きな引っ掻き傷。
苦しかったと思う、悔しかったと思う
でも死者を弔う余裕なんてなかった。
戦場ではけして他人事なんかじゃないんだ。
キースだけじゃない。
あちこちに人や魔獣の死体が溢れていた。
「っセドリックさん!無事だったんですね」
しばらく歩いた先、そこに居たのは血に濡れた勇者アレンだった。
彼は僕を見て驚いて、そして悲しそうな顔をしたんだ。
どうしてそんな顔をしたのかはわからないけど、僕を見る目がすごく苦しそうだった。
まるで死者に向けるような目だった。
僕は生きてるのにね?
「魔王は、私が絶対に倒します。」
「はは…頼むよ」
アレンに背中を預けて少しの間共に戦った。
まるで操縦レースでチェリオットと戦った時のように。
不思議と、そこから学生時代の思い出が蘇ってくるんだよ。
授業のこと、図書室のこと、操縦レースや剣術技能大会のこと。
授業中の先生の言葉を聞く真剣な横顔。
図書室で隣に座ってコソコソと話したこと。
操縦レースで他の人を応援するアイリスに苦い思いを抱いたこと。
剣聖に負けたときにもらった言葉。
最初はさ、アイリスが僕に視線を向けていることに気がついたことが始まりだった。
どうして僕を見るんだろう。僕のことが好きなのかな?ってね。
でも、アイリスが見てる以上に、きっと僕の方が彼女のことを見ていたんだなって気づいたんだ。
だって、どの景色を思い出してもそこにはアイリスがいたんだから。
「っセドリックさん!」
疲れのせいか、走馬灯みたいに考えていたのかもしれない。
アレンの声でハッとした。
そしていつのまにそこにいたのか、アレンに魔族の槍が向いてるのが見えた。
アレンは気づいてなくて、考えるより先にアレンの前に出ていた。
「っぐ…ぅ…」
咄嗟に剣を使ったけど、ヘロヘロだったから、槍は僕の剣をあっさりと弾いて僕の胸元に迫っていた。
死んだと思った。
悔しかったよ。
アイリスと結婚したかったから。
あと、ごめんって。
「なんで……」
アレンの呆然とした声が耳元で聞こえた。
槍は僕の胸に届くことなく、淡い光によって防がれていた。
すぐにわかったよ、アイリスの魔法だって。
「セドリック、これ、お守りなの。
お願いだから肌身離さず持っていて」
「ありがとう?」
「絶対よ。約束して。」
「わかったよ」
後になって知ったよ。そのお守りがアイリスの魔法研究の集大成だったってこと。
アイリスがそれを僕個人に渡したことで仕事をクビになっていたってことも。
でも、そんなアイリスの思いが、戦場で僕の命を救ってくれたんだ。
槍を持った魔族は遅れて到達した剣聖ギルバートが倒して、聖女マリアンヌが戦場で傷ついた人々のために天に祈った。
一度目の進軍より人数はずっと少なかったけど、戦況は逆転したんだ。
そして勇者アレンは魔王を討ち取った。
ボロボロに泣き崩れながら。
そして、魔獣達の統率が崩れ、散っていく。
まるで熱が引いていくみたいに。
そして戦争は終わったんだ。
それから残った皆でボロボロで帰った。
行きに通ってきた街や村の人達の目は行きとは打って変わり希望にあふれていた。
勇者の、英雄達の凱旋だった。
人々の称賛よりも僕はアイリスを探した。
操縦レースの時は僕の元に来てくれなかったのに、アイリスは僕を見つけるとすぐに僕の腕に飛び込んできたんだよ。
すっかりやつれて小さくなってて、どれだけ心配かけたんだろうね。
「アイリス、ただいま」
「…おかえり、セドリック」
「早速だけど返事、聞いてもいい?
僕そのために死ぬ気で帰ってきたから」
「そんなの…YESに決まってるでしょ!?」
真っ先に聞いたよ。
だってずっと聞きたかったことだから。
「それで落ち着いたら結婚して、しばらくしてザックが生まれた。
今この時間はね、あの時死んでたら手に入れられなかった僕の何より欲しかった時間。
手の中の小さなザックの暖かさを感じたときにね、本当の意味で、あぁ、僕は生きてるんだなって改めて実感したんだよ。
だからザックは、僕とアイリスの宝物なんだ。」
「…っ……」
「きっとこれからたくさんの経験をすることがあるだろうけど、どんなに辛いことがあっても、ザックの父さんと母さんはいつだってお前の味方だからそれだけは忘れないで。」
僕達の何より大切な宝物。
僕は一度は死を覚悟し、それでも生きた。
そして、アイリスという最愛の人と結ばれた。
僕の話を聞いてボロボロ涙を流す息子の存在を噛み締めるように、力一杯抱きしめる。
生意気だっていい、僕のような騎士にならなくたっていいんだ。
ただ元気でいてくれるなら。
だってザックは僕とアイリスが回り道遠回りをしながらそれでも歩んだ軌跡の結果なんだから。




