25話 アイリスside
ザックが熱を出して授業中に倒れた。
そう保健医から魔道通信で連絡が来た時、私は心臓が止まるかと思った。
「先生?アイリス先生!」
「…っあ…ご、ごめんなさい
水魔法の応用法についてよね…えっと…」
「それ今さっき聞きましたよ?
今は水魔法と雷魔法の相乗効果についてです。」
「そ、そうだったわね…」
そんな状況で授業に集中なんてできるはずもなく、今日最後の魔法学の授業の説明はきっと支離滅裂だっただろう。
生徒達には本当に申し訳ないことをしてしまったと思う。
私は授業が終わるとすぐに保健室へと向かった。
「おそらく流行り風邪ですね。
感染力も強いし、保健室に隔離して終業式まで過ごすか、もう冬休みまで期間もないので早めに自宅待機でもいいかと思います。
今は点滴から解熱剤も入ってるので幾分か楽になってるはずですよ。
じきに目を覚ますかと。」
保健医の先生からそう言われて私がどれだけ胸を撫で下ろしたことか。
それでも顔を見られるまで心臓はどくどくと嫌な音を立てていたし、手は冷たくなって震えていた。
ザックの眠るベッドの横に座って、汗をかいて苦しそうな額を拭ってやると、こんなに苦しそうだというのに、なぜか少しだけ落ち着いた。
呼吸によって上下する布団を見て生きてることを実感したかもしれない。
こんな状態のザックから離れるのは嫌だったけれど、まだ起きないうちに持ち帰れる仕事はまとめて、授業の調整をして可能なら休暇申請。
それからザックの所属している黄色寮にも寄ってザックの荷物をエリオットにまとめるように頼まないと…。
それからセドリックにも連絡をして…
きっと買い物を頼んだら病人でも食べやすいものをこれでもかと買ってきてくれるはずだ。
そんなことをしていたら時間はあっという間に過ぎていった。
もうすっかり日が落ちるのも早くなって渡り廊下は街灯の光がポツポツと点き始めていた。
どこかもの寂しい雰囲気の中、一度止んだ雪がシンシンと静かに降り積もっていく。
わかっていても今セドリックがこの場にいないことが少しだけ、心細かった。
「…これ、荷物です。」
「ありがとう、助かったわ」
「あの…ザック大丈夫ですか?
本当にしんどそうだったし…
こんな寒いのに雪遊びなんてしたから…」
ザックに持たせていたボストンバッグに几帳面に着替えや教科書をまとめて手渡してくれたエリオットに息子との差を感じてしまう。
ザックは私に似て雑なところがあるから適当に突っ込むか色々と忘れるだろうな、って。
夏休み泊まりに来てくれた時にも思っていたけれど、ザックとふざけることも多いエリオットだけど、育ちの良さを感じるし、しっかりした子だと思っている。
どうせ雪のことだってザックから誘ったに違いないのに、罪悪感ですっかり小さくなってしまったエリオットの頭をそっと撫でた。
私が怒るとでも思ったのだろうか。
確かにこの寒さの中何をやってるの?と思うこともあるけど、十歳の男の子なんだから初雪に興奮するのは仕方がない。
むしろ達観してる方が心配してしまうかも。
子供は元気が一番だから。
エリオットにはザックと散々仲良くしてくれている事への感謝こそあれど、責めることなんて何もなかった。
「大丈夫。ただ皆に風邪をうつしてしまうから早めに冬休みに入るだけよ。
ありがとう、心配してくれて。」
「……手紙、出していいですか?」
「もちろん、ザックも喜ぶわ。
さぁ、エリオットも早く寮に戻って、貴方まで風邪をひいたら大変よ。」
「………はい」
何度も私の方を振り返りながら寮の門の内側へ入っていくエリオットを見送り、その後ザックの眠る病室へ急いで戻ったけど、まだ目を覚ましている様子はなかった。
私はただ、静かにベッド横に座ってザックが目を覚ますのを待った。
本を読んだりする余裕もなくて、ただ寝顔を眺めながら…
どれくらい時間が経っただろう。
小さな呻き声が聞こえてザックを見ると、瞼を少し震わせながらゆっくりと目を開けた。
「…気がついたのねザック。」
「母さん…?どうしてここに…」
「流行り風邪ですって。
全く…どうせエリオットと雪遊びをして風邪を引いたんでしょう。」
「う…」
「周りの子にうつすといけないから寮の部屋に戻らず、このまま私と家に帰るわよ。
どうせ三日後には冬休みだしね」
「えぇ…」
「自業自得でしょ。エリオットに適当に荷物を纏めてきてもらったから早く帰るわよ。」
心配した。
目を覚ましてよかった。心の中ではそう思うのに私の口は厳しい言葉ばかりを言ってしまう。
病人相手に何を言ってるんだか。と自分で自分が嫌になりそうだった。
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数日前にはあんなにザックを心配して、何かあったらどうしようと、怖い思いをしたと言うのに、今はちょっと煩わしい。
「母さん暇なんだけどぉ…」
そのセリフは何度目になるのだろうか。
子供の回復力は凄まじいもので、あんなにも高かった熱は三日もあれば完全に下がってしまった。
それ自体はとても嬉しいけれど、熱が下がった途端元気になって、あの日のしおらしさはどこへいったのか、暇だのお菓子を食べたいだのと我儘放題だった。
「病み上がりなんだからスナック菓子なんてダメに決まってるでしょう!?」
「なんでよ!僕もう元気だよ!」
「胃が弱ってる時にそんな脂っこいもの食べたら気持ち悪くなるし、そんなに走り回ってぶり返しでもしたらどうするの!!」
親の心子知らずと言えばいいのか、言うことなんて聞かずにスナック菓子の袋を盛大に開けてしまっていた。
もしこれで気持ち悪くなったら、ピーマン粥を食べさせてうんと苦いお薬を飲ませようと思う。
「母さん、暇だよ」
「何度目よ、それ?
冬休みの課題は?」
「僕病み上がりなんだけど。」
「なんて都合のいい病気なのかしらね」
口達者でああ言えばこう言うザックに私は痛む頭を押さえた。
それでも憎めないのは可愛い息子だから以外の何者でもない。
「僕ってさ、勇者アレンの講義の途中で気絶したんでしょ?」
「そうみたいね」
「くうう…最後まで聞きたかった!!迷宮の話なんて教科書にも載ってないのに!!」
「残念だけど、しかたないじゃない。」
「エリオットのノートも荷物に入ってたけど、『ゴブリンは弱い』とか『勇者すごい』ってことしか書いてなかったんだよ!?
[聖女]のことも[剣聖]のことも何一つ書いてないんだ!!」
そう言ってわかりやすく膨らむ息子の頬をツンツンと突っついた。
ザックは昔からそうだ。
三歳の頃に勇者の絵本をお義父さんに買ってもらってからずっと[勇者]に憧れている。
学者気質というか、好奇心も旺盛だから私はてっきりそちら方面へ進むものだと思っていたのにセドリックと同じ騎士科に行くと言われた時は本当にびっくりした。
訓練は大変だと聞くし、めんどくさいことが嫌いなザックはすぐに嫌がるかもしれないと思っていたのにそんなこともなく…
エリオットという素敵な友人を作って毎日楽しそうに過ごしているみたいだった。
それに先日の剣術技能大会ではニコニコしたセドリックがザックの成長をたくさん教えてくれた。
「僕みたいになりたいって言われた」って本当に嬉しそうにしていたのは記憶に新しい。
「そういえば、父さんが母さんは[剣聖]のファンだったって言ってたけど、本当?」
「ファン…そうね、ファンだったかも?」
「父さんの方がかっこいいのに?」
「うーん…セドリックへの憧れと剣聖ギルバートへの憧れは全く違うものだったからね。
剣聖ギルバートはね、どんなに硬い昆虫タイプのモンスターでも一網打尽なの。
それってすごいことよ?」
「やっぱり虫なんだね…
じゃあさ、[聖女]様は!?」
「……………さぁ?」
「母さん?」
正直[聖女]にいい思い出はあまりなかった。
けれど、これを話すのは少し躊躇する。
夏休みに私やセドリックの学生時代の恋愛事情をザックとエリオットに赤裸々に話してしまって気まずい思いをしたばかりだ。
両親の馴れ初めなんて息子の教育に悪いに決まっている。
「絶対何かあるじゃん!教えてよ母さん!」
「嫌よ。」
「聞かせてくれないなら僕暇すぎて走り回るよ?
庭に出て雪だるま作ったっていいんだからね」
「病み上がりなのに何をしようとしているの」
「だって暇なんだよ!!
勇者アレンの講義も聞き損ねるし、僕は[聖女]のことが知りたいの!!」
私としては体を休めてしっかり風邪を治してほしいのだけれど。
ザックがこう言い出したら納得するまで絶対に引かないのは知っている。
どうしたものかと考えあぐねているとザックはベッドから軽々飛び降り着替えを始めようと服のボタンに手をかけ始めた。
「わかった!わかったから!母さんの負けよ…
いいからベッドに戻ってちょうだい…」
「やった!じゃあ早く早く!!
聖女マリアンヌってどんな人だったの!?」
「聖女マリアンヌ様は……
………セドリックの元カノよ」
「は?」
ポカンとした息子の顔を見て、まず思ったことは、だから言いたくなかったのに。だった。




