2話
シンフォニア王立学園入学から三ヶ月という月日があっという間に過ぎていった。
初めての寮生活は慣れないことばかりだった。
朝起こしてくれる母さんが居ないのに、決められた時間に食堂に行かなければ朝ごはんが無くなっている。何度も食べ損ねて学んだことは、寝坊が厳禁だってこと。
それからトイレやお風呂、洗濯場も共同。
授業のない休みの日にまとめて洗濯物を洗おうとしたら魔導洗濯機の前には長い列。
パンツの取り違えもした。
エリオットと一日休みを潰して張り込んだ結果、朝九時が一番乗り狙い目の時間みたいだ。
眠くなくても夜の十時には電気が消えるし、ゴミはちゃんと部屋の前にまとめておかないと掃除なんてしてくれない。
細かいルールは他にもたくさんあるし、生活だけで手一杯なのに、授業の課題も多くて毎日とても忙しい。
課題をしていたらさっきまで朝だったのに気がついたら夕方なんてよくある話だ。
でも毎日のように新しい発見があった。
今日はどんな発見があるんだろう。
今日はどんな技術を身につけられるだろう。
そんな想像をするだけでワクワクする。
大変だけど、学園での生活に飽きることなんて一つもなかった。
同室のエリオットはもちろん、寮は違うけれど、ブリジットともすっかり仲良くなった。
僕の学園生活はまさに順風満帆。
文句一つなく、とても充実していた
「ザック、今日の授業なんだっけ?」
「薬学と、魔獣学、剣術。
そして、最後は、僕がずっと楽しみにしてた勇者アレン本人による講義があるよ!」
「あぁ、歴史学な」
「チッチッチ…ただの歴史学じゃない。
あの勇者アレン本人が話すんだぞ!?」
「はいはい。
お前本当に好きだよな、勇者アレンのこと。」
「だって[勇者]だよ!?」
「…楽しみだけど、夜な夜なザックにアレンの凄さを語られていたから流石に飽きた」
「嘘だろ!?」
エリオットは大袈裟にため息をつくと、日課である木剣の手入れを始めてしまった。
ささくれがないか、持ち手のゴムが緩んでいないか念入りにチェックをするんだ。
こうなってからのエリオットは何を話しかけたところで多分聞こえていない。
始業時間まではまだ余裕があるし、それまでは僕も授業の復習でもしていようとカバンから教科書を取り出した。
いつもだったら、直前にある授業の復習と予習を行うけれど、今日は特別。
なんて言ったってあの勇者アレンに直接、当時の話を聞くことができるのだから。
偉人達の活躍が事細かに説明されている教科書の大部分を飛ばして目的のページを開く。
人類の歴史だの、魔法使いが生まれたきっかけだの、第十三代目の王太子が婚約破棄をして国家危機になっただのの話に興味はない。
僕が知りたいのはもっと最近の歴史。
およそ二十年前に現れた魔王という存在と、魔王戦争のきっかけについてだった。
ページ248『魔王が現れる兆候』
以前、歴史学のお爺ちゃん先生がチラッと話してくれていたところだ。
けれど、あまりにも先生がお爺ちゃんなので、話があちこちに飛んでいく。
面白いけどね、お爺ちゃんが木の棒だけでゴブリンに挑んだ話や武勇伝を聞くこと自体は。
けれど僕が知りたいのはそうじゃない。
歴史学の教科書は、先生が話すよりもずっとわかりやすく、そして詳しく当時の様子が絵と合わせて書かれているんだ。
まるで英雄達の物語を読んでいるような気持ちになるから、僕は暇があればこの教科書を捲るのが好きだった。
『この国には多くの種族達が暮らしている。
しかし、その全てが平等ではなかった。
魔を司るもの、通称魔族。
それは人々から邪悪な存在とされ、あらゆる種族からの迫害対象だった。』
そんな一文から始まる歴史は正直、見ていて気持ちのいいものではない。
僕が知ってる魔族は、「早く寝ないと魔族が来る」「悪いことをすると魔族に攫われる」なんて小さな子供達に怖いものとして教えられる存在だ。
母さんはそれを言うことはなかったけれど、お爺ちゃんは僕に昔からよくそう言っていた。
だから多分、魔族は怖いものなんだと思う。
ぺらりと音を立てて、僕はページをゆっくりとめくった。
『そもそもの始まりはシンフォニア王国が誕生するよりもずっと前に遡る。
世界には人族や妖精族、獣人に亜人。
そして魔族。
様々な種族が共存していたが、そんなこの世界に突如として魔獣という存在が現れた。』
これは気になって前に調べたことがある。
諸説あるらしいけれど、一般的には狼に近いハウンドや熊に近いグリズリーなどの存在が確認されているため、魔獣は元々は動物で、何かの拍子に魔に染まり、魔獣へと変化をとげてしまったんじゃないかって言われてるみたいだ。
じゃあゴブリンやスライムの元はなんの動物なの?って話にはなるけど。
魔に染まったのではなく、生き物の進化の過程だと説明する学者もいるし、宇宙から来たんだって言っている学者もいるらしい。
とにかく、魔獣という生き物については、まだまだ謎が多くて詳しいことは何もわかってないらしい。
エネルギー物質である魔石はなんなの?とか。
属性を使える魔獣はなんなの?とか。
『人々にとって畏怖の対象だった魔獣は魔族との親和性が高く、他の種族よりも多く使役することが可能だったため、彼らにとって魔獣は貴重な労働力になった。
魔族は魔獣に近い存在だ。
人々はそう考え、魔族を迫害の対象としたのである。』
魔に染まるってつまり凶暴化しているってことらしいんだけど、全ての魔獣が凶暴かと言われたらそうじゃない。
従魔契約を結べば手懐けられる魔獣も存在している。
けれど、一方で田畑を荒らしたり、人を襲ったりする危険な魔獣がいるのも確かだった。
魔族はきっとそれも使役できるって事なんだと思う。
ページ250『魔王とはなにか』
『魔王は、普通の青年だった。
魔王には生まれつき、不思議な力があった。
魔獣に襲われない力。魔獣を従える力。
それは従魔を従えるビーストテイマーとも、魔族の能力とも異なる。
どんな危険な魔獣も自在に操れる力だった。
従魔契約などなしに、魔獣を引き連れ、人智を超えた力を持つ者。
魔獣達の王、人々はそれを魔王と呼んだ』
歴史上、特殊能力を持つものは少なからずいたんだって。
炎を食べられる人、人間としての寿命を大きく逸脱した人、頭が生まれつき二つある人。
けれど、だいたい歴史は同じ。
人々は理解できないものを恐れ、迫害してきた。
きっと魔王となった青年もそんな特殊な能力を持っていたんだと思う。
その結果、もともとは普通の人間だったはずの青年は魔に染まり、やがて魔王へと変貌した。
動機は自分を迫害した人々への復讐。
それが魔王戦争の根本の原因だったって。
これは勇者アレンが実際に戦争で魔王を打ち滅ぼした時に明るみになった魔王自身の過去なんだって。
でも、本当に全ての人が迫害したのかな。
何もしない人だっていたはずなのに。
そんな過去があったなら、魔王だけが悪いとは言い切れないと思う。
何度手を差し出しても弾かれていたら諦めてしまうかもしれない。
でもだからと言って何も知らない人までも戦争で殺してしまうのはきっと間違ってる。
だからこそ、僕は実際に魔王と戦った勇者アレンに話を聞きたい。
仲良くなれる方法はなかったのかなって。
「おい!ザック!時間だぞ!!」
「え!?」
「このままじゃ遅刻するって!!」
いつの間にそんなに時間が経っていたんだろう。
エリオットに揺さぶられるまで時間を全く気にしていなかった。
「歴史学が面白いのがいけない」
「言ってる場合かよ、さっさと走れ!
薬学の先生、ねちっこいから遅刻したら準備室の整理とかさせられるぞ!!」
「絶対に嫌だ!!気持ち悪い!!」
「俺だってよくわからない虫の死骸だの、うんこだの触りたくねぇよ!!とにかく走れ!!」
エリオットに急かされて、少しだけ慣れて来た学園の廊下を全力で駆け抜けていく。
どこかの先生が「廊下を走るな!」と怒号をあげてるのが聞こえた気がするけど、気がするだけだ。きっと気のせい。
今の僕達はそれどころではない。
「どうしてこの学園ってこんなに広いんだよ!」
「知らないよ!!」
エリオットと共に息を切らせながら始業時間ギリギリに教室へ滑り込んだ。
その様子をクラスメイト達が呆れたような目で見ていたけれど、それよりも間に合って良かったっていう安堵の方が大きかった。
適当に空いていた席に座って、同じように隣に座ったエリオットとグータッチをする。
これで罰則は免れたって。
「グレイシー、シュゼット。
私は廊下を走るなと言ったはずだが?」
始業時間ぴったりに入ってきた薬学の先生は、なぜかとても怒っていた。
そして僕達を見て一言、そう言ったんだ。
でも、まさかあの時怒号をあげていたのが薬学の先生だったとは思わないでしょ?
「罰として放課後の薬学準備室の整理を命じる」
がっくり。
あんなに走ったのに、結局罰則だ。
エリオットと僕は二人揃って肩を落とした。
僕やエリオットのように騎士を目指す者でも、ただ闇雲に剣を振ったり体力をつければいいというわけではない。
怪我をした時に咄嗟の応急処置ができるように医学を学ぶし、野営地に生えている危険な毒草などを見極めるために素材学も習う。
他にも騎士になれば貴族とのやり取りが発生する場合もあるから、マナー学とか、他にも色々必修科目が存在している。
薬学は医学と並行してやっていくんだけど、正直あまり好きじゃない。
だって、麻痺直しを作ると黒板には書かれているけど、材料は不気味なものばかりだ。
ぐつぐつした鍋に、皮を剥いだ黄色トカゲのしっぽを刻んで入れる。
それから割とどこにでも群生しているヒール草にスライムの粘液を加えて煮る。
で、最後の工程として、赤芋虫をすり潰して入れるらしい。
「おえ…酷い匂いだ。」
「麻痺になったらこれ飲むの?正気?
逆に死なない?」
「麻痺のままのがマシだよな?」
「そこ喋ってないで手を動かさんか!」
「「はい!!!」」
赤芋虫がすり鉢の中でゴリゴリブチュブチュと嫌な音を立てている。
あまりの気持ち悪さに、現実から目を逸らすように僕は母さんのことを思い出していた。
僕の母さんは昆虫や爬虫類が大の苦手だ。
魔法科の生徒もこの薬学は必須科目だってブリジットが言っていたけれど、羽虫一匹で大騒ぎする母さんがどうやってこの芋虫をすり潰していたんだろう。
「ザック赤芋虫汁できた?」
「あー…うん。超ネバネバしてるキモい。」
「じゃあこっち入れて
それで完成だろ…おえっ」
酷い匂いを放つ禍々しい色をした薬が出来上がり、薬学の先生には無事合格評価をもらえた。
これで、薬学の授業は終了だ。
それから魔獣学、剣術と続けて授業を受け、お昼になる頃には僕達はもうクタクタだった。
「はぁ…しんど…素振り500回とか無茶だろ…」
「殆どがリタイアしてたしね
でもエリオットはすごいよ!
420回は僕らの学年じゃ一番だってさ。」
「ザックだって410回だろ?」
「はは…もう腕が上がらないけどね。
でも次は待ちに待った勇者アレンの講義だよ!
寝てる暇なんてないよ!エリオット!
早く行こう!」
「えー…もう俺ヘロヘロなんだけど」
寝転んでいるエリオットをなんとか引っ張り起こして、早足で歴史学の教室へと向かう。
体は重いけど、ずっと憧れていた勇者アレンと会えることがそれ以上に楽しみだった。




