妙な物音
その頃、メラニン侯爵家の応接室では──メラニン侯爵子息であるザガロと、ノスタリス子爵令嬢であるミディアとの婚約破棄の手続きが、滞りなく進められようとしていた。
メラニン侯爵は最初こそ渋ったものの、ザガロによる頻回のデートのすっぽかし、更に学園初日のミディアに対する裏切りを証拠として突きつけられ、そのほかにも子爵との約束を反故にしたまま逃げ回り、挙げ句の果てにミディアのお金で遊びまわるという息子の傍若無人ぶりを聞かされれば、最後には受け入れるしかなくなった。
「……婚約破棄される身でこんなことを言うのは大変恐縮なんだが、支援は……我が家への支援はどうなるだろうか?」
震える声で問う侯爵に、「そんなもの、なくなるに決まっているだろう!」とノスタリス子爵は言いたかったが、隣に座る妻に一瞬だけ視線を向けると(ここは貴族らしい対応を心がけねば……)と考え、どうするのが正解なのかと眉間に皺を寄せた。
本当は、婚約破棄すると同時に支援も打ち切る予定だった。今までは自分が支援している関係上、子爵家の者を数人紛れ込ませて監視させていたから経営がうまくいっていたようなもので、手を引いた途端いつまた侯爵が悪人に金を騙し取られるか分からない。
かといって、婚約関係も何もないのに、いつまでも監視のための人員を割いてやるほど、こちらも人が良いわけではないのだ。
「支援……支援ねぇ……」
ノスタリス子爵が顎を触りながら考えていると、ふと上の階から、何やら物音が聞こえたような気がした。
「おや? 今……」
「どうかなさいましたかな?」
尋ねてくる侯爵を手で制し、ノスタリス子爵は耳に手を当て、耳を澄ます動作をする。
それに倣って耳を澄ました他の三人は──聞きなれない音を耳にして、即座に立ち上がった。
「まさか……ザガロか!」
心当たりがあるらしい侯爵が声をあげ、いの一番に応接室から飛び出していく。
おそらく、この上の階の部屋がザガロの部屋になっているのだろう。
今は部屋に閉じ込めて反省させていると聞いていたが、癇癪を起こして室内で暴れでもしているのだろうか。だとしたら、女性を連れていくのは危険かもしれない。
「二人とも、待ってくれ」
ノスタリス子爵はメラニン侯爵の後を追いながら背後を振り返ると、自分の後をついてくる婦人二人の足を強制的に止めさせた。
「あなた……?」
不思議そうに見上げてくる妻に、ノスタリス子爵は厳しい表情で告げる。
「もし部屋でザガロ君が暴れているのだとしたら、君達が行くのは危険だ。何かあっても無論私は全力で妻を守るが、侯爵夫人はどうなるか分からない。それに、想定外のことが起きる可能性もある。だから──」
「行くわ」
「へ?」
自分の言葉を遮り、きっぱりと言い切った妻に、ノスタリス子爵は思わず変な声を出してしまう。
「いや、だからヒルダ……」
「想定外のことがあって、あなたに何かあったら私が嫌だもの。それともあなた……私を守り切る自信がないの?」
「そんなことはない! だが……」
言い切った後、言葉に詰まった理由は侯爵夫人が一緒にいたからだ。
妻は良くても侯爵夫人はどうなる? あの頼りない──とノスタリス子爵は思っている──メラニン侯爵に、夫人を守り切ることなどできるのか?
そう考えた瞬間──ノスタリス子爵のその考えが伝わったかのように、侯爵夫人が声を発した。
「わ、わたしも行きます! ザガロ君は私の義理の息子でもありますし、母親であるわたしが行かないなんて選択肢はありません!」
「よく言ったわ」
真剣な表情で頷きあう二人の夫人達。
彼女らが行くと言うのであれば、ノスタリス子爵が「否」を唱えることなどできるはずもなかった。
「……分かった。だが、くれぐれも気をつけてくれ」
二人に注意を促すと、子爵は再び早足で歩き出す。
ザガロの“躾と称した自分勝手な暴力”が、親達の眼前に晒される時が、刻一刻と迫っていた──。




