呼び名
「え~と……それは、だね……」
私の聞いたことに対し、急にクロニエ様の言葉の歯切れが悪くなり、彼は顔を赤くしてソッポを向いてしまう。
「どうかしましたか?」
と尋ねるも、「いや、別に……」と言うだけで、こちらを見てはくれない。
ついさっきプロポーズのやり直しをしてくれた時は、真っ直ぐに私の瞳を見つめてくれていたのに。
質問にも答えてくれないし、どうしようかと思いつつ私が紅茶に手を伸ばすと──刹那、蚊の鳴くような彼の声が耳に入った。
「一目惚れ……したんだ……」
「えっ!?」
予想外の言葉に驚き、思わず紅茶をこぼしそうになってしまう。
まさかクロニエ様の口から、そんな単語が飛び出すなんて。
慌ててカップをソーサーに置き、私がクロニエ様の方を見ると──俯いていたせいで顔はよく見えなかったものの、真っ赤に染まった耳だけはよく見えた。
「一目惚れって……もしかして私に?」
ジェニーさんではなく?
彼が嘘を吐くような人でないことは分かっているけれど、どうしても素直に信じることができない。
こんな、家が資産家という以外は何の取り柄もないような、大して可愛くもない私に一目惚れ? 嘘……。
俯いたままの彼に近づき、ソファの手すりに凭れかかるようにして彼の顔を覗き込もうとすると──。
「だからそう言ってるだろ! 俺は君に一目惚れしたから、何とかして近づきたいと思って……っ!」
話の途中でいきなり顔を上げたクロニエ様は、私の顔が思っていたより近くにあったことに驚いたのか、大きく目を見開いた。次いで、ズザッと音がしそうな勢いでその場から離れ、真っ赤な顔で口をパクパクさせる。
「お、おま……い、いや、き、君……」
“お前”でも“君”でも、どっちでもいいけれど、とにかく今の反応でクロニエ様の言葉が真実なのだということだけは理解できた。そして、ザガロに傷つけられた私の次の婚約者になるために、策略を巡らせた結果があの言葉だったのだということも──。
「クロニエ様って普段クールを装っているけれど、意外と可愛いところがあるのね……」
さっき揶揄われた仕返しとばかりに、私は彼に向かって舌を出す。
未だに真っ赤な顔をしている彼は、咄嗟に言い返せなかったのだろう。悔しそうに唇を噛むと、拗ねたような瞳で私のことを見つめてきた。
ザガロの反応とは全然違う。彼は私相手に顔を赤くすることなどなかったし、あんな風に拗ねる素振りをすることもなかった。
ただ単に、私を婚約者という名の財布として扱っていただけ──。
けれどクロニエ様は、そうじゃない。彼ならきっとザガロのような扱いはしないだろう。
ならばもう迷う必要はない。
「私……決めたわ」
おもむろにソファから立ち上がると、私は床に座った状態のままのクロニエ様に近づいて、そっと手を差し出した。
「決めたって……何を?」
私の手につかまって立ち上がりながら、クロニエ様が首を傾げる。
これを口にしたら、きっともう後戻りはできない。けれど彼なら──クロニエ様なら、信じることができると思った。
だから、告げる。
「クロニエ様……いえ、今後はカスパル様とお呼びしてもいいかしら?」
瞬間、彼は驚愕の表情を浮かべ──次第にそれは、泣き笑いの表情へと変わっていった。
「ミディア嬢……喜んで。是非とも俺のことをそう呼んでほしい……」
感極まった様子で、微かに震えながらクロニエ様──いいえ、カスパル様が私の手の甲に口づけを落とす。
その場所にほんのりとした温かみを感じながら、私は柔らかく微笑んだ──。




